身体を演出する ──OM-2×柴田恵美×bug-depayse
生前に詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の二冊を出版したものの、ほぼ無名のまま37歳の若さで早世した宮沢賢治の文学は、結果的にというべきだろうが、中央文壇から距離をとって営まれたことで、地域に暮らし、東北の風土に根ざした固有の世界観を育てることになり、皮肉にも、作家が知ることのなかった未来にたくさんの読者を持つこととなった。宮沢賢治の作品は、おそらくは彼自身を読者にして日記のように書かれている。そうした執筆事情から、「ひとつひとつが他の別作品と関連性があり、どれを取っても一作品だけではよく分からない部分が残る」ため、本公演では特定の作品を扱うのではなく、作品と作品の間の「連続性を理解することで辛くもその人の全体像が見えてくる」演出方法をとったということが、公演パンフレットに掲載された劇団OM-2の演出家・真壁茂夫のテクスト「『椅子に座る』について」で語られている。総じていうなら、タイトルの「椅子に座る」そのものが、OM-2の演劇論や演出論を踏まえた稽古スタイルであるところから出発して、広大な星空のカンバスに宮沢賢治の姿を描きながら、その文学を支える作家固有の身体存在へと惑星間飛行を試みたのが本公演といえるだろう。それはさながら死者の魂を運ぶ銀河鉄道に、俳優やダンサーたち、観客たちと同乗して、終着駅の南十字星(サザンクロス)まで運んでいくようにして。どうしてこれら複数のカンパニーに所属する俳優やダンサーたちが、ひとつのステージにそれぞれの椅子を持ちこみ、場所と時間を少しずつずらしながら登場してくる演出がなされたのか、それはテクストが懇切丁寧に語るOM-2の演劇論・演出論と深く結びついている。
© 兼古昭彦 銀河鉄道の出発駅に用意された「椅子」からはじめることにしよう。「椅子に座る」という日常的に誰もがしている無意識の行為が、ここでは象徴的な意味を持たされている。そもそも「椅子に座る」は、「OM-2の稽古で行う初期の稽古のひとつであり基本練習の呼び名」なのだという。「他者が存在しないところ(世界)に、ただ椅子があり、外に向けてではなく自分自身と向き合いながらその椅子と格闘しシーンを創っていく」という稽古によって創作されたシーンは、劇団内で内覧にかけられ、仲間でもあれば他者でもある劇団員のさまざまな問いにさらされるなかで濃密さを増していく。こうした稽古によって、演者の内側から未知の何事かがあぶり出され、真の自己発見へと至る可能性が生まれるということ。これは演劇のスタイルをとった一種の教育システムのようなものであり、カリキュラム「孤立稽古」への入門編といえるだろうが、こうした稽古の背景にある理念は、ステージに立つ演者が「個」を持つことにあるという。かねてより演出家は、舞台に立つ演者が<身体そのもの>となり、存在の「核」を持つことが演劇の根拠であると語ってきたが、この「核」という言葉こそは、植物の種のような物質感を感じさせる点において、また適切な濃縮作業を施すことで膨大なエネルギーを解放する核物質=原子力にも通じている点において、一般的ではあるが平板な「個」という言葉より適切と思われる。 真壁はこうした「核」からの視点を、宮沢賢治の言葉と混ぜあわせ、新しい文体を試みるようにして語りなおしていく。「社会性を持ってしまった身体(心と肉体)から離れ、ひたすら自分は何者なのかを探る」孤立稽古は、「宇宙(すべてのもの)と向き合う練習といってもいいでしょう。誰もいない宇宙の中で意識を集中しひとり(大地に)立ってみる。いらないものはすべて捨てる。知識や常識、見栄などは最もいらない。そうすると感情的にも大きく揺れるようになり、絶対と言われる時間さえも歪み、深い孤独に身を置く感じになります。」そこからさらに、型も捨て、感情も捨て、「自分」という記号さえ捨て、「ひとりの自然の中で呼吸をする人間(生きもの)であるという自覚」へと至り、さらにそうした稽古の先で「本当の孤独」であるとともに「本当の幸い」であるようなものに出会うということ。そのようにして「現代社会で溢れる人工的なもの(思想や習慣なども含めて)とは距離を置き、旧皮質的な(自然に近い)感覚を拠り所として、より原初的な自分の身体と向き合う。精神的な世界というだけではなく社会に歪まされた身体を知」るという過程を通って再び現実世界へと戻ってくる往還作業こそが、いま演劇が示せるものではないかという。
© 伽賀隆吾
演出家と俳優が作る劇団ヒエラルキーのなかにあって、演者の身体こそが劇的なるものを生み出す真の基盤であるという逆転の発想は、1960年代に語られた唐十郎の「特権的肉体論」を想起させる。断片的なテクスト群のなかで、さまざまな文学的事象にことよせながらきれぎれに語られた「特権的肉体論」は、言葉を理論的に積みあげたものというより、その当時『ジャズ宣言』(1969年)を著した平岡正明(1941-2009)が、著書の冒頭で「どんな感情を持つことでも、感情を持つことは、つねに、絶対的に正しい」とアジテートした時代の空気を共有するもうひとつの宣言であると理解され、あらためて唐十郎のテクストを再読してみると、身体を演劇の根拠に掲げるこの言葉の発明にこそ最大の意味があったことがわかる。 「文学に特権的時間という言葉があるならば、役者がつくる演劇には特権的肉体という言葉もあるだろう。そして、特権的肉体という劇的イリュージョンは、即、時代的肉体の影法師をかい間見せる筈だ。劇的な想像力は、このように肉体を通しての現前化という回路を持たなければ、可視的に形象されることはない。/だからこそ、観る者はそこに形成される形象に、あえて参加するという行為をもってわが身の劇的な想像力を目覚めさせるのだ。」(『特権的肉体論』「文化的スキャンダリストへ」) 「演劇はどこから始まるか?/おそらく、それはあらゆる空間へ拡がっていく役者体から始まる。役者体とは、ひよわな演出家や演劇学者の当てにならぬ脳味噌ではなく、常にさらされ、瞬間毎に死んでいく、劇を創る実体だ。/役者ほど、芸術の相対性を語っているものはない。/それは「見られる」という時間内においてのみ、復讐を孕む存在だ。だからこそ、役者は空間に狙いをつける。」(『特権的肉体論』「役者の抬頭」) 「特権的肉体論」は、演劇の基底として置かれるべきものを言葉から役者の身体へと移行させながら、さらに演出にも先行するものとして、ときに作家性をもって語られる演出家もまたそのあとにやってくるべきことを「特権」と表現したが、状況劇場が公演を打った新宿花園神社の境内に設営された紅テントが、消費社会を生みつつあった戦後高度経済成長期の向日性を撃つ異界として出現したこの時代、無条件に依拠することのできる「肉体」を身体に見ることができたのにくらべ、OM-2の「孤立稽古」では、もはやそうした無条件の依拠が不可能になり、身体を社会のなかから掘り起こすカリキュラムを用意し、椅子に座らせ、目の細かい篩(ふるい)にかけてさまざまな夾雑物(きょうざつぶつ)をふり落としながら、身体をいわば再創造するようなところからはじめなくてはならなくなっている点で、唐十郎の時代よりずっと複雑な身体戦略が求められていることがわかる。歴史的な連続性のなかでみるとき、「特権的肉体論」を継承する「孤立稽古」の側面は明瞭だが、それとは別に、「孤立稽古」にあって「特権的肉体論」にはない重要な要素があることも見落とせない。それは「椅子に座る」という「基本練習」において、すわるという行為を導き出すのに「椅子」の存在が関わるところにあらわれている。 文化人類学者のカルロス・カスタネダが、メキシコ先住民文化のフィールドワークにおもむき、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン・マトゥスに弟子入りを乞う場面は、ヒッピー文化全盛のころ若者たちのバイブルとなった著書『呪術師と私──ドン・ファンの教え』の有名な一場面だが、そこにすわることに関連して呪術師から出されたテストのことが記されている。
© 伽賀隆吾 「しばらくして落ち付くと、彼はどこもが坐ったり居たりするのに良いわけではなく、ベランダという限られた中にもわたしが最良になれる場所が一箇所だけあることを説明してくれた。その場所を他の所から区別することがわたしの仕事であった。おおざっぱに言えばつぎのようなことになる、すなわち、確信をもって正しい場所を決定できるまでに可能性のあるすべての場所を「感じ」なければならないのである。」 場所のうち「良い方は(Sitio)と呼ばれ、悪いほうは「敵」と呼ばれ、これら二つの場所は人間の、特に知を求める人間にとっては幸福の鍵であるということだった。ただ、自分の場所に坐るだけですぐれた力がわき、他方「敵」は人を弱らせ、死にさえ至らせられるのである。彼は、前の晩にひどく消耗したわたしの力は、わたしの場所で眠ることによって再び戻ってきたと言った。」 すなわち、お前はなぜそこにいるのだという舞台に立つことの根拠に関連して、唐十郎の「特権的肉体」宣言は場所を持たない。むしろ場所を生成するものとしてイメージされているが、OM-2の「孤立稽古」によってむき出しにされてくる身体は、椅子に仮託された場所のなかに、場所によって生成されてくるという決定的な相違点を持っている。演出家のテクストでは、場所は「自然」「旧皮質的な感覚」へと敷衍(ふえん)されていき、ドン・ファンの教えにある「わたしが最良になれる場所」「幸福の鍵」は、宮沢賢治の探し求めた「本当の孤独」=「本当の幸い」として語られている。「「孤立稽古」は、自分の身体をそこに置くことでしか得られない感覚的なものを触るといった、どちらかと言えば「座禅」や能の無限能[ママ。「夢幻能」のことか。]的な境地とかいったものに近いのかも知れません。(中略)「座禅」や「能」などがコンクリートなどの上ではなく、自然の板の間の上で行うのは、人間の旧皮質の感覚を以てして人間の根幹に直接訴え掛けて来ることが重要で、生きている感覚を研ぎ澄ますには必要だからなのです。「孤立稽古」も同様に自然(宇宙)を感じ取り(現実社会とは別の次元に入り込む)必要があります。手の感触や足裏で感じ取る感覚などを含めて、身体すべてが呼応し感じ取る世界…。(ですが、実際には、僕たちは悲しいかな板の感覚など知ることが出来ない無味乾燥とした公民館などで主に稽古しているのですが…。)」ドン・ファンは「ベランダという限られた中にもわたしが最良になれる場所が一箇所だけある」と教える。むしろすべての場所の違いを感じわけることのできる能力を磨くことこそが求められている。けだしこの身体と場所の関係性については、それがどうして幸福感につながっていくのか、演劇論の枠組みをはずしたところで、いくらでも広く、いくらでも深く掘りさげて論じることができるだろう。
© 伽賀隆吾 銀河鉄道の終着駅に用意された「同性愛」に移ることにしよう。宮沢賢治の文学にアプローチする際、演出家に大きなヒントを与えたのは、テレビマンユニオンの今野勉がこれまでにない視点から宮沢文学の謎に挑んだ著書『宮沢賢治の真実~修羅を生きた詩人』(2017年2月、新潮社)であり、数年後のETV特集で、今野自身が制作にあたったドキュメンタリー番組「宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~」(放映:2019年2月9日)だった。番組は、ともに寮生活を送った盛岡高等農林学校(現・岩手大学)時代に出会い、人生の理想を語りあい、文学的な影響を与えあった賢治と保阪嘉内との交友を、資料を駆使して詳細に跡づけながら、詩人を深く苦悩させることになった同性愛の視点に立ってその文学を読み解き、「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「春と修羅」といった著名な作品群にその思慕の影を指摘するというものだった。これらの評伝によって、国語の教科書に出てくるような「雨ニモマケズ」の詩から演出家がイメージしてきた謹厳実直な賢治像が一変した。日本における性的マイノリティの問題に触れながら、「ただ、僕はLGBTQ+やマイノリティなどの人への様々な偏見を社会的な問題として改善するとか、そういった運動を目的にして今回の舞台を創ろうと考えている訳ではありません。(中略)僕が興味があるのは、人間が悩み苦しむことによって行きつく世界に辿る過程、または社会からはみ出さずにはいられなかった身体の変容の先(方向性)、つまり僕の言葉で言えば、「まともに生きるとはどういうことなのか」や「人間の生きる<根拠>」を探る方向なのです」と、単刀直入にその演出意図、演出の方向性を語っている。端的にいうなら、OM-2の演出家は、宮沢賢治を「椅子に座る」という「孤立稽古」を独自のスタイルでなした先人として描こうとしたのである。 性的存在がヘテロであれホモであれ、創作活動の根源に、より広くは生命的な現象の根源にあるものとして性的リビドーを想定するのは、フロイト主義の延長線上にある考え方といえるだろう。前述したように、中央文壇から離れ、東北の地域性に根ざして言葉を紡いでいった賢治文学のローカリティ=場所性は、身体と場所の関係において言葉を根底から構築しなおすような、日本文学に新たな可能性を開く営為として現代に直結するものだが、修羅であることに苦悩する存在という人間主義が前面に出されることで、そうした可能性は見えなくなってしまう。今野勉の評伝をみるかぎり、賢治の苦悩は、友人関係をつづけることを望んだ保阪嘉内に対し、なおもふりきることのできない執着を持ちつづけている自身の姿に、トルストイのような自己犠牲の精神を説く友人の“正義”にくらべようもない醜さを感じ、そのような自身の性のありようを、ギリシア神話に登場する半人半馬のケンタウルスにたとえるなど、最後まで肯定的に受け入れることができなかったところに発している。その意味では、恋愛の孤独地獄と向きあいつづけた賢治は、「春」と「修羅」を等号で結ぶような摩訶不思議な詩を詠んだように、東北の自然という大きな場所性に包まれながらも、そうした自然が一瞬ののちには孤独地獄に反転してしまうような精神状態のなかにあって、最後まで自分の「椅子」を見つけられず、「わたしが最良になれる場所」にすわることもなかったといえるだろう。 『椅子に座る─Mの心象スケッチ─』が採用することとなったこの読解が意味するものは、さきに引用した演出家の言葉にあるように、性的マイノリティであることからくる社会的な疎外を告発するという社会劇ではなく、もっと演劇の本質的な部分に根ざしたテーマ、すなわちこれまで文学的・思想的に解釈されてきた宮沢賢治の作品群に身体を与えたという点に見るべきで、演劇の基底を言葉から役者の身体へと移行させた「特権的肉体論」に通じるテクスト解釈が、演出上の最重要点であったということである。さきに「椅子に座る」稽古が行き着く最後の局面について触れた演出家は、「そこでは「自分」という記号さえ消えていき、ひとりの自然のなかで呼吸をする人間(生きもの)であるという自覚を得るとでもいうか…そんな稽古なのです。でも稽古ではこの辺りまでしか進めません。そして、その後のことは自分の力で考え、自分のやり方で行っていかなければ次には進めません。それは「本当の孤独」との出会いであり、「本当の幸い」との出会いでもあると思っているのです」と述べたが、このことを実際のクリエーションの局面でいうならば、身体には演出できる身体と演出できない身体があるということではないかと思う。ここにこそOM-2の佐々木敦、bug-depayseの野澤健、コンテンポラリーダンスの柴田恵美という、身体そのものが過剰さを帯びて存在するような、ある地点から演出が踏みこむことのできない領域を身体のうちに抱える俳優、ダンサーが本作品に集合したことの意味があり、かねてより演出家が語っていた「異端」という言葉が、どのような存在を名指そうとして発せられていたかがここであらためて──もしかすると初めて──明かされることになったのである。
© 伽賀隆吾 けっして受容することができなかった修羅に苦しみ悶えつつも、そうした自分と向きあいつづけることをやめなかった宮沢賢治を、ただいま現在の舞台において異端の身体に迎えるという本作品を、「行為の演劇」と呼ぶことができる。構成面では、時計的な時間軸をたどって物語が進行していくのではない複雑さが最大の特徴だ。ふたたび演出家の言葉。「公演では、宮沢賢治の作品の中から取り出した文章によるシーンと、現代人が居場所を探る行為を同時(順)に舞台の上に乗ります。大正時代から戦争を繰り返した時代、学生運動などを経ての身体に残る記憶と現在が交差するように構成しました。」実際にも、公演中には、ダンスがはじまる場面でホリゾントに「現在進行形」の文字が投影され、演劇時間のたえざるワープで観客の頭が混乱しないための工夫がなされていた。さらに加えるに、賢治の言葉を引用してのセリフも、童話や詩の断片が順不同であらわれるだけでなく、実人生のエピソードと地つづきに語られるので、その全体は「心象スケッチ」とでも呼ぶしかないものになっている。方法論的にみるならば、まとまりのよい複数の「心象スケッチ」を束にして、ステージに立ついくつかの身体に分担して背負ってもらうような「身体/言語」構成がとられたといえるだろう。以上のことをふまえながら、ポストドラマ演劇の性格が強い本作品を、場面構成──ちなみにこの「場面」も、ここで説明のために使用している便宜的なもので、個々の「孤立稽古」のならびがクリエーションの過程でどう呼ばれていたかはわからない──を順に追ってていねいにみていくことにしよう。 作品は「椅子」を共通テーマとする9つの場面から構成される。 (1)【プロローグ】ステージ正面に吊るされた正方形のスクリーンに大きな顔が映し出され、観客に挨拶をする。顔の当人(飯川和彦)が語り部となってステージに登場すると、観客席を教室に見立て、宮沢賢治のことを知らない観客のために文学の豆知識を披露しながら、『風の又三郎』の授業風景を思わせる「体育の授業」で会場とラジオ体操第一を踊って身体をほぐす。それにつづく「国語の授業」では、観客のなかから読み手を募り、パンフレットの一部をリレー朗読してもらって本公演への橋わたし役を務めた。来場者がものおじせず朗読に応じたところは、OM-2の演出を知る観客ならではというべきだろうか。鐘が鳴って授業終了。銀河鉄道にイメージ連鎖する汽車の走行音が響くなか、正面に吊りさがったスクリーンは天井に向かって垂直から水平へと機械移動していった。この裸形にされた舞台装置のメカニカルな感触も、OM-2ならではといえるだろう。 (2)【柴田恵美の群舞1】ホリゾントが青く染まり、あたりにスモークが立ち籠めると、三々五々ステージに登場してきたダンサーたちは、動きを伝染するようにして少しずつ足踏みをはじめる。ステージ中央、観客席前に立ったふたりが、前屈して力なく両手を垂れたり、左右に揺れたり、左手を床につけたりするユニゾンをするうち、メンバー全員が足踏みを揃えるようになり、前方を向いたり、下手側を向いたりして身体の方向を統一しながら、出来事のはじまりを前に、観客の感情を沸き立たせるように床を踏み鳴らす。オーケストラの前奏が「星めぐりの歌」へと移っていく。暗転。大きくなる汽車の走行音。
© 丸山雄二
(3)【佐々木敦/宮沢賢治の登場】雨の映像がステージ全体をおおって投影され、まるで現実の陰画のよう。雨が降りしきる音。稲妻の光。蝙蝠(こうもり)傘をさし、旅行鞄を持った佐々木敦/宮沢賢治が登場すると、上手に歩いていく姿を見送って暗転。 (4)【夏服の女たち】壁に「春・初夏」の文字。白いパラソルをさした涼しげな夏服の女たちが、上手から下手へ、下手から上手へと往来する。女(丹澤美緒)のひとりが咳きこんで傘を落とすと、ステージに残っていた佐々木は旅行鞄を床に置く。女が倒れる。佐々木だけを照らすスポット。暗転。ここで扱われているのは、肺結核を病んだ妹とし子であろう。その道ならぬ恋の苦悩を負うべき身体が見つからなかったためか、本公演で大きくとりあげられることはなかったが、とし子が若くして病に倒れたことを、作家の視線を借りて美しいイメージのなかに描き出した場面と思われる。妹とし子のテーマは、この場面だけでなく、そのいくぶんかが後続する柴田恵美の群舞に移され踊られたかもしれない。
© 丸山雄二
(5)【柴田恵美の群舞2】「現在進行形」の表示。ダンサーが椅子を持ち出してすわる。白く輝くホリゾント。身体をまっすぐ横に伸ばして椅子のうえに横寝するダンサーたち。その姿勢のまま、うえになった左足をあげ、右足もあげて形を作る。頭は下に傾いていき、やがて床に接触する。椅子から落ちたダンサーがバラバラと後転していく。佐々木はステージに残って叫ぶようにかけ声をかけている。メンバー全員が一瞬静止したり、椅子の台座に頭を乗せて眠るようにしたりするユニゾンを入れながら、床に倒れる動きをくりかえしてダンスが進行する。椅子にすわったメンバーが2人ずつの組で踊ったあと、全員が床に落ちて暗転。ダンスのしぐさから、肺結核で病床に臥せた妹とし子のベッドが、椅子に見立てられものと想像される。 (6)【銀河鉄道の夜】佐々木敦/宮沢賢治が旅行鞄を床に置く。まるで旅芸人の手品のように、そのなかから上半身を突き出した野澤健/保阪嘉内は、椅子にすわる佐々木と対話をはじめる。セリフは『銀河鉄道の夜』でサザンクロス駅まで旅をしていくジョバンニとカムパネルラの会話からとられているが、それぞれの言葉をそれぞれに発するふたりの間に対話は成立していない。物語が賢治のモノローグだからといってもいいが、演劇的には、それぞれの「孤立稽古」をならベた場面だからということもいえるだろう。野澤がふたたび旅行鞄のなかに姿を消して口が閉じられると、蝙蝠傘をさした佐々木の頭にカラフルなゴムボールの雨やコンフェティの雪が降り注ぐ。「僕はひとりの醜い修羅だ。よこしまなケダモノなんだ。」という本作品における核心のセリフが語られる。自分の胸や頭を強く打ち、足を踏み鳴らし、叫び声をあげ、手を打ちたたく佐々木敦/宮沢賢治の孤立/孤独。苦悩の表現でもあれば、パフォーマンスでもあるダブルミーニングを背負った場面である。姿を消したカムパネルラにむかい「君のいるケンタウルスだ。君のそばまでかならず行く。」とジョバンニ佐々木が連呼するなか場面は暗転する。
© 伽賀隆吾
(7)【風の又三郎】天井から吊り下がってくる椅子。演者たちによって運びこまれる椅子。ホリゾントに10脚の椅子が並べられ、生徒たちがすわる。椅子のうえには、ひとつ置きに、これも子供たちをかたどったとおぼしき3体のトルソーが乗せられる。群読で語られていくセリフは『風の又三郎』から取られ、「どっどど どどうど どどうど どどう」の合唱が印象的だ。教師は生徒たちに「カムパネルラが山梨の学校からやってくる。遊んでください。」と告げるが、童話の主人公「高田三郎」は「カムパネルラ」になり、転校してきたのは北海道ではなく保阪の出身地である山梨になっている。虚実は入り乱れ、心象スケッチにおいて虚構と現実は入れ子状になり、区別がつかない。授業開始の鐘が鳴ると、風の吹きすさぶ音がして、舞台に自然の息吹きが流れこんでくる。車椅子に乗った野澤健/保阪嘉内は、風のように全速力でステージを走りまわる。生徒たちは野澤/保阪を車椅子から落とし、床に転がすが、野澤/保阪はふたたび車椅子に戻り、風になって全速力で走りまわりながら、生徒たちとコール&リスポンスでセリフをいっていく。佐々木/宮沢がホリゾントを歩いて上手端に立つ間に、野澤/保阪は、椅子のうえに置かれていたトルソを床のうえで口を開けた旅行鞄のなかに入れていく。旅行鞄はまるで異界への出入口のよう。生徒や先生たちも次々に旅行鞄のなかに消えていく。ステージ上手でひっくり返った野澤/保阪は、旅行鞄まではっていく。顔が赤く塗られているのは、盛岡高等農林学校で賢治と作った小演劇『人間のもだえ』で、全身を赤い衣装で装い、顔を赤顔にした全能の神アグニを保阪が演じたエピソードにちなんでいる。床をはう保阪が、旅行鞄のなかに消えていく直前、「賢治、賢治さん」と呼ぶと、上手の佐々木/宮沢が「ぐわっ」と笑う。暗転していくなか、キャンドルライトのようなたくさんの電球が天井に吊りあがり、星空が出現する。
© 大洞靖博
(8)【柴田恵美の群舞3】「現在進行形」の表示。グリーンの光があたりを染め、スモークが立ち籠める。観客席前まで出た赤い短パン姿のダンサーたちは、上着を脱いでアリーナに落とすと、背中向きに椅子にすわり、片足ずつをうしろに突き立てて芯のそろったリズムを打ち鳴らす。やがて何人かが椅子から転げ落ちる踊りをくりかえしはじめる。ユニゾンで上体を床に打ちつける響きがリズミカルなビートを刻んで、椅子を使った作品を踊るときのバットシェバ舞踊団のような勇壮さを生む。何度となく床に転倒する動きは、人間関係で苦悩していた賢治の煩悶に通じているだろうが、ダンサーたちの群舞は、そうしたこと以上に、人間の世界から解き放たれていく身体のありようを感じさせた。ここにあらわれているのは、ダンスによって解き放たれた動きの粒子が、宇宙的なイマジネーションの世界へ飛びたち、これまで地上に縛りつけられてきた性を解き放っていく行為であり、(4)に登場する妹とし子の清涼なイメージともども、演出家が密かに抱いているダンスする女性身体への希望なのではないか。 9)【エピローグ】汽車の走行音。冒頭に登場した語り部の声がふたたびして、「これにてあなたの銀河鉄道の旅は終わりです。」と終演を告げる。舞台は青に染まり、出演者たちは椅子や床に腰を下ろして動かずにいる。「星めぐりの歌」の歌声が聞こえてくる。 細々と報告してきたが、以上に見られるように、総合演出を担当した真壁茂夫の演出が届かない先で、「孤立稽古」を経た3つの身体は固有の風貌を見せ、それぞれの椅子から宮沢賢治の修羅をまなざしている。社会的に担わされたすべての属性を捨てていった先にある<個>にフォーカスしながら、なおもそこにある女性身体と男性身体が見せる世界観の違いは決定的だ。それを演劇身体と舞踊身体の歴史的・文化的な差異がもたらすものということもできるだろう。「特権的肉体論」の延長線上にある存在の「核」のワンネスと、複数の身体をひとつのものとしてまとめあげていく群舞のワンネスの間にある相違。地上的な男性身体と天上的な女性身体の相違。地上から見上げる星空と天上から見下ろす大地の相違。身体を身体たらしめる場所の相違は、椅子が置かれる場所の相違に等しい。宮沢賢治の文学は、いまも銀河鉄道に乗ってケンタウルス祭の夜を走っている。わたしたちの現在は、いったいどの駅までたどり着いたのだろう。これはひとつの解釈になるが、演出家が「大正時代から戦争を繰り返した時代、学生運動などを経ての身体に残る記憶と現在が交差するように」と、時代をワープする作品構成について書いていたこと、ダンスの場面で「現在進行形」の表示がなされたことなどを考えあわせると、それらは時代を相対化する意図に発したものというより、連綿とつづく「異端」の系譜のなかで、踊る身体こそが現在地点にある「核」を持った身体存在/身体表現であり、希望を託すに値するものとして描かれたのかもしれない。このとき演劇は、タンツ・テアターの本質において舞台芸術を思考しているといえるだろう。 OM-2『椅子に座る』HP INDEXに戻る |