d-倉庫の2つの自主企画について 藤原央登 (劇評家)
d-倉庫は、観劇するには非常に居心地の良い空間だった。天井が高いため、前に座った観客の頭が邪魔にならない。しかし高低差が出せる分、床に近い前列が冷えるということで、冬場はブランケットの貸し出しが行われていた(私は気温差を感じたことはなかったが)。舞台空間にも十分な奥行きがあり、上部に設けられた回廊が特徴であった。少人数によるダンス作品を上演するカンパニーやダンサー等が、作品にアクセントをつけるべくたびたび利用していたことが印象に残っている。
そんなd-倉庫には、柱となる自主企画が2本ある。2004年から続く「ダンスがみたい!新人シリーズ」と「現代劇作家シリーズ」である。前者は新人のダンスカンパニーやダンサーのコンペティション。川村美紀子、柴田恵美、幅田彩加、茎、黒須育海、水中めがね∞といった歴代受賞者を見れば、すでに歴史ある若手ダンサーの登竜門となっている。「新人シリーズ」とは別に、『春の祭典』(2015年)や「『病める舞姫』を上演する」(2018年)といったテーマに沿って競演する「ダンスがみたい!」もある。2014年と2021年には、「新人シリーズ受賞者の「現在地」」と題する企画も持たれた。排出されたダンサーの活躍を、現時点における問題意識と共に垣間見ることができた。「新人シリーズ」と「ダンスがみたい!」の両者が連携することで、新人発掘とコンテンポラリーダンスの深化を成してきたのである。私は2014年(「新人シリーズ12」)と2015年(「新人シリーズ13」)に審査員を務めた。連日、4組のパフォーマンスを観続ける中でダンスに何を求め、何を基準に批評をしているのかを再考する良い機会であった。 この企画でも私は、「現代劇作家シリーズ8 ハイナー・ミュラー「ハムレットマシーン」フェスティバル」(2018年)と「現代劇作家シリーズ9 「日本国憲法」を上演する」(2019年)で、ポストパフォーマンストークの司会者として関わった。ト書きと台詞がない交ぜになった断片的な詩的テクストである『ハムレットマシーン』は、上演不可能とも呼ばれた作品だ。それ故に各団体の演劇する意志が試される。同時に観客も舞台表象から、作品を自らの脳内で再構築する作業が要求される。『ハムレットマシーン』はあまりの自由さのために、創り手と観客双方に負荷をかける、まさに前衛戯曲の極北を行く。そういう意味で『ハムレットマシーン』の上演は、「現代劇作家シリーズ」のひとつのゴールであった。 『ハムレットマシーン』の上演を経て生まれたのが、「「日本国憲法」を上演する」と言えよう。テクストをどのように解釈するかという課題をさらに一歩進め、憲法という戯曲以外のテクストの上演に踏み込んだのである。当時は安倍晋三元首相が、折に触れて憲法改正への意欲を見せていた時期であった。その点で日本国憲法とは何かを今一度考える、時宜にかなった企画であった。2020年には「ダンスがみたい!22 日本国憲法を上演する。」で、ダンスでも同様の問題を取り上げた。 「ダンスがみたい!新人シリーズ」「現代演劇シリーズ」共に、少なからず小劇場界に確かな足跡を残してきた。d-倉庫の閉館は残念である。しかし2つの企画は、d-倉庫に至るまでは麻布die pratze、神楽坂die pratzeで催されていた。その都度、劇場を立ち上げながら、OM-2を主宰する真壁茂夫たちが中心となって運営されてきたのである。そのことを思えば、今後もどこかで企画は継続されることだろう。その時が来ることを心待ちにしたい。 INDEXに戻る |