interview no.120  東雲舞踏
 



東雲舞踏とは
2000年、和栗由紀夫+好善社出身の川本を中心とした女性ダンサーで作られたユニット。
刻々と色が変わる夜明けの空の様に、機に乗じて変化しながら、ひと時も止まらず歩んで行くことを信念に、国内外問わず活動している。

川本裕子
舞踏の創始者、土方巽のアスベスト館で和栗由紀夫から土方舞踏を9年間学ぶ。
土方舞踏の特徴のひとつである変貌することに加え、身体に起きる出来事を具体化することが川本の舞踏スタイルである。
海外のフェスティバルなどに振付家として招聘されること多数。近年では「Asia Butoh Tree Project」と称する、アジアにおける舞踏の普及活動を行い、世界初となるアジア人の舞踏グループを創設する予定。

★東雲舞踏・川本裕子さんに聞いてきました!

    今年舞踏生活25周年だそうですが。

はい、舞踏を始めて四半世紀です 。
でも、舞踏の世界で25年以上続けている先輩方はたくさんいらっしゃるので、年月のことは考えたことありません。それよりも芸を磨くことで精いっぱいでした。
私はあまり過去を振り返ることがなくて、過去のこと聞かれてもすぐに答えられないんです。猪みたいに前に進むことは得意ですけど。この機会に振り返ってみるのもいいかもしれないですね。

    舞踏を始めたきっかけは

名古屋の実家にいた17歳の時、テレビで白虎社の夏合宿のドキュメンタリー番組を観てひどく感動して。その日以来、舞踏のことで頭がいっぱいになりました。翌年の合宿に参加したいと親に相談しましたが、許してもらえませんでした。母にとっては、白塗りで頭を剃って不思議な踊りをしている娘の姿を想像することは、耐えられないことだったようです。驚きと怒りの入り混じった母の顔を今でも覚えています。
名古屋で舞踏をやっている人がいなかったので、その後はどうやって家を出て舞踏を始めるかということばかり考えていました。図書館に通って舞踏の本やビデオを見て悶々としていましたね。振り返ってみると、この名古屋での2年間、もどかしい思いをしたことが今まで舞踏を続ける原動力になっているのかもしれません。

    そして上京後、和栗由紀夫+好善社に入ったのですね。

実は私、和栗さんのことは知らなくて、他の団体に入るつもりで上京しました。でも、その団体の稽古に予約を入れて参加しようとすると、いつも急用があって行けない。そんなことがひと月ほど続いて、さすがに電話も掛けづらくなり、どうしようか悩んだ末、アスベスト館へ行くことを思いついたのです。とにかく舞踏がやりたかったから。で、たまたま行ったのが和栗さんのワークショップでした。ワークショップが終わった後、和栗さんが「今度公演あるけど出るか?」と声をかけてくれました。大興奮でした。初めてワークショップを受けた私が、作品に出られるなんて。その時はすぐにでも眉毛を剃る勢いでした。舞踏家は眉を剃るものだと思っていたので(笑)。
これをきっかけに9年間、和栗さんの下で舞踏を学びました。


    好善社での生活について、教えてもらえますか?

そのころは、年間何本も公演があったので、ほぼ毎日のように稽古していました。 稽古は夕方6時から10時まで公共施設で、そのあと師匠の家で行われます。お酒を飲みながらになるので滅茶苦茶でした。今では考えられないですよね。4畳半の狭い稽古場で多くのことを学びました。なにせ逃げ場のない空間で、体に出た嘘はすぐにばれ、灰皿が飛んでくる訳ですから毎晩真剣勝負でした。
この頃は、他の人のワークショップに参加することや他のグループの人と交流することはできませんでした。最近、20年以上挨拶しかしたことのない同世代の舞踏家さんで、ようやく話す機会があったのですが、お互い何から話していいかわからず笑ってしまったなんてことがありました。
厳しい時代でしたが、集中した密度の濃い9年でした。

それから心に残っていることがあります。それは、舞踏を始めてすぐの頃です。私が師匠のことを先生と呼んだのです。和栗先生って。そしたら和栗さんが、自分にとって先生は土方先生と大野先生しかいない。だから自分のことは先生と呼ぶなと。しびれました。そしてそういう敬意の払い方をかっこいいと思ったし、舞踏家として大切なことのひとつだと教えられました。土方先生や大野先生を心から尊敬していることがとてもよくわかったので。自分もこういう舞踏家になりたいと思った出来事でした。今でもその想いは変わりません。和栗さんの弟子で良かったと思っていますし、和栗さんは間違いなく私の先生です。

    ではなぜ独立を?

タイミングもあったと思いますが、方向性の違いでしょうか。
それまでは、今でいう土方メソッド、土方先生の振付で作品を創っていましたが、その頃から和栗さんはご自身の舞踏を探求し始めて。そしたら自分もなんだか自分の道を歩みたくなったのです。この先は行く方向が違うのかなぁって。それで独立を決意しました。

   

    東雲舞踏とはどういう意味?

東雲とは、東の空が明るくなる夜明けのことをいいますが、古語で『闇から光へ移る夜明け前に茜色に染まる空』といった意味があります。生意気なのですが、その頃、日本で舞踏の存在感が薄くなっているように感じていました。舞踏は日本で発祥したのだから日本で盛り上げるべきだと、使命感みたいなものがふつふつと沸いてきたのです。暗黒舞踏の陽を自分が昇らせてやるみたいな。
暗黒の闇は夜明けに繋がり、太陽はやがて闇となる。舞踏をやっていて一番わからなかったことは死でした。死を理解するには若すぎたのだと思います。それで、今この生を楽しむことが必要だと考えるようになったのです。だから、今を生きる舞踏を目指そうと。グループ名というより決意みたいなものです。
東雲舞踏を名乗って16年、舞踏と向き合う姿勢は変わっていません。16年前の自分と今の自分とでは随分違っていますが、これからもその頃と同じように「舞踏とは何か」を追求していきたいと思います。

    ありがとうございました。

ありがとうございました。

   

東雲舞踏
『ささらもさら』
日程 > 9/2(金)~4(日)
ykb289@yahoo.co.jp

9/2(金)19:30
3(土)18:00
4(日)15:00