「ダンスが見たい!12」総論 宮田 徹也

 今回の企画は、モダン、コンテンポラリー、舞踏と多岐に亘り、若手からベテランまで出演し、2010年のショーではない前衛アーティスト達が集結したと言っても過言ではあるまい。30分以上の公演の後、ダンサーが「何故、私は踊るのか」を独白する姿には舞台と異なる迫力に満ち溢れた。

 その中で私が最も注目したのは、「何故、私は踊るのか」という問いに「今」が抜け落ちた点である。私はダンサーの独白に、「著名になりたい、名誉が欲しい、踊りで生活したい」という答えを期待した。それが虚構でも構わない、それによって現代のダンスの意義が浮き彫りになると確信していたためだ。しかし、テレビに出たい、大学教授に就きたい、金持ちになりたいという話は一切出てこなかった。これは「今」という語彙が無いために発生した事態だと考えている。「今」、それが超歴史的な背景でもいい、個人史でも構わない、自己が存在する立ち位置を踊りによって明確にする必要があるのだ。戦時中に自由な振付など許される筈がない、闘病中に踊れるわけがない、「今」ここでこの舞台に立っている、そして自己の振付で自由に踊れる、それがどれだけの価値を持つのか。そこまでダンサーは考察し、観客と意識を共有すべきであると私は考えた。

 それにしてもこれだけのダンサーが出演すると、「分類」が意味をなさなくなる。それでも依然として、「分類」は強大な力を発揮する。「分類」によって、そこに所属する権威が発生するためだ。この「分類」を取り払い、個々が自立した作品を展開することがこれからのダンス界に重要な視点であろう。それによってダンス界に止まらず、演劇、美術、音楽、デザインとリンクしてそれぞれの世界に対し広くダンスの窓を開けることができるのであろう。すれば「文化」の裾野は広がり、更なる作品の展開が望まれる。勿論、それはこれまで繰り返しては敗北した。だからこそ再び挑戦しなければならないのだ。「今」に対して。

この評は私の主観から逃れることはできない。そのため、舞台のディスクリプションと発言は事実と異なる場面が発生するかも知れない。しかしそれが私の「今」の姿であることを了承願いたい。


28日

南阿豆

闇の中、南は右手に赤い提灯を持って膝を深く屈め歩む。中央で提灯を畳むと、蝋燭が揺らめき後方壁面に影を創り出す。膝を曲げ、農民のような土着的動作に終始する。蝋燭を手で包み、光を落とす。右奥にスポットが当てられ、南は後方壁面に逆立ちする。身を戻し、突如走り出す。光を求めて。赤と黄のライトが点滅する。体をしゃくり、「握手してください」と客席に飛び込み、戻って痙攣する。客を舞台に招き、45分の公演は終了する。

南は他者と繋がることが、踊りの目的だという。「田楽」という語彙を好む。芸能の楽しみを伝えていきたい。踊る場所を選ばず、しかしそこの価値を感じながら様々な場所に出現したいという。繋がることを目標とすることは、通常は繋がっていない状態であることを示している。その切り離された空間を他の何ものかと「連結する」ことで安心感を得るだけでは事足りないのではないだろうか。自らが発生することを意識して欲しいと感じる。

南にとって、「舞踏」と「土着」と「個人」の分別がついていないように感じる。様々な電子音と照明を駆使して舞台を創り上げることに必死となっているのだが、根源に何を据えるのかによって、その作用は著しく変化する。その点に対する自覚がなければ、「踊る」意義が発生しなくなる。この点を満たすことによって、観客という外部が初めて存在するのだ。観客を舞台に招くことを、私は良しとする。しかしそれが始まりではならない。

相良ゆみ

舞台にパイプ椅子、スタンド、傘が置かれている。右奥にアンリが座る。後方壁面からビニールで包まれ、LP盤を片手に持つ相良が床を伝う。アンリのアコーディオンが鳴る。相良はビニールを破き、床を這い体を揺する。着実に立ち上がると音が止まる。扉の奥に消え、男性用の下着を上下に身につけ、再び登場する。足の指先にはビニールを引き摺っている。暗転を挟むと白いスカート姿になっている。椅子に腰掛け体を揺るがし昇っていく。

相良はこの作品を、P・バウシュと大野一雄に捧げたという。創った個人と外から与えられたもの。それは光や音、鼓動を合わせるような感覚である。これからも踊り続ける。自分には未だ舞踏が足りない。それでも大野が残したものを無碍にせずやりたい。このように語った。相良は自己の舞踏を探求する過程で常に師の舞踏を振り返り、原点に立ち返っていこうとしている。その姿勢は相良個人から発生するものであり、舞踏とは関係しない。

大野一雄の稽古場の庭の中で、大野の下着を身に纏い踊る相良に感傷は一切ない。相良は先ず自らと大野一雄を完全に分離して考えている。アコーディオンとの乖離しながらも見事に調和するデュオがそれを物語っている。座る相良の目先には、未来しかない。つまり、未来を見据えている。これが相良の舞踏なのだ。相良は死を知っているのだ。最終場面の上昇こそ、過去へ遡っている姿に他ならない。感情が舞踏を超える。35分は瞬間だった。

30日

木檜朱実

持続的電子音が止まると客席入口から入り柱の横で止まっても、無音の中、膝を曲げて歩み続ける。腕が互いの腕を掴む。同じ振付を繰り返す。足を踏み鳴らし、跳ぶ。旋回を交え、動きの速度を緩めていく。床を転がり座る。四足で移動する。手を伸ばしては事切れる。電子音が鳴っては消える。足を揃えて踏み締めると、はじめてライトが明るくなる。腰を引き上げ、左腕を上に翳し、下げた右手を軸に回ると暗転する。42分の公演であった。

木檜にとって「何故、踊るのか」は膨大なテーマである。今回の作品のモチーフは「醗酵」であり空間の変化である。無音が多かったのは体を見せたかったからである。肌の触感、皮膚の感覚、それらを感じて貰いたかった。場所を大切にし、場の言う通りにしたい。感覚を確認してから動きたいという。淡々と語る内容が感覚的過ぎる。その感覚を何処に還元するのか。その点に注意を払えば、木檜が求める場所に近づけるのではないだろうか。

禁欲的な構成はミニマルというよりも、動物の習性のような生きるための行為を感じる。意味を見出す前に意味を発生させるダンスは素晴らしい。その反面、ふとした瞬間に緊張感が崩れるような錯覚が生じる。即興と振付の中間を縫うような公演では、このような瞬間が迂闊とも恣意とも受け取られてしまうのだ。それを避ける方法は、揺るがない概念を備えることだろう。体から発生する概念と体に戻る概念が等しいときにこそ、達成される。

岩淵貞太

眩しい光の中、右奥に立ち尽くす。軋むようなノイズが溢れる。立ち位置を固定し、上半身を硬く回らせる。体を捻り、足を変形させて歩む。スポットから外れ、足を伸ばして床を転がりながら、左の間接照明へ向かう。壁に到達すると強いビートが響き渡り、辛うじて立ち上がると身を捩じらせ爪先で渡る。大きく、深く、体を揺する。右の壁面に強く光が投じられるとよろめき、その場で跳躍し、音と動きが止まると、24分の公演は終了する。

岩淵にとってダンスとは「全て」であり、「無くては生きていけない」ものだ。しかし自分の言葉は危うく、「踊っている」と宣言することも同様だという。ダンスとはメッセージではない。今の興味は体そのものの謎を解くことである。体がしたいことに、任せていいのではないだろうか。どうしたら自分で止めていたものを外して、体で一発でできるようになるのだろうか。感情を端に寄せ、体を楽しむことによってダンスが生まれると語った。

岩淵は国内外を潜り抜けコンテンポラリー・ダンスと舞踏の狭間を漂っているのだが、漸く独自の感触を打ち出してきた。様々な経験が体から染み出してきたのではあるのだが、過剰な照明がその実体を暈してしまったのではないかと危惧する。それは音楽に対しても同様な感を受ける。もっとストレートに体を見せることに終始しても、弊害は何も生まれないのではないだろうか。呼吸感と重量感を同一視している点が、これから見逃せない。

31日

鐘岡美心

闇の中で爆発音が炸裂すると、椅子に座り上体を折る鐘岡にスポットが当たる。機械音が流れるとゆっくりと上体を起こし、足の間からトイレットペーパーを捲っていく。ストロボが焚かれ、ペーパーを顔に巻き座り込む。床を転がり、立ち上がると小刻みに体を震わせ、緩急と表情をつけたポージングを行なう。ペーパーを引き摺り、人形を入口にぶら提げ再び床に回転する。立ち上がり、上体を屈めて自己の影を見詰めると終了する。約30分。

鐘岡にとって重要な事項は「瞬間」である。ダンスに出会った「瞬間」、即興の「瞬間」、曲との出会いの「瞬間」を大切にしている。振付を覚えるのが遅いのだが、今年は自分で自分を振付けたので、ソロは都合がいいと感じた。もっと自分と向き合いたい。音楽は豊田奈千甫によるオリジナル曲だ。この曲が好きなので、踊っていて楽しかった。ペーパーは椅子を使うことと曲が意外とハードなので、何か物が欲しくなった為使用したと語った。

リズミックな電子音、鼓動のようなリズム、重いピアノと目まぐるしく音楽が展開した。その音にあわせるように、体を創り上げていく。ペーパーを用いると行為の痕跡が残ってしまうにも関わらず、迷い無く使用した。この思い切りの良さは心地よい。しかし、停滞した音と痕跡をどのように利用するのかが今後の課題であろう。時間感覚を撹拌することも可能だし、空間性を否定して破壊することも出来る。ここにも思い切りが欲しい限りだ。

田辺知美

田辺は右壁面に両足の裏を立て掛け、横たわる。ミシンの音が流れ、足指先が微笑む。足を床にバタリと倒し、左側面を下にして横たわる。デュランが繰り返し流れ、肘により時間をかけて移動する。体を入れ替え、右側面を下にして横たわり仰向けとなる。隠れていた右手は体の脇へ移動し膝を折り、伸ばす。無音の中、視線が蠢く。四足に近い状態から立ち上がりタンバリンマンを呟くと暗転する。明転すると三度手足を激しく振る。約44分。

田辺は、20年位横になって踊っていることから語り始める。古い記憶、外と中の行き来は、自分の体ではあるのだが自分の体でない。床の触り心地で舞踏は変わる。自分の部屋で踊っているような感触を受けたという。また、生活と舞踏は関係があると発言した。切羽詰ってこの野郎!という気持ちが後半にあった。そして、行為と舞踏の違いについても問いを発した。日常が舞踏となるのはどうなのだろう。その言葉から凝縮と拡散を連想した。

横たわったままでの舞踏に大きな変化がなくとも、手足の指先、視線が微細に語る。そのような末端だけではなく、例えば胴体とか腕全体、首といった中枢も豊かな表情を見せていることに気が付く。すると人間の中枢と末端の差異はなにか、といった疑問が沸く。それは無意識な動作や仕草、意識的なダンスから生まれるフォルムだけではなく、そもそも携えている人間の「形」の不可思議さにまで到達するのだ。見ているのは実像か残像か。

8月1日

井上みちる

河合孝治によるピアノとエレクトロニクスの洪水が渦を巻く。後方壁面には李容旭によるライブ映像が投影される。井上は立位置で上体を上下させ、肘を折り曲げ腕を捩らせる。ライブ映像は河原で録画した動画となる。井上は四足で映像の中へ入っていく。木箱を床に転がし胸元へ引き寄せると映像が潰える。無調音楽とライブ映像に変化する。井上は中央に立ち映像を浴びて舞い続ける。地割れ音の中、井上が膝を折ると終了する。約一時間。

井上は画家であったことを告白する。自分にとって舞踏とは、社会と向き合う自分が存在するための修行のようなものである。それは自己を深く探る作業にも繋がる。同時代の音と映像のことを考えたかったので、共演した。公演中は、気配で感じられたかったので映像を意識しなかった。これを共演の第一歩としたい。掌の動きに特徴があるとの指摘に対して、心から発生したものをどこに逃がすのか、掌が最終的な場所ではないと語った。

目くるめく音と映像の中で、井上は自己の舞踏を貫いた。音楽による空気の振動は大気中の水分を揺るがし、映像による光の点滅は虚空である闇の粒子を発見させた。この現象に対して、井上は体を痙攣させることに終始した。日本画とは水で岩絵具を流し膠で画面を定着させる技法であるため「粒」という点では河合の音と李の映像に近いのかもしれない。井上の舞踏が日本画の技法とどこまで関わりがあるのかは不明だが、感性はそのものだ。

吉沢恵

闇の中でジミヘンの《星条旗よ永遠に》が爆音で鳴る。吉沢は中央で星条旗を広げて立つ。背を向けて旗を振ると、音が断片と化す。膝をつき、両手を上にして回すと打撃音が響き渡る。靴を脱ぎ爪先立ちで進み、奥から椅子を持ってくる。立ったまま《考える人》のポーズをして腕を回し、ステップを踏む。六枚上着を脱ぎ、大きく動くとライトが点滅する。合唱曲が流れ、白い傘を差して揺らぐ。小さな国旗を舞台に巡らせると終了する。40分。

吉沢は「考える暇も無く続けてきた」と語り、席を去った。

吉沢のモチーフが国旗であることは、一目瞭然である。そこには境界線や人種問題への問いかけは見当たらず政治的要素を多くは含んでいないことが理解できる。しかし日本とアメリカの問題、若しくはアメリカと民主主義の問題は孕んでいるような感を受けた。踊りが飽くまでモチーフを支える道具として機能していたということは、身体を隈なく巡らせる踊りこそ中心であり旗のモチーフは最早切掛けに過ぎなかったと解釈することが出来る。

3日

河原田隆徳/ゾーハウ コーヘン

柱を軸としてL字に幅1m程の幕が張られている。持続音が響き、ゾーハウが柱に立って自らをライトで照らす。幕を通り中央から柱へ移動しながら同じ行為を繰り返す。右奥から袋を被った河原田が登場し、幕に手をつけて進む。ゾーハウは首に大きな輪を掛けて回す。二人は前に並ぶ。河原田が外に出て内側のゾーハウと指を合わせ、右手を握り合う。ゾーハウはスーツを手に持ち、河原田はシンバルを擦る。共に歩くと光は潰えていく。約30分。

河原田は三年間、九州大学の工学部で物質化学を勉強していた。ある日舞踏に出会い、これしかないと感じた。イスラエルに五年いた時カンパニーに所属していた。ゾーハウもそこでダンスをやっていた。シェイプは考えず、踊るだけでないことを二人で考えている。イスラエルの戦争や政治が自分達の体に合っている。リアルとファンタジーが交じる舞台を目指す。去年九月に二人は結婚したので、カンパニーを抜けて頑張っていくという。

照明による極端な明暗と、大掛かりで独特の舞台美術が目を引いた。舞踏とはフォルムではなく思想だという発想に異論はないのだが、その思想をどのように体現するのかが課題となってくる。そうしないと意図が伝わらないのだ。それでも二人の舞踏は嘘偽りの無い正直さが特徴なので、これをどのように展開するのかを考察すべきだ。正直さは、いつでも却って仇となる場合が多い。コンセプトやテクニックを磨くより、踊り続けて欲しい。

松本大樹

闇の中で語り始め、舞台右前方に灯る電球を自ら消す。左奥に間接照明が投影され、松本は両手を前に構えて語りながら巡る。暗転が溶けると、奥田純子が座っている。「悪い噂を沈める為に…。」共に語り続けていく。松本はチョークで、奥田の影の中に円を描く。松本は動かない奥田を操り椅子に座らせる。松本は旋回を繰り返し、奥田は横たわる。二人は指を手繰る。しかし交わることはない。松本は踊り続ける。奥田が退場しても。32分。

松本は都市の風景を創りたかったという。多くの人々に囲まれていても、いつの間にか一人の過去と未来という時間に還ってしまう。その中で、パートナーとの関係はどのように成立するのだろうか?ホワイト・サークルについては、どのように解釈してくれてもいい。作品の為にではなく、踊る空気を創りたい。ポジションを限定しても、自分が踊るためには気にしなくなっていく。自分の中にある今日の景色が、この公演になったのだという。

奥田純子の登場は予告されていなかったので、驚きがあった。松本、奥田共に相当のテクニシャンであるから、超絶技巧でピアノ曲《フーガの技法》を聴いているような錯覚を覚えた。右手と左手のバランスが壊れては、一瞬にして曲は崩壊する。そこに必要なのは信頼という愛情だ。しかし愛情は深ければ深いほど常に不安定であって、安らぐことは決してない。そのような予定不調の世界観を、見事に提示したということができるであろう。

4日

柴崎正道

風景のモノクロ写真が木製のフレームに入って後方壁面中央に掛けられ、スポットが当たっている。英語のカウントと朗読が響き、柴崎は薄暗い光の中、舞台中央に立ち遠くを見詰め続ける。唇を噛み締め、音が止まると腕が上がっていく。足の裏を半歩進め、掌が会話を行う。ピアノが鳴ると、背を向ける。システマティックに体を揺すり、くねらせ、しゃくる。暗転し、袋からトランペットを取り出し、体を震わせる。40分の公演であった。

柴崎は音楽が鳴ると踊りたくなるという。日常に近い自分で話したいのだが、ダンスしている時のほうが本当の自分なのかも知れない。自分を探る手がかりが分かると、分からないことが増えていく。永遠に続く宿題である。曖昧にしていこうとしている。それが、自分に対して問いを投げかけることに繋がる。体を動かす研究を、している。先人が研究していることを、知らなかった。予想がつかない感情を引き出すようなダンスを、考えたい。

柴崎は派手に踊ることは決してないのだが、とても派手に見える。その繊細さ、根気の強さという、毛細血管の一本一本が束となって漲る血流を堰き止めるように柴崎は舞うのだ。風景のモノクロ写真に影が落ちることは、決してなかった。それはトランペットを吹かないことと一致する。静かに流れる漣の奥底では、このような内面の濁流が渦を巻いている。それを激しく見せないことが、柴崎のダンスの特徴となる。それを「曖昧」と定義できる。

JOU(Odorujou)

電球が釣り下がり、白いフードを被ったJOUは「しくしくしく」というエフェクトされた声に合わせて体をうねらせる。暗転が繰り返され、音の断片に合わせて踊りを休止する。硬いポージングの腕がフードと靴下を取る。秋の虫の声が聴こえてくると電球を揺らし、右奥に立ち手を振る。この持続性は通低音にも共通する。中央にスポットが当たり、ブリッジする。トンネルを通過する動画が流れ、JOUは旋回し床を展開すると終了する。50分。

JOUはダンスを、自己と人と世の中を繋ぐ手段であると定義する。ダンスには体と精神がある。スポーツは勝ち負けであり、特定の動きしかできない。ダンスはスポーツと異なり枠がなく、出会いが楽しめる。自分の人生、人の人生に興味がある。ダンスによって人生を純粋に垣間見ることが出来る。また、何故生きているのかを考えている。「祝+葬」から四年が過ぎた。なぜ自分が残ったのか。いつ死んでもいいように生きたいと感じている。

今回のJOUのダンスは、ダンスによるパフォーマンスではなく、パフォーマンスによるダンスに見えた。それほどダンスに対するメソッドを放棄していた。パフォーマンスは絵画史から派生した。唯、描くのではなく、なぜ描くのかを問うた。JOUも同じように、なぜ踊るのかを自らに、客席に、ダンスの歴史の過去と未来に対して問うたのだった。ダンスを放棄したからこそ浮き彫りとなったJOUの洗練された動きから、何を考えていくべきか。

6日

Abe"M"ARIA

軽快なディスコ曲が流れ、Abeは赤いライトを浴びて左奥に立つ。右には、緑のライトが点灯されている。Abeは体を激しく揺すり、壁、床に打ち付ける。ライトが点滅する中、Abeは客席の階段を上り、観客の頭を撫で、膝に座り、首を絞める。舞台に戻り、中央で激しく痙攣する。壁、床と巡り、立ち上がって旋回すると上体を折る。薄暗い光の中で、立ち尽くす。ゆっくりと旋回し、右奥で正座して足を打ちつけると、30分の公演は終了する。

Abeは「そこに山があるから登る」のと同じ発想で踊り続けているという。踊っていないと自分が澱んでいくので、作品として創るわけでもなく稽古を淡々とやっている。多少ショックなことがあっても稽古をすると前向きになれる。稽古は生きていく上で必要だという感覚がある。稽古が層となってその断片を年輪のように見せたい。しかし自分の公演は踊りではなかった可能性もある。余り考えないでやってきたしこれからもそうするつもりだ。

ありのままのAbeを満喫することができた。Abeは激しく痙攣して、立ち尽くしたりスローな動きをしたりしている際に休んでいるのでない。緩急をつけることも多々あるのだが、痙攣する、観客に干渉する、床や壁に体を打ちつける、ゆっくりと旋回することは、それぞれ異なる手法を用いて見る者に訴えかけている。それはまるで物語を見ているようだ。しかしストーリーを描いてそれを再現しているのではない。舞台が物語に変容するのだ。

木村美那子 

空気が揺らぐ音がする。木村は奥の部屋で伸縮する服を身にまとい、達磨のように顔だけを出し座禅を組んでいる。膝と手によって移動し、壁に体をぶつけて立ち上がり、服の中から赤いボンボンを8つ取り出す。無音の中、上を見上げてさ迷い、両手を折りポージングを固定する振付を繰り返す。奥から袋を取り出しサンタクロースのように背負い、中身を溢すと大量の赤いボンボンの中に、一つだけ白いボンボンが混ざっている。約26分。

小学校の時には絵を描き、「金」には後一つで届かなかった。ダンスをするきっかけは子供の頃、音が鳴ると踊っていたのでバレエ教室に入ることだった。学校でもダンス部だった。ダンスに総てを注ぎ込んでしまう。ダンスに救われ甘んじることが続けている理由だ。しかし自己の振付から食み出せないのが良くないと思っている。ボンボンは手作り。手作りの物が好きだ。子供がいるので子供を見ているととても面白いと木村の話は多岐に亘った。

そこにいるだけで雰囲気を醸し出すことができるのは、やはり踊りに対する感覚の鋭さからきているのであろう。単純なポージング、僅かな移動にもそれが素直に表れている。視覚的要素にも長けていて、たった一つのボンボンによって全ての赤いボンボンを引き立たせることに成功している。手作りのものが好きだという発言も頷ける。実際に手にした感覚の温もりが床を伝って舞台に広がり見る者の内側にも届く。それも一つの踊りなのだ。

7日

杉田丈作(舞踏石研究所)

棺桶的な机が配置され、床にはスーツとYシャツが綺麗に広げられている。白い着物、眼鏡、ステッキを携えた杉田はさ迷う。座り、人物を模しているともいえる二本の指先を机の上に躍らせると暗転する。机の上に座布団を枕にして、右膝を曲げつつ仰向けとなっている。机ごと倒れると暗転する。よく聞き取れないが発音している。同じ曲が繰り返され、ポージングして右足を踏み鳴らす。前に倒れる。立ち上がり、漂うと暗転する。約50分。

杉田は自らのルーツを語る。高校の時、ベケットの《ゴドーを待ちながら》を読んで感動し演劇に目覚めるが「本当の言葉」に疑問を感じ、笠井叡と出会い今に至る。舞踏の技術を持たずに来たので自分では「踊り」と呼んでいる。舞踏とは一人一宗派であり、何でもありだと思う。言葉で表すことが出来ないものを表現したいという欲求があった。様々な手段を媒介にして実現したい。それは「音楽」と似ていると思う。アホになりたいという。

杉田は忘却することにより、新しい世界を獲得しようとしている。その忘却に伴う阿呆性が、指先の動作と言う残像に取り残されていくのだ。どのような変化を行なおうとしても、その都度常に残像が遺されていく。残像に循環がない点に、杉田の優れた特徴を見出すことが出来る。そのため倒れるという一つの動作に対しても、墜落/失踪するという象徴が生まれない。漂うことが再生にならないのだ。この公演すらも杉田には忘却して欲しい。

国枝昌人×古舘奈津子

舞台に国枝、古舘と続けて1、2、1、2、3のリズムを用いてポージングをしながら移動し、床に展開する。立ち上がると1、2、3、4のリズムで手を回す、膝を揺るがすなどの卑近な動作を振付として、ランダムに続ける。ソロが続き、二人は三つほどの種類の、同じ振付を繰り返す。繰り出すとも言える。背中向きで歩むのだが、二人はコンタクトすることも目を合わせることも決してない。強い照明が投じられ、唐突に舞台は終了する。約30分。

国枝は裸足で遊びたかったので、と語った。体力があるので体を動かしていないと具合が悪くなる。舞台に上がる理由は表現したいから。自分の考えを聞いて欲しい。でも、ソロは滅多にやらない。多くのダンサーとするリハーサルが楽しい。人と関わることが好きで、一人は淋しい。体が感じることを教えてくれる。追い込まれないと出来ない。古舘はダンスを意識していないという。体を動かすのが楽しい。生活とダンスを身近にしたいのだ。

二人の振付は、同じなのに異なる。それは網膜に残る残像を意識しているためか、物語性という象徴性が強いからなのか。しかしここから繰り出す、編み出されていく時間軸という論点に眼を向けると、二人が未知の世界に向けて振付を施し、踊り続けている術に注目することが出来るのであろう。それは二人の日常の生活観にも、比類しているのではないだろうか。それは、繰り返す日常から革命を持ち出さなくとも差異を生み出すことなのだ。

8日

若尾伊佐子

舞台は隈なくライトに照らされている。若尾は無音の中、立ち尽くす。僅かに右肩が下がり、首も傾く。膝が、折れてゆく。力が抜け、上体が後ろに倒れる。仰向けで、床を滑る。転がり続ける、音も無く。側面を下にして足を浮かせ、漕ぐ。四足になって移動し、腰で座ると爪先を揺るがす。常に、床に体の一部を付けている。右手の甲に左掌を重ね、剥がしていく。横たわると、左側面を下にする。右手が床を揺らぐと、暗転する。約30分。

若尾は生活し、それだけでは足りないと言う。日常では言葉を使い、思考し伝える。言葉とは一つの方法だ。言葉にならない微妙で曖昧な感触や雰囲気、佇まいといった、滲み出て来るものを表現したいのだ。モダンダンスを習ったが、「パ」の内側と外側が一致しないのだ。臨界点に立って、それらを捨てよう。指の間から零れ落ちたものを拾い、そこから模索した。その結果が今だ。これがダンスであってもなくても構わない。私はやると語る。

若尾の公演は、床での展開が目立った。それは足裏という磁場、座るという型、立ち上がるという行為を無視し、自らの空間によって、場所を捻じ曲げたということになる。しかし若尾に、個人主義的な様相を見出すことは出来ない。なぜなら今回の若尾のダンスには、奥行きが限定されて広がっていたからだ。限定された空間に対して、無限の自己という闇を広げたのではなく、自己の限定した奥行きが、「場所」という時間に即したからである。

ハラショー!

小倉は白塗りに黒タイツを被り、兎の耳飾りを頭につけて登場する。床を滑りながら兎をマイムする。飛び跳ね、ゆっくりと歩む。暗転すると、中央で腰を屈めている。体を揺すり、時間をかけてバランスを失い倒れ、体を捩っていく。奥に転がる。立ち上がれない。中央奥の床に転がるライトが点き、ノイズが鳴る。上からのスポットが、小倉を照らす。右手で顔を覆うと立ち上がり、体を擦り続ける。タイツを引き千切り暗転する。約32分。

小倉は以前から何故自分が踊るのかを考えたりするのだが、考えても判らないと言う。何とか考えずにしていたら、こういう流れとなった。手応えは?という質問に対して、小倉はこれからどうしようか考えている、と答えた。満足いく踊りを出来る場面のほうが少ない。これからも頑張りますと語り、その謙虚さに対して会場から質問は出なかった。

小倉の舞踏には白塗り、摺足、内面の表出という方法論を用いなくとも、死が良く表れていた。これは自らの舞踏を追求し、格闘している証拠である。兎の姿に軽率な意思は存在しない。最後のシーンに屠殺のイメージがあり、兎のままではいないことを示している。また、表情に無理がない。自らがそのままでいようとも、これから先を見据えていこうという頑固なまでの精神の強さが現れている。皮膚の薄さが人間であることを理解したのだ。

10日

鈴木邦江

波打つオブジェが、前方中央の天井から吊るされている。右奥には白い服が置かれている。公演が始まると鈴木は左側面を下にして前方左に横たわり、そのまま奥へ進む。靴を履き、白い服を着て、立ち上がり背を向ける。中央のスポットの縁に立ち、中に入り、奥を見詰める。床を転がり、立ち上がり、両腕を水平に保つ。対角線を歩み、戻る。中央で体が波打つ。壁に逆立し、再び中央に立ち旋回する。水平にした手を巡らせると暗転する。50分。

鈴木は、無意識の集合体がテーマだったと言う。それは、何故踊るのかという問いにも繋がる。「衝動」―突き動かすものへの興味は、30歳から始まった。常に根底にある衝動、最近は衝動より勢い、別の領域から来る「意思」に変化してきた。「中」へ入り込むことが「外」だ。創作と平行して詩を書く。18歳でダンスに出会い想像が許される世界を知った。続けていくとこの想像が何処から来るのか?答えは出ないので一生踊り続けるつもりだそうだ。

オブジェは前方にも置かれていた。この波打つ様相をモチーフに、鈴木は自らの体を投入した。服を着替えることは、一つの変身だ。メタモルフォーゼした体は鈴木の意思とは離れ、独自のフィギアを形成した。しかしそこには本来の鈴木が同時に存在し、その二者は拮抗しながら新たなダンスを生み出そうと、苦悩したのであった。その甲斐の通りの見事な公演となった。意思を導くことができるのは、自らの衝動しかないことを教えてくれた。

柴田恵美

体を傾ける、一人が一人を支える、集団が後転する、一方の足の裏で他方の足の膝を叩くなどの振付は、ダンスに日常を持ち込まず、通常のダンスの中にあるダンスを柴田の視線で見出だしている。7人の個性を引き出すことに成功したのは、普段の柴田の丁寧なソロのフォルムが反映されているためであろう。時間概念の破壊はその呼吸法に秘訣があるのだろうか。呼吸というメソッドやリズムを用いているのではない。柴田は歌っている。45分。

誰もやっていないことをやりたかったと柴田は話す。新体操、ジャズダンス、エアロビクス、バレエもやった。絵も好きだった。オーディションに受かって東京に出てきた。自分が踊れていると思っていたら、駄目だった。好きなだけではなく責任を持つことを知った。2007年にソロをやってからグループを作りたかった。でも決められないタイプ。自分の良さに自信が無かった。自分が壊れていくと志が出てくる。そこで残るものに興味がある。

美的なフォルムにこだわらず、現代と対峙する柴田のありのままの姿が反映された。それは舞踏の醜悪性、シュルレアリスムの意外性、モダンダンスの創作性、コンテンポラリー・ダンスの概念性と振り分けられる。柴田の歌に詩は附随していない、内的音楽、架空の譜面、即興なきインストゥルメンタル、柴田の内部で鳴り響く曲がダンスとなって歌いだすのだ。これまでソロで踊ってきた柴田にこれ程までの振付の力があることに感銘を受けた。

13日

code20xx

暗転と明転を繰り返し、その都度、出演者の二人は立位置を代えていく。膝を折る、爪先で立つことを繰り返し、場所を決めてうつ伏せとなる。向き合い、時計の針のような音が響く。「一分」という声で音は止まる。交互に動作し、「二分」の声で床を巡り、「三分」の声にダンスと言うよりポーズを構える。「四分」「五分」と「十分」まで続けていく。踊ることを拒否しているとも解釈する事ができる。再び「一分」のアナウンスで終る。約42分。

トランスミッションとは主体と客体の意識、環境のインタラクティヴであるとcode20xxは語る。ダンスがまだまだ面白くなるのではないかという可能性を感じ、作品を制作している。新しいダンスを提唱したと短く話して二人は去っていった。当日配布されたパンフレットに「そこに2つの身体があります。時間と空間を共有しましょう。1分間を長いと感じましたか、短いと感じましたか。(後略・引用者)」と、公演の趣旨の言葉が記されている。

code20xxの振付に対し、出演した小池藍、吉田尚子は厳密に従ったのであろう。しかし厳密であればあるほど、code20xxの意図から作品は離れ、小池と吉田の作品と化していく。それがまたcode20xxの狙いであったのではないだろうか。それはコンテンポラリー・ダンスの限界を知り尽くした、code20xxならではの発想ではないだろうか。それでいてcode20xxはコンテンポラリー・ダンスを乗り越えようとしない。現状を楽しんでいるように感じる。

吉本大輔(舞踏-天空揺籃)

闇の中で歩き回る音が聴こえる。ライトが点くと、ランドセル、コート、女性用の赤い下着、黒いガーターベルト、赤いストッキング、赤いヒールを身に纏った吉本を確認することができる。ランドセル、コート、靴、ストッキングを脱ぎ捨てる。体を畳んでは小さくし、広げては大きくなる。そして倒れていく。うつ伏せから体を伸ばし転がりゆく。スパイダー・ウォークで巡り、打ち付けたランドセルに全てを仕舞い、去る。64分踊り続けた。

吉本は、今日は体が喋りすぎたから反省していると話す。日本での舞踏は厳しい。白塗りの古いタイプ、即興、擬餌、贋作、偽物だという。自分は舞踏のコピーでいい、コピーし続けたいとする。観客とダンサー、もう一人の自分のために踊る。観客の力がダンサーにエネルギーを与えることを指摘して、吉本は退場した。

吉本が、これまで培った自らの舞踏の全てを注ぎ込んだ感がある。それは古くも新しくもあり、幻想を見ているようだった。そのような自らの舞踏に対して「コピー」だと言い張る姿には脱帽する。しかし、だからこそこれまでの先人を引き継ぎ自らの舞踏を形成した吉本は、これからの舞踏を担う若手に対してもっと発言すべきではなかっただろうか。それは、啓蒙を意味するのではない。吉本の本質的な発言を楽しみにしていた者がいた筈だ。

14日

細田麻央

白塗りでワンピースを見に纏った細田は、直立したまま上体を折りシンセサイザーの音に合わせて球体関節人形のように身を揺するが、感情が満ち溢れている。即ち、死者となっている。床に映るスポットを水面のように見詰め、右手を翳す。立ち上がり、右中指を回す。両手を差し伸べ、光の中へ入っていく。腰をつけ、蹲る。持続音に顔を上げ四足で前にゆっくりと進む。立ち上がり大きく体を回らせる。爪先を立てたステップに光が落ちる。

細田は若い時には何故踊るのかを考えたが、近年は考えなくなったという。以前は飢えている、苦しいから踊った。踊るのが好きだと感じたのは最近だ。人生観が変わった。猫が死んだ。それでも愛しているからまた会えるといいなと思う。作品のタイトルは二匹の猫の名前のアナグラムだ。愛する者を亡くすことは踊りと関係するのかも知れない。あの世は見えないが、この世で生きているのは舞台に立っていることだと思う。この世が舞台だ。

細田の舞踏に、舞踏の新しい未来像が透けて見えた。とはいっても、舞踏全般についてではない。そのようなものは存在しない。細田がこれから死ぬまで舞う舞踏の総てが、ここに集約されていたのではないだろうか。即ち、細田の舞踏はここから始まるのだ。楽園とは死者が集う場所である。そこに楽しく舞うのも死者である。我々は死者に憧れる。では、死者は我々に憧れることがあるのだろうか。細田の言うとおり、生きることと死は繋がる。

深谷正子

本編に立ち会えなかったので、トークのみを記す。深谷は踊りが好きだから踊るという。音に合わせて踊る子供であった。長いしがらみの中に、自己が規制される。テクニックで踊ることは、苦手だ。どこかで、インプロヴィゼーションの体験と獲得があった。人とずれることに快感がある。体一つで踊るには、お金、人、物、心が動かないとがんじがらめになってしまう。居るだけのダンスがあってもいいだろう。それは生きることの確認だ。

15日

仮想ダンスカンパニー アトリエム

中央上からのスポットに無音の中、長沼陽子と江角由加が対角線上に立ち前後に揺らめく。寒河江勇志が鈴を鳴らすと、二人は前に出した右足を軸に左足を振り、上体を翻していく。何時しか二人は移動している。寒河江が奏でる倍音フルートの音色は、郷愁をそそる。以前、何処かで聴いたことがあるような旋律でありながらも、未来で在り続ける。二人のダンサーは徹底的なストイックさを見せた。両手を合わせて旋回すると47分の公演が終る。

宮下は情熱がある限り、踊り続けるという。ダンスに対する情熱と愛情は止めることができない。しかし自身の情熱だけでは作品は成立しない。作品とは舞台と観客の共同作業で成立する。それだけではない。ダンサーと制作、照明などのスタッフにもギャラを払えることが、本当のカンパニーだ。アトリエムでは制作を見直している。チケットは作らない。フライヤさえも必要が無いのかも知れない。本当に必要なものは何か。観客とも考えたい。

この作品は「ここにいる意味」を顕わにしている。それがプロデューサーの宮下恵美子なのか、作品構成の寒河江なのか、照明を担当したアイカワマサアキか、ダンサーの長沼と江角なのか、それとも観客であったのかは定かでない。しかしこれほど単純な振付によってでも現代を知ることができるのは驚愕であった。現代とは、突如変貌するものではない。過去と綿密に繋がる。未来とは過去のことなのかも知れない。それを恐れてはならない。

澤田有紀

澤田は腰を引き上げ、上体をゆっくりと起こしていく。両手を上に掲げ、右足を軸に左足を回す。白いライトが投影されると背を反って歩を進める。持続的電子音が流れ、舞台を巡っていく。よろめき、膝を曲げ、頭上で手首を交差させる。右膝を地につき、左足を遠く後ろへ伸ばし、背を反る。足を入れて蹲る。床に展開しながら靴を脱ぎ、右の靴の紐を指にかけて掲げる。立ち上がり、旋回と停止を繰り返す。光が潰え36分の公演は終了する。

澤田にとって「何故私が踊るのか」という質問は、好きな問いではないという。『冬の山』は2007年に振付した。簡単に作って、神楽坂die pratzeで発表した。この作品は、2006年に北海道へ行った際の「感想文」である。山々をバスで移動した。凍った湖やアイヌの歴史に触れた。冬は居心地が悪いのだ。今年から社交ダンスを始めている。社交ダンスは明るいし音に合わせる楽しみもある。社交ダンスで生活していきたい。そして両立させたい。

澤田のダンスに、無駄が全くない。しかも綿密に振付けている。それはまるで、澤田が澤田であって、澤田でなくなっているような感触を受けたのであった。そこには研ぎ澄まされた減量というよりも、あらゆる要素をスポンジのように吸収する豊饒を想起させるのであった。『冬の山』という一つの感想文を作品までに昇華させようとする意思が、澤田が気付かぬところで動いているのではないだろうか。出演を他に譲る『冬の山』も見てみたい。

17日

熊谷乃理子

熊谷は右手でスカートの裾を押さえ左手を僅かに上げて舞台を歩み始め、奥へ消える。右前から左奥へライトが投じられる。熊谷は無音の中、光を避けるようにして右前へ向かい、両手を掲げて背を向ける。爪先立ちで漂い、よろめき、倒れ、立ち上がる。逆光がフォルムを引き立たせる。シャコンヌが流れる。旋回とポージングを繰り返し対角線を進む。中央前で拳を振り上げる。舞台を大きく巡り、白いライトが舞台を包むと45分の公演は終る。

熊谷にとってソロとは進行と創作の二役、その他3、4人分の仕事である。音楽の小田朋美と納得するまで探究し、昨日になった。判断と決断が必要となる。それは観客がいるからこそ成立する。この作品は2008年12月にスタジオで発表した。その時にはシャコンヌのみであった。音から発想した光と闇は宇宙にまで届いている。日食という光が一瞬にして闇となるイメージもある。触覚、肌合いも大切にした。黒だけではないものが欲しかった。

熊谷のレヴェルの高さを見せつけられ、脱帽の一言である。大らかな動きは空間の広さを感じさせるというよりも、天井の高さを感じさせるまでに至った。それは、音楽が天空から舞い降りてきたイメージと重なったからであろう。音に集中することができたのは、熊谷が創り出した光と闇の世界であろう。熊谷が可視化された面だけを追うのではなく、不可視の場所にも集中した点が見事だった。P・クレーのいう「見える」ことを舞台とした。

みのとう爾徑

「そーれ」と声を発し、赤い衣装のみのとうは木製の椅子を被り、赤いライトを浴びて客席上段から降りてくる。舞台右前に投じられたスポットの円周を、声を出し続けながら回る。前に構えた椅子を背負って、スポットの中に入る。背を付け、足を腕に乗せる。腰で座り立ち上がっていく行為を繰り返す。「私はここに…」、呟く。水の流れる音が聴こえる。「お母さん、雨ですよ」。声色を変える。椅子に座り、顔にスポットが当たると終る。50分。

みのとうは自らのルーツを解説する。30代終わりに路上パフォーマンスをはじめ、外国のマイムの学校を卒業した。自己のマイムは言葉を使わない演劇、説明をしない感情である。それが「踊り」と見られるようになった。子供の頃はバレリーナになりたかった。しかしなかなか振付を覚えられない。四歳の頃からドモリが発生し、中学高校で酷くなる。成人するまで喋ることに抵抗があったことと踊りが関係していると思う。本番で場を作るのだ。

みのとうは、広い舞台を個別に割って使用した。これは、シュルレアリスムの技法である。遭遇することが全く不可能である物を同一の画面に納めるディペインズマン、これを行なう為に不可欠なコラージュ、その思想を現実化したオブジェの思想。みのとうの所作、動作、仕草、呟き、表情、光の使い方はここに奇縁するのだ。シュルレアリスムは決して過去の遺産ではなく、その技法の研究は未知なるものであることをこの公演は教えてくれた。

18日

田山明子

白い服を身に纏い赤い帯を締めた田山が、中央床に大の字で転がっている。背を反っているのか、むくりと腰を突き出し上体を起こしていく。足を広げ手を前に、まるで卑弥呼が顕在したようだ。床と壁面を転覆させるような同じ動作を繰り返す。舌を出して膝を曲げ、顎下に位置した右掌は左手首を解く。わなわなと震えながら爪先立ちとなり、跳躍する。リズミックな音の中、壁面に全身を伸ばす。組んだ両腕を解くと、一時間の公演が終る。

何故踊るのか、その答が出たら踊らないだろうと田山は話す。この問いは、何故私がいるのかという問題と同じだ。何故これほどまでに苦しい思いをするのかと考えている。終ると無残だが、何かある気がしてならないのだ。稽古をやっても答がでないと行き詰る。そういうときにこそ、公演をやりたくなってしまうのだ。公演をやって壁を打ち破れるのかも知れないと思う。その繰り返しだ。風景的ヴィジョンを伝えて共有していきたいのだ。

田山の長時間に亘る舞台に、幻想は生じない。ここで起こる全ての事象は、現実に存在するのだ。床と壁面は実際に転覆したのである。上下、左右、前後という視覚的要素に訴えかけた。それは、田山が持つ時間概念の無化作用が根底に働いている。田山が素早く踊れば踊るほど時間はゆっくりと流れ、沈黙すればするほどあっという間に過ぎ去ってしまう。そこにトリックや奇術師的要素が一切含まれないことが不思議でならない。田山は現実だ。

菅尾なぎさ

右奥に白いMac、左前に赤い拡声器が置かれている。菅尾は階段を下りてくる。携帯電話で時報を流し、携えた袋の中からコーラと菓子を出してMacの前で座り、漫画を読む。転がり、拡声器を用いて菓子の付録のカードを読み上げる。この振付を三度繰り返すと、会場は突如、ディスコと化す。激しく舞い、座ると「日常」に戻る。再びはじめの振付を繰り返す。アルコーブの二階を行き来し、フラフラと公演は終りそうで続き、終る。約50分。

中学生の頃、テレビで見た四人が歌う宝塚に憧れていたと菅尾は話し始める。中学でバレエをはじめた。体育は嫌いだったが、体操は得意だった。体を動かすことが好きで、特に体が回るとジェットコースターになるのが楽しかった。最近も、踊ることは楽しい。高校を卒業後、ミュージカルスターを目指してロンドンへ行った。しかし、挫折してしまった。その後、イデビアン・クルーに入団したのだった。斉藤美音子と、同じクラスにいた。

菅尾は、日常と非=日常を転換させようとしたのではない。既に菅尾の日常があるのだから、公演もまた日常の枠の中に納まっているのだ。菓子を食べて寝転ぶことに焦点を合わせてはいけない。この動作を「繰り返す」ことにこそ、意味が発生してくるのだ。これこそコンテンポラリー・ダンスの振付である。同じことを繰り返しても、時間は待ってくれない。時計の針は進み同じ付録のカードを引くことは不可能なのだ。我々は常に変化する。

20日

根岸由季

発音する声の音に合わせて、右足のみを浮かせて動かす。腕立て伏せのように手をつき、左手と頭の間に足を置く。左奥へ進み壁面に到達すると腰をつき膝を抱え、背を丸める。背が床につくと四度後転する。右壁面につきボーダーのTシャツを脱ぐ。立ち上がると隈なくライトが点く。危うくふらつきながらポージングを行い、立ち上がれず足を交差しながらよろめき、後方壁面に寄り添う。マイクを持ち叫び、ロックに体をしゃくる。約35分。

同じ考えを持てば争いが起きない。「個性」が嫌だったと根岸は語り始める。高校から10年演劇を行っていた。ある時テレビで踊りを見て、人は自分を制御すべきではないと感じたのであった。フィジカルから体、頭、心へ転換した。ドイツのカンパニーに入り振付を学んだ。問題にしたいのは、ダンスが普及していないことだ。自分の中の体がそこまでのことを表すことができたらいいと思う。人間の体の凄さに対しての可能性に挑戦したい。

根岸の不自由な姿勢は、不自由であることが自由であることを象徴した。ロックに身を任せて自由に体を揺るがすことこそ、コントロールされた常識に身を委ねている証拠なのだ。すると当初の姿勢こそ根岸が自由である姿なのだという事実を確認することができる。ならば踊るという行為はどうだろう。自由なのか、不自由なのか。バレエの不自由さはよく知られている。しかし我々はこの地点から解放されているのだろうか。されるべきなのか。

大倉摩矢子

隈なくライトが照らしている。黒いズボンと帽子、ベージュのブラウス姿の大倉が踵で中央に立ち、肘を折った右手を翳して後ろ向きとなる。柔らかい膝が微かに上がり、右手もまた降りていく。左手が胸元へ、開いていた掌を閉じる。帽子を脱ぎ、左耳を触って歩む。「届かない」。体が弛緩し、正座の体勢となる。四足で左へ向かう。体を寝かせ、頭部が床につく。腰を引き上げ、体を捻り軽く膝を曲げて後退する。腰をつくと暗転する。約34分。

大倉は師である大森政秀について語る。大森のところにいることは、理屈では語れない。演劇の場で大森と会った。ただ、眼をみてついていった。今考えても腑に落ちる。自己を超えた力が動いていると思う。マクロとミクロの関係は、自分のその時その時の理解の深さ、理解度によって変化する。自殺をしようと思っていた人がたまたま舞踏を見て死ぬのをやめようと思う、そういう踊りがいい踊りだと思う。この感覚を大切にしていきたい。

今回大倉は、能動的に自らの体を酷使したのではないかと感じた。それほど大倉の動きには、空間に対しての抵抗感が存在した。ここでいう空間とは時間のことでもある。そのため大倉の体は、全く開かれていなかった。それは否定ではない。空気の振動だ。そのため、大倉は体を剥いた。抵抗に対して自らの体を開かず、抜かず、「剥く」という行為にこそ、見るものに感動を引き起こすのではないだろうか。それは受難ではなく舞踏なのだと思う。

21日

玉内集子

玉内は右奥で右側面を下にして、肘枕を作り横たわっている。左掌が思い切り太腿を叩く。無音の中、正座の体勢から体を捻っていく。ライトが矩形を創り出す。スクラッチノイズが流れ足裏で立ち続ける。上体を深く沈ませ左手のみが虚空に残る。大きなスポットに照らされながら四足で移動し、立ち上がるとボクシングのように激しく身を揺さぶる。自己を確認するように叩き、舞い続ける。はじめの姿勢となり太腿を叩くと暗転する。約45分。

玉内は気付いた時から踊っていたという。稽古場、リビング、寝室、楽しくて仕方なかった。がむしゃらに自分の世界で踊った。高校生の時、作品を作った。自分を振付けるというよりも勝手に動く体に興味が沸いた。何故踊るのか。自分の存在の確認であり、心の状態を確かめるわけではない。確認することで自分がある。音楽、間のとり方、一つでも共感、汲み取って貰えると嬉しい。集子という体を少しでも持って帰ってくれれば嬉しい。

玉内は、現状の全てを晒した。これまでしてきたこと、できたこと、今できること、できないこと、これからすべきこと、したいこと、その総てがこの公演に詰まっていた。以前見た残像が蘇ってきたり、全く見たことも無い動きが浮かび上がってきたりした。自己の確認作業は玉内自身の問題ではなく、見る者にも派生する問いなのではないだろうか。はじめとおわりのシーンが連続していることに共感する。このシーンはまたはじまりなのだ。

MILLA

浜口彩子が諸事情により創作活動ができなくなり辞退、共演を予定していたMILLAの自作ソロになるという紙が織り込まれていた。薄い灯に薄いシンセサイザーが流れ、MILLAが登場し立ち止まる。上体を折り腰をつけ、旋回しながら立ち上がる。手をそのままに首を傾ける。指を動かし、肘で頬を支える。両手を広げ、舞台を巡る。中央で体をしゃくり、素早く床と立位置を入れ替える。大きく舞台を巡る。左奥で止まり両手を広げる。約37分。

MILLAは踊る理由を説明する。一瞬だけどダンスをしたと思えたときに、体と何かが一緒になれたらと思う。それをただ続けてきただけ。体の回路=手段で考えや世界を探してみようと。また、今、自分にとって踊りが一番ぴったりくる。集中してただそこに居られたらいいなと思いながら踊っていることが多い。分からないけれどなるたけ真直ぐに踊っていこうと思う。四年前に友人が病死し、泪がでた。まだ踊っているのだなと思って欲しい。

苦悩したMILLAが踊っているとは思えないほどの、充実した内容であった。体の使い方、手足の流れ、呼吸の所作、全てのメソッドの確かさと美しさは、バロック時代の堅実なオルガン曲を耳にしているような整然とした印象を与えた。人への思いや自らの情感を伝えるのは、如何なる分野に限定されることではない。しかしそこに表出すべき感情をコントロールし整理し意味を与え、自己の世界を超克すべきものでなければ交換は成り立たない。

22日

玉井康成

玉井は右手に箒を持って階段を降りてくるが、引き返す。歌曲がかかり、玉井は箒を振り回し、舞台に上がる。バケツを持っている。曲が止まるとうつ伏せになる。仰向けから立ち上がり、肘と膝をうねらせ、滑稽な動きを見せる。何時しか後方壁面に位置し、座る。立ち上がり背を向けて、事項を確認するような足踏みをする。右指を立て、その腕を回す。表情を作り、切り株のような椅子を傍らに置き、バケツを持ちそこに立つと終る。約43分。

玉井は自ら語ることを拒み、質疑応答を繰り返す。「どうして踊るのか?」「分からない」。「階段、椅子のヴィジュアルは?」「深い意味はない」。「音楽は?」「そうでもない」。このような押し問答の中で、首くくり栲象が質問した。「最初と最後は括弧で括られている。バケツに水が入っていて零れないようにしている。そのスケールを小さくしている。」それに対して玉井は「舞踏の責任を持つつもりは無い」。栲象は言う「空のバケツには責任がある」。

一見乱暴に舞っているように見える玉井は、綿密に振付を施している感がある。それは正に逆算されたような正確さに帯びている。そこに中国の故事にある『無我』のような計算が含まれて居ないところが、玉井の舞踏の美しさでもあり歯痒い箇所にもなっているのであろう。それほどまでに、玉井は舞踏に精通している。栲象は「舞踏とは日本語だ」と語った。この言葉にこそ、玉井の舞踏を解き明かす鍵が隠されている。言葉は闇に消える。

リナ・リッチ

ネクタイ姿の森田恭章が、中央左に立つ。「ワンコントラスト」と叫ぶ。ゆっくりと座り、膝を抱える。リナも同じ振付を繰り返す。森田はコーンを二つ左前方に置く。リナはコーンの横に立つ。森田がコーンを移動してはリナが立つという振付が延々と続く。二人はコーンを倒していく。そして、片付ける。二人は仰向けになっては立ち上がり、しゃがむ、立つ、転がるという振付を繰り返す。森田が手を広げると約一時間の公演は終了する。

リナは言う。ビニール袋の中に入り動いても、袋の中のままだ。たまに破ける瞬間がある。中が溢れ出てくる。その体験、ビニール袋を破りたい。森田は言う。コーンを置いたら位置が異なることに気がつきにくい。しかし同じように見ている。世の中は違うことに満ち溢れている。即興とは世界の在り方そのものだ。仕掛けは、立って寝るということだ。この作品を作品ということが出来るのだろうか。即興に対概念は存在しないだということだ。

森田は当日、「私はなぜ踊るのか」とう題目の紙片を折り込んだ。その文末を引用する。「理由があるのではない 問うこと そして 肯定すること できうるならば受粉という交換があること 私は花のように手を伸ばせるのだろうか」。受粉に必要なのは発信する側と受け取る側と風の力である。即興が必然であることは頷ける。即興が風であってはならない。

23日

鶴山欣也

パーカス、Wベース、ギター、バリトン、ヴァイオリンが並ぶ。暗転し、ギターがランニングする。フリージャズ的要素の演奏が、上半身を剥き出しにして白塗りの鶴山を迎える。鶴山は小刻みに指先と顎を震わせる。当然、全身からその動きは発生している。背を向けてもその動きに変化は無い。両指を頭に乗せ、踵が唸りをあげる。鶴山は口を大きく広げる。肘を巡らせ、空間を滑り縫っていく。爪先の舞いは何時しか闇に包まれる。約50分。

鶴山は踊り始めた切掛けを話す。はじめは演劇をやっていた。しかしそれ以外の何かを探していた。自分自身を見せるのではなく、自分がやったことを見せる違和感。やがて舞踏に出会う。何かにとって代わるのではなく、常に自分で居られる。何かを考えて追い求めることが舞踏だと思う。肉体があるとはどういうことか。ダンスという一つのパッケージで見せることに抵抗がある。舞踏をする一方、他方で詩を書いている。これは思い付きだ。

鶴山舞踏の真髄を、ここに明らかにしたということが出来る。それは2点ある。一つは鶴山の形が舞台になく、後方に伸びる影にこそ鶴山が宿っている点である。鶴山は虚無となり、陰もまた虚構と為り得たところにこの公演の意義が発生する。もう一つはその持続性にある。果てしなく続く演奏を演奏させたのは、鶴山の舞踏である。鶴山の舞踏に瞬発は存在しない。全てが持続に内包されるのだ。持続こそが瞬発に結晶し、時間を破壊する。

武藤容子

扉を叩く音がする。武藤は奥の扉、即ち野外から入ってくる。無音の中、上体を折る。背を向け上体を起こし、踵を揺るがす。コートを捲り上げ、全身を震わせて前後に歩む。手首にコードを引っ掛けたまま進む。サングラスを右手で取り、腰を落とす。ミニマルなピアノがかかり、体を伸ばして転がる。右前で、リノリウムを留めるテープを剥がし、自らに巻きつけていく。リノリウムを剥がしていく。武藤は、扉から外へ退場する。約51分。

武藤にとって踊りとは、生きていることの確認である。自分は何故存在しているのか。日常では考えないことだ。自分を客観視し、孤立して存在しているのではないことを理解する。内と外の繋がり、自分だけではなく大勢の人間の細胞が存在している。父が死んだ時、骨を見た。それを作品のタイトルのヒントとした。細胞が分裂して最小単位となっても、再び増えていく。それすらも剥がすことで、再生していきたい。「再生」を心に留めている。

図らずとも武藤の批評をすべき内容を、武藤は既に語ってしまっている。今回の武藤の公演の特徴は、瞬時の動作である。動作をする、それによって全てのシーンを切り替える。しかしそこには、武藤がこれまで培ってきた体が染み付いている。武藤はその動作について、否定もしないし肯定もない。ただ為すがままに感受しても、そのままには決してしない。それが武藤のいう「再生」であるのだ。武藤の再生はこれからも地続きとなっていく。

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