台北木偶劇団」と日本伝統の糸あやつり人形劇団「結城座」による日台共同の特別人形劇により人形劇公演「台北木偶劇団×十三代目 結城孫三郎・三代目 両川船遊×佐藤信 布袋劇 劈山救母(ヘキサンキュウボ)」が上演されみることができた(2022年9月4日)。
3組の団体はそれぞれのジャンルのトップアーティストたちだ。佐藤信は黒テントなどで知られている戦後日本を代表する演出家だ。結城座は長年江戸人形劇と取り組んできたが海外の演目や現代にも取り組み長い歴史の中で試行錯誤を重ねて生き抜いてきた。台北木偶劇団は台湾で良く知られた団体である。
この舞台はオリンピックの関係で数年前に企画されたものだが、コロナ禍などの影響でようやくまとまった。アジアの舞台芸術の交流として興味深い内容である。背景には台湾と日本の文化交流がここしばらく盛んになっていることがある。その成果に客席は沸いた。
台湾の台湾語の文化の中では布袋戯は重要な位置を持っているシンボリックな存在だ。台湾語を話す台湾南部の文化の中でも重要な位置を持つ。時代と共に変化を遂げて現代へ伝わっている。台湾を代表する映画監督の候孝賢の台湾映画「台湾、街かどの人形劇」や「戯夢人生」の中にも登場する。
台湾語を用いる台湾人形劇では人形師は普通の人形も操る。だから台湾人形劇の側から江戸人形劇の結城座に関心が生まれこの作品が作られることになった。佐藤信と台湾の人形劇が一緒に作品を制作した。
初は日本の人形劇の場面からはじまる。2020年代の日本人から見た人形劇はノスタルジーの対象ですでに過ぎ去った昭和の子どもの文化である。かつては街角やお祭りの時に子どもたちは人形劇を楽しむことができた。 人形劇は現代人の一般的な日常の中ではそれほど重要視されていない。
そこに佐藤信も登場する。彼は子どもの時から物語や宮沢賢治などが好きだった。「西遊記」などアジア的なモチーフを通じた創作や、アジアとの交流も行ってきた。そんな佐藤は子どものころから人形劇が好きだったことを舞台の上で語ってみせる。
今度は台湾の人形劇が登場する。そして台湾と日本の間で同じ人形劇ということでシンパシーが生まれる。台湾人形劇の源流は福建省などとされる。現代台湾の社会生活の中でも人形劇は文化として社会的に一定の位置にあり人気がある。同じアジアの人形劇から日本のそれは活気をもらっているような印象も受ける場面だ。
交流としてお互いの表現が交差し、やがて今度は台湾人形劇へと連なっていく。台湾人たちによって上演される“台湾語による人形劇”である。この講演のタイトルは「劈山救母(ヘキサンキュウボ)」というテーマは山を拓いて母を救うという意味だ。伝統的な演目の一つであるが、その世界がここで大きく東京の観客に向けて紹介される。これは台湾の現地の文化としての意味もある。このシーンの台湾人形劇でみられた人形が飛ぶ場面は日本の人形劇にはないものだ。
© 大洞博靖
やがてこの台湾人形劇と日本の人形劇のコレボレーションの場面になる。結城座に対して台湾人形劇でも操り人形は大事ということで台湾と日本の人形劇の交流の接点が生まれたという。そのシンパシーから生まれた相互の表現が交流する場面である。非常にシンプルなつくりの作品である。日本の演劇の中の人形劇と台湾のそれの空間の交差がみえる。アジアの人形劇の交流へ開かれた。そこからお互いの発想が始まっている。日本の結城座はアジアの伝統芸能の現代表現に取り込みその幅を広げてきた。佐藤もまた現代演劇の表現に挑んだ。その一方で台北木偶劇団は台湾の側は日本時代も生き抜き民衆の生活や現代社会の中にもある藝能として力強くその両者をまとめながら自らの表現を展開する。
トランスカルチャーなテイストがある作品だ。そこから物語が立ち上がっている。人形劇を介したアジアの舞台芸術のブリコラージュといえるような内容で見逃せない力作だった。
この作品では人形劇でありながら人形を操る人間の姿も舞台に描きこまれる。これは結城座や佐藤による現代演劇の手法を用いた演出から生まれてきたものである。セリフを通じてそれぞれのキャラクターたちの生きざまや存在が描かれたレベルの高い上演となった。ここに着眼したこの作品は伝統ある台湾文化と日本の交流を示している。
江戸は現代からみた時空を隔てた架空のものである。“藝能”という概念を考えた折口信夫は文芸研究や民俗学のみならず活動の中で作家や評論の立場でも近代日本の演芸に接していた。折口は伝統芸能をみていた記録が多く、彼の藝能論は新保守的に機能するところがある。折口は人形の起源を遠く古代に求めた。我々は2020年代の新時代の中で新保守ではなく、その系譜を再考し新しい舞台芸術や表現芸術の概念と理論を考えることが求められている。アーティストの側は理論に先駆けてお互いのインスピレーションから人形劇の未来像を示している。
著者プロフィール:
吉田悠樹彦(よしだ・ゆきひこ)/ダンス批評家
舞台芸術ではバレエ・ダンスからパフォーマンスに至るまで身体表現に関して評論活動を展開する。舞踊ジャンルではコンクールの審査や芸能賞の選考に携わる。
メディア芸術ではレニ・リーフェンシュタール論を新しい科学と芸術のジャーナル『Technoetic Arts』(ロイ・アスコット編)に発表しPrix Ars Electronicaデジタル・コミュニティ部門国際アドバイザー(2005-2009)を務めた。映像ジャンルでは東京ドキュメンタリー映画祭やドキュメンタリーカルチャーマガジンneoneoで活動する。
共編著のneoneo叢書「ジョナス・メカス論集」(2020)「アニエス・ヴァルダ論集」(2021)、Routledge Companion to Butoh Performance(2019)、20世紀舞踊研究会編「修訂版・20世紀舞踊」(2021)他 著作多数。