Special Interview Vol.027
code20xx インタビュー
code20xx インタビュー








































code20xx(コード・トゥエンティー・ダブル・エックス)

振付家/ダンサー。独自のドラマトゥルギー「身体の連想ゲーム」で空間のダンスを紡ぐ。制作テーマは「主体と客観を行き来する身体、そして存在」および「環境とのインタラクション」。「イスタンブール・ダンス・フェスティバル2007」ソロ公演(garajistanbul/イスタンブール)、異ジャンルとのコラボレーション「そこにある身体シリーズ」(RAFT/東京)、身体表現ワークショップ「誰もいない美術館で vol.15」ゲスト講師(世田谷美術館/東京)など。
ICiT(Independent Choreographers in Tokyo
)発起人。  http://www.ne.jp/asahi/no/sense/



Q. プロフィールにもありますが、独自のドラマトゥルギー「身体の連想ゲーム」について教えて下さい。

A. 私の作品はコンセプチュアルではありますが、振りの一つ一つは非常に感覚的・直感的に生み出され、選択されます。それは言葉を超えた身体を信じていますし、そういった身体を見たいからです。 表現のメディアとして身体を用いるからには、身体でしか語れない、より普遍的な物語を生み出せたらと考えています。コンセプトに基づいて用意された環境やルールの中で、その瞬間に身体はどのように在るか、在りたいか、在るべきか、思考は主体と客観を行き来しながら、身体の動き・在り方を選択します。同様の作業を繰り返し、積み重ねていくのですが、ひとまず空間に身を置くと、身体は環境の構成要素の一つとなって次の瞬間のモチーフとなっていくので、この作法を「身体の連想ゲーム」と名付けました。言葉に頼らないからこそ間違いのない(正解もありませんが)リアルな物語が紡がれるのではないかと考えています。「脈略のない脈略」とも言えるかも知れません。おそらくこれはダンスの特権ですね。それは観客の想像を超えるばかりでなく、作り手にとっても常に新鮮でわくわくするダンスと出会うことが出来ます。

Q. 具体的にはどのように作品を作るのですか。

A. シーンの構成から決めていくことが多いです。起承転結ではないですけど、文章を書く時もただ書き始めないですよね。とりあえず思いのままに書いてみたとしても、やはり伝えるための構成が必要になってくる。作業の順序は前後するとしても、最終的に作品にとって「構成」は非常に重要だと考えています。アイデアの面白さを最も効果的に伝えるために、作品を最大限に楽しんでもらうためにどうするか、まずは構成案から入ります。それは何をどのように伝えたいかをクリアにする作業として有効です。振りに関しては「身体の連想ゲーム」で紡いでいくのですが、方法論とコンセプトの共有を大前提として、基本的にはダンサーのインプロから立ち上げていきます。各ダンサーがコンセプトをどのように解釈し、その記憶や経験、身体の特性をもってどのように表現していくのか、そこに出現する動きは振付家の想像をも超えていきます。そうした動きを振りへと起こしていくのですが、こういったダンサーとの作業から生まれる客観性の交流が、作品をより普遍的で説得力のあるものにすると考えています。

Q. ダンサーが動きを考えるということでしょうか。振付家の仕事・ 役割をどのように考えていますか。

A. 端的に言えば、作品の世界観を担うのが振付家の役割だと思っています。その仕事に関しては、実際のところ振付家によって多種多様なのではないでしょうか。code20xxの場合は、一貫したテーマとドラマトゥルギーがあり、作品ごとにコンセプトがあり、 それをダンサーに伝えることが振付家の仕事になります。そこからダンサーは個々の身体をもって解釈し表現していく。それがダンサーの仕事になります。テーマとドラマトゥルギー、コンセプトをダンサーに伝える際に、言葉を用いる場合もあれば、予め用意した「振り」を用いる場合もあります。言葉を用いた場合には、動きは個々のダンサーから生まれることになりますが、動きのフレーズ一つ一つに意味やメッセージがこめられるわけではないので、それが例えダンサーのインプロであっても、振付家の世界観はクリアに出現しますし、ダンサーの解釈を経ることで、より普遍的に表現することが出来ます。クレジットを見るまでもなく、作品からcode20xxの振付だと分かるような世界観を確立していきたいです。

Q. code20xxの世界観とはどのようなものですか。

A. 枯山水を眺めるのが好きなんですけど、作庭の前提としてあったはずのテーマやストーリーが究極まで抽象化され、最終的に万物を超越するというか、万物を許容するというか、あの懐の深さは言葉では言い尽くせない感動があります。恐れ多くもあえて言うなら、 そういった普遍性が理想です。身体を環境要素の一部として見るのも、そもそもアニミズム的な視点からすれば、ごく自然なスタンスなんです。身体をモノ化するというより、環境に対して対等な身体、傲慢でない身体と捉えています。枯山水が連想させる宇宙は、 時に壮大すぎるかも知れませんが、身体と環境が共存し、その相互作用によって生まれる「空間のダンス」は、より身近な日常の時空間とシンクロすることが出来ると考えています。観客が個々に自身を投影出来るような、普遍的で懐の深い作品が作れたら幸せですね。

Q. 予め用意する「振り」に関して、それはどのようにして制作されるのですか。

A. コンセプトによっては、ダンサーに伝える前に、私自身の身体を通過させることがあります。ここでも動きを立ち上げる際には「身体の連想ゲーム」を用います。そしてそれを「振り」としてダンサーへ伝達するのですが、言葉であっても「振り」であっても、それを解釈して表現するというダンサーの仕事に変わりはないですし、振付家の仕事も伝達手段が変わるだけで基本的には同じだと考えています。どちらのメディアを使うかは、コンセプト次第ですね。

Q. いわゆる「振り付け」をするのが振付家の仕事というのが一般的な認識だと思いますが。

A. それを定義するのは難しいと思います。コンテンポラリーダンスにおいては方法論が多様で、振付家によって異なります。そのどれが正しくてどれが誤っているというようなことは、ジャッジすべきではないと思いますし、ジャッジしようとすること自体がナンセンスです。どれも比べることの出来ない仕事だと思いますし、あえて問うなら、その仕事の質の部分ではないかと思います。そういった意味で、コンテンポラリーダンスは「なんでもあり」という認識は間違っていないと思いますが、そうした「なんでもあり」のなかで、やはり自身の方法論を真摯に追求すべきなのだとも思います。
個々にその独自性を追求し、クオリティーを高めていくことが、ダンス・シーンを広く開放し、盛り上げていくことに繋がるのではないでしょうか。

Q. そういった思いはICiT(Independent Choreographers inTokyo)の立ち上げと関係しているのですか。

A. 閉塞的なダンス界の現状を受けて、劇場やキュレーター、批評家など、ダンスに携わる各方面から、ダンス振興への様々な取り組みが為されています。そうした中で、作家の立場で出来ること、やらなくてはいけないことと言えば、ダンスを面白くすること、面白いダンスを発信していくことだと思うのですが、実際は創作に集中する環境を整えることさえ厳しい状況です。まずは集中してリサーチやクリエイションに励むために、拠点となる「場」を持つことが必要なのではないかと考えました。そうした「場」を同時代の作家と共有し、刺激し合い、高め合っていけたらと考えています。今すぐに劇的な影響力はないかも知れませんが、じわじわとダンス界に貢献していきたいですね。開かれた「場」として、多様な価値観の交流と共存を図りながら、ICiT周辺は面白いよ、といったことになると良いなと思います。今後も継続的・発展的な活動を目指します。 http://www.ne.jp/asahi/no/ sense/icit.html

Q. 最後に、今後の展望を聞かせて下さい。

A. 2005年から「trans-mission」というキーワードで制作を続けています。ソロ作品から始まり、デュオ作品、そして現在はグループ作品に取り組んでいます。この一連の制作がどういった終着点を迎えるのか、あるいはライフワークのように限りなく展開していくのか、私自身とても楽しみにしています。制作に付随して、 「身体を見る方法」というワークショップを行っているのですが、 参加者と方法論を共有しながら、研究を深めていきたいです。ワークショップを通して、より多くのダンサーと出会いたいですし、一般の方に対しても、身体を実感し、ダンスの面白さに触れてもらえるような機会として展開できたらと考えています。現代社会においては、身体の実感が希薄なために様々な歪みが生じています。そうした現状を受けて、今後ますますダンスの担う役割も大きくなってくるのではないでしょうか。具体的にどのようなことが出来るのか、広く意識を開き、活動を続けていきたいです。


ありがとうございました。

次回公演

code20xx 『タイトル未定』

ダンスがみたい!12 参加
8/13(金)
※吉本大輔さんとの二本立てです。


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