Top|トップページ      Access|d-倉庫への行き方      Schedule|公演情報      Rental|貸館      Archives|記録          
今枝星菜
「ダンスがみたい!新人シリーズ16」<新人賞>受賞

116-0014 東京都荒川区東日暮里6-19-7    
営業時間 18:00-23:00  定休日 月曜    
  03 5811 5399    
  d-soko@d-1986.com

d-soko Theater 
6-19-7, Higashi-Nippori, Arakawa-ku, Tokyo, JP 1160014 【Find on Map
HOURS: Tues-Sun 18-23






聞き手:林慶一(d-倉庫) 2018年6月15日更新



      コンテンポラリー・ダンスに関心が向き始めたきっかけがよくわからないんですよね。

コンテンポラリー・ダンスに関心が向き始めたきっかけがよくわからないんですよね。 私はクラシックバレエを4歳から19歳ぐらいまで教室に通っていて 。始まりは本当になんだったか、物心がついていない時で。(親に聞いた話では)デパートに行って、そこで売っていてレオタードがすごく可愛くて、「私はこれが着たい!」って言ったらしくて。その時、親も習い事させたかったので、「じゃあバレエをやりましょう」と(笑)そんなよくある理由でバレエを習い始めました。
ずっとクラシックバレエをやっていて、モダン・ダンスやネオ・クラシックは教室でやることはあったんだけどコンテ(コンテンポラリー・ダンス)は全く経験がなくて、大学に入るまで「床に入る」という感覚が一切なくて。バレエをずっと習っていましたが、バレリーナになれるような体の条件でもないし、趣味程度で続けていけたらと思っていました。
小学校高学年くらいから学校の先生になりたくて、中学生になると学校の先生の中でも数学の教師になりたいと思っていました。数学教師の免許が取れる国公立の大学を目指し、高校もそれなりに偏差値が高い自称進学校に入学しました。それからは、教員になる道を普通に歩むのだろうなあ、という感じで。

――どうして数学だったんですか?

ただただ、数学が好きだったんです。曖昧な答えがなくて、スパーンって答えが出るのが好きで。高校生ぐらいになると一問解くのに20~30分かかるようになって、そこに集中力をガッと注ぎ込む、それで解けた時の達成感が好きだったんです。それで数学の先生になりたいとずっと思っていたんですけど…何故か日女(日本女子体育大学)に入っちゃったんですよね(笑)。きっかけは全然覚えてないんですよ。日女はもともと知っていたんですけど、自分とはそんなに関係ないと思っていて。でもなんだか高校三年生の夏頃に 「私、日女受けよう」って思って(笑)

――スパーンと確かな答えの出る数学と、表現としての舞踊って普通に考えれば対極にも思われるけれども何かつながっていたんでしょうか。

思われるけれども何かつながっていたんでしょうか。 何でしょうね(笑)。理論立てて考えたり、はたまた感覚で答えを掴み取ったり、そんなところがつながっていたんでしょうか。数学も舞踊も好きだったので、好きなものが変わっても、好きには変わりないという感覚で。だから、数学が舞踊に代わることに、あまり抵抗がなかった気がします。なんかその時は頭がおかしかったんでしょうかね。最初は国公立を第一希望にして、滑り止めとして日女を受けようと思っていたんですけれども、なんかそのうち体育科の教員免許取得できるし、「まあいっか日女だけで」と思って、日女へ入学しました。

――それでいざ入学してどうでしたか?

入ってからコンテンポラリーダンスは岩淵多喜子さんの授業しかなくて、その頃は「床に入る」ということが全く理解できなくて。授業が終わると、毎回DVされた後みたいに全身あざだらけになって、それが本当に痛くてこの授業何なんだろうって(笑)。そんなんだから、コンテンポラリー・ダンスに関心が向き始めたきっかけがよくわからないんですよね。 授業ではインプロ(インプロヴィゼーション、即興)をする機会が全然なくて、体作りなどの基礎的な部分をやっていくような感じでした。インプロを初めてきちんとやったのは、1年生の夏休み期間に行われた、「多摩1キロフェス」というイベントのリハーサルですかね。これは、日女卒の川村美紀子さんが作品を出されるので、出演しませんか、という募集が学内に回ってきて。
いざリハーサルが始まってみると、ただただすごいって思って。「EDMに、ノれ!!」とか「2人組になってお互い100%と100%でぶつかりあえ!!」とか。結構みっこさん(川村美紀子)のエネルギッシュな感じに直接触れましたね。コンテに関心が向いたのは、インプロで「自由に踊ればいいんだよ!」って言われていたのが大きくて。その時に、「あー、踊るのって楽しい」って思いました。その流れでズルズル、コンテンポラリーダンスの世界に行きましたね。リハーサルが夏休みから始まり、本番は9月。もちろんみっこさんはリハーサルにいらっしゃいましたし、他の卒業生の先輩方もいらっしゃいました。1年生の間は卒業生の先輩方と接する機会が刺激的でした。卒業生の方と接する機会ってそれまでなかったんです。それですごいって圧倒されて。

――その後の授業の感じ方も変わりましたか?

変わりましたね。言っていることがすごくわかるようになりました。今まで口うるさく言われていた事はこういうことなんだ、こうするとDVみたいにならないんだって。 それが1年生の後期になってわかって。「今までそれを言っていたのかあなたは!」ってなりましたね(笑)。その夏休みを経て舞台とかも色々見に行くようになって、コンテンポラリーダンスと言っても様々なものがあって、色々見ていくうちにあーなんか深いなって。

――どういう作品に刺激を受けましたか?

あの頃は何が好きだったんだろう。学内ですけれど、それこそ「tantan」さんとか。自分が1年生の時の3年生だったので。よくいろんな作品とかを見せていただいて。学内にいる先輩で活躍していらっしゃるというのが、すごいなーという感じでしたね。

――ダンス以外のものからの刺激もありましたか?

それまでバレエをやっていて1日に何時間もレッスンをしてなかなかプライベートの時間がなかったんですね。大学生になってバレエのレッスンの時間を減らして、自由な時間を作るようにしたんです。それまで美術館なんか全然行かなかったんですけど、美術館巡りが好きな子に一緒に行こうよって誘われて。ダンスをやってきたせいか動かないものにあまり魅力を感じないっていうわけでないにしても、動くものの方がやっぱり直接的だし、見ていて普通に面白いと言うか、飽きないという感覚があったんですけれども、動かないものには動かないものの魅力があるんだって思いましたね。様々なアート作品を見て、1つの特定の作品が私のダンスに刺激を与えたということはありませんが、今まで見てこなかったものを見る、その大きなものから得た刺激というものは多くあったと思います。
自分は、物事に熱くなって、やってやるぞというのはあまりなくて、どちらかというと冷静に根気強くやっていくタイプ。だけど、根底に負けず嫌いというのあって、やはり同輩や先輩のダンスからの刺激が、これまで自分を動かしてきたというのはありますね。

――今枝さんが影響を受けたと言う川村さんや「tantan」などは分かりやすいところで肉体の躍動や爆発力というのがあるけれども、一方で今枝さんはそれこそ絵画的というか、静的な美学を持っているように見えますね。

クラシックバレエという型がしっかりしたものをやっていて、それがダンスだと思っていた自分にとって、自由にすぎるほど自由に身体を使う人を初めて生で見て、それはダンスと言えるのかもわからない、というような。「でもこれはダンスなんだ」って見ていてどこかで感じた。でもそれを自分がやりたいとは思わないというか、どうしたらいいのかわからなかったんです。まず、どうしたらいいかわからない、という事に気が付くのに時間がかかったんですけどね。それからは、このふり幅の大きいコンテンポラリーダンスを踊る上で、自分はどうしたいんだろう、って考え続けています。今年に入って、自分にフィットする何かが少しだけ見えてきて、踊りに対する土台を作り始めたという感じです。でもコンテンポラリーダンスの世界に入るきっかけになったのはそういう「自由」というようなあり方に刺激を受けたところがあります。

      ある日突然これだって、思ったのが今のあんまり動かない「人形振り」と言われたような動きだったんです。なぜかそういう風になったんです。

――今枝さんは今大学4年生ということですが、今年、「ダンスがみたい!新人シリーズ」と「横浜ダンスコレクション」で学外の発表をされました。これまでも作品はつくっていたのですか。

学内では小さい発表は結構あるので、そこで作品をつくることはありますね。長い作品だと、3年生から始まる研究室活動の一環で行われる「3年生パフォーマンス」というもので20分作品の振り付けをしたりとか。それは自分も出演しつつ研究室の仲間と踊るというもので。学外では2年生の秋にセッションハウスの「シアター21フェスStep Up」という企画で、同期と3人で共同制作の作品を発表しました。一人で発表したのは「新人シリーズ」が初めてです。

――今回新人シリーズで発表した作品などはまさにソロならではの作品と思いましたが群舞の場合はアプローチが変わりますか。

人に振りつけるということが今でもとても苦手なんですよ。自分の求めてることや、してほしいことを言葉にするのが苦手で。どういう切り口で切り込んで行けばその人に伝わるのかがわからなくて。だからダンサー側からアイデアをもらってそれを組み立てていくことの方が多い。自分で振付を考えるという事はあまりしませんね。ダンサーに委ねます。また、私は何時間も練習をぶっ通しでできるタイプなのですが、群舞でそれをやると大抵、中身の無い稽古になるんですよ。まあ、意味のある中身の無い稽古もあるけど、これはそうではない。その上よくあるのが、ダンサーがもつ良さと、自分がイメージするものが上手く融合しないとき。とてもやるせない気持ちになります、嫌いな瞬間です。人と一緒って難しいですよね。そういうのも含めて、うーん苦手ですね。(笑)

――今回「新人シリーズ」で新人賞を受賞したソロ作品「執行猶予」について教えてください。

群舞が苦手ということもあって今回の作品はソロと決めました。ソロはソロで難しい部分があるのはわかっていて。それでも在学中にソロは必ずつくろうと思っていたので、この作品をつくりました。チラシに載せるために早い段階でタイトルを決めなければならなかったので、まだ全然どんな作品を作るか決めていないからって、タイトル未定にするのも負けた気がするって思って。私はノートに思いついた単語を書きつけていく癖があるので、書き溜めたその中からピンと来たやつを選びました。それでタイトルが『執行猶予』ということが決まって、今回は結構タイトルから(作品の内容が)派生していった形で。最後まで本当にどこへ向かっていけばよいのか全然わからなかったです。今まで ソロダンスを人にきちんと見せたこともなかったので、何が正解なのかも分からないし稽古場一人だしよくわからなくなっちゃって。踊りってなんだろうって。1月の本番に向けて10月ぐらいからちょっとずつ進めていったんですけど、何をやっても違うなって思っていましたね。とにかくつくらねばと思って、12月の中旬ぐらいまで結構ガチャガチャ踊るって言うのをつくってたんですよ。つくらねば、という考えがとても嫌いです。それで、稽古はするけど、つくるのをやめました。そしたら、ある日突然これだって、思ったのが今のあんまり動かない「人形振り」と(審査員などから)言われたような動きだったんです。

――執行猶予というタイトルを選んだ理由は。

「新人シリーズ」での私の本番日が1月10日だったじゃないですか。私は誕生日が1月19日なんですよ。今21歳なんですけど、この二十一歳と二十歳(はたち)って響きの差に大きな何かがあるなって。この作品と向き合う期間が、二一歳までの執行猶予というような感覚がちょっとあって。今自分がやりたいことや、しっくりとくることを提示したいと思ってやりました。でも「執行猶予」というものに対してのストーリー性(を考えるということ)などは全くなくて、本当に今の私、今の自分という感じでした。なんと言えばいいんだろう。リハーサルも、(当日の)ゲネプロも本番も、毎回異なっていて、その時しか経験できないことを自分の身体を通してお客さんと共有したい、ということがありました。自分の得る感覚を、リアルタイムで人に伝えることって出来るのかなっていう興味ですかね。
がちゃがちゃと踊っていた時は、ストーリー性というかもう少し細かいコンセプトがあって。「執行猶予」だから、結果的に「死」があって。今は「生」、生きていられるみたいな。そういう生と死というものが当初はあったんですが、今の形(動きを抑えた表現の形)になってからはあまり関係なく、「今」という感じになりました。


      前々から関節というのに興味があって、「(体の)関節がないところにも関節がある」とか、逆に「急に関節が無くなる」とか、何かそうことに興味があって、身体でそれを表現していけたらいいなって。

――踊りで物語を紡いでいくことにはあまりが関心がなく、動きや踊りそのものへの志向が強い状態なんですね。

そうです。

――「今、ここ」の一回性を重視し、一方で人形振りと形容されるような死体的な身体性が発現していったというのは面白いですね。

「新人シリーズ」での私の本番日が1月10日だったじゃないですか。私は誕生日が1月19日なんですよ。今21歳なんですけど、この二十一歳と二十歳(はたち)って響きの差に大きな何かがあるなって。この作品と向き合う期間が、二一歳までの執行猶予というような感覚がちょっとあって。今自分がやりたいことや、しっくりとくることを提示したいと思ってやりました。でも「執行猶予」というものに対してのストーリー性(を考えるということ)などは全くなくて、本当に今の私、今の自分という感じでした。なんと言えばいいんだろう。リハーサルも、(当日の)ゲネプロも本番も、毎回異なっていて、その時しか経験できないことを自分の身体を通してお客さんと共有したい、ということがありました。自分の得る感覚を、リアルタイムで人に伝えることって出来るのかなっていう興味ですかね。
がちゃがちゃと踊っていた時は、ストーリー性というかもう少し細かいコンセプトがあって。「執行猶予」だから、結果的に「死」があって。今は「生」、生きていられるみたいな。そういう生と死というものが当初はあったんですが、今の形(動きを抑えた表現の形)になってからはあまり関係なく、「今」という感じになりました。

――性的で有機的な質へのアンビバレントな志向が、もの的、物質的な身体を引き出したわけですね。そしてそれを再接続しようとしていると。ところで、いわゆる艶かしい動きとは異なるものの性的なイメージは作品の端々に表されていたように思います。そもそも性的なものが今枝さんにとってどのように重要なのでしょうか。

いわゆるエンターテイメント的なダンスが苦手で、ああいうものって誰が見ても楽しい万人受けを良しとするところがあるじゃないですか。私もそういうダンスを見るのは好きだけど、自分はそれができないし、その世界には居られないから、自分ってダンスをどうやっていくんだろうなあって思った時に、こう、ちょっと、(公然とは)見れないけど、見たいもの、みたいなものを目指したいなと思ったんです。

――隠されたもののような。

そう、隠されたもの。「私めっちゃ見てるよ」ってあんまり人に言えないような、そういう部分が(踊りで)できたらいいのかなあとか思ったり。

――衣装だとかも、そういう志向から選ばれている?

そうですね。やはり、自分が自分でグッとくる部位は見えるようにしています。それと、動いたときの肌の感じとか意識していますね。照明が当たった時に、絶対布より肉の方が、動いた感じがダイレクトに(観客に)来るというか、布ごしではないから。ダイレクトに「性」はあんまりやりたくないので、やんわりと奥底にいることが感じられるようなギリギリのところを攻めていきたいと思って頑張っているところです(笑)ところです(笑)

――ジェンダーとしての女性性というよりは、人の深層や暗部にあるものを曝く、一種のエロティシズムを表現として追求しているような感じですね。

そうですね。

――さきほどの「関節」についての話をもう少し詳しく教えてください。今枝さんの本作の動きは関節の可動をあえて制限していくことで「人形振り」のようなありようを生み出していたように思うのですが。

気に留めていることとして「過緊張」と「過弛緩」ということがあって。「過緊張」は一点なり二点なり(の身体の部分的な緊張)で、肉体全体が過緊張というわけではない。それこそ関節、自分が動かしたい関節だけピンポイントで緊張させていく。具体的には自分が緊張させたい部分に血液が溜まっていっちゃうイメージがあって。それは動いてない時の話、静止している時にそれが起きていて。それで、血液がこれ以上溜められなくなって、溢れ出て一気に抜けていく感じ、それが「過弛緩」。そこで初めて動けるというイメージがある。その「過緊張」と「過弛緩」をやりやすいのが通常の関節ではないんです。動き始める時、つまり過弛緩の時に一気に色々な関節が現れてくるというようなイメージがありますね。「バーンっ!」て緊張が解けた瞬間にこれも関節、これも関節、みたいなイメージがあって動ける。そんなイメージが自分の中にあります。

――今回『執行猶予』をやってみて、そのようなことの実践的な手応えはどうでしたか?

やったときは、今まで稽古していたときとかの中で一番良かった、求めていた感覚に一番近づけた気がしたんですよ。それでDVDが届いてから観たら、アドレナリンが上がりすぎて「めっちゃ踊っている!まじか!?」って思って、結構部分部分では自分が好きな瞬間があったんですが、逆にそういう部分があったからこそ、自分が気に食わない部分が目立っちゃって…初見の人が観たらそう思わないかもしれないけど、自分の中で「ここの左手、本当に嫌だ~」みたいな部分が多くて…自分が求めている動きが出来ている瞬間があるだけに、自分が気に入らない身体の瞬間があると、せっかく丁寧に構築していったものが、どんどん薄まっていってしまう気がして残念です。

      私は自分の踊りが好きじゃないんですね、でも今のような踊り方を始めてから結構許せるところが増えて、いずれ一作品全てが許せるようになったらいいなぁ。それが目標ですね。

――「踊ってしまうこと」に警戒しているところがある。

ありますね。容易に踊ってしまうことが怖いです。もっと「動き」ということをやりたいのと、DVDを観てそこで容易に踊ってしまったことによって、濃度が濃かったところが急に薄くなった感じがして。踊ることは自分の中では全然いいんですが、考えられていない動きというか自分の考えが及んでいない範囲外の動きをよくない方向にしていて。良い方向にするときもあるんですが、自分を裏切るみたいな感じで。

――不用意に癖がでちゃうような?

そうですね。あとテンションが上がっちゃって投げやりになっているというわけではないですけど、そんな感じの瞬間があると…後半に行けば行くほど「あぁそうですね…」みたいな部分はありました。でも一応人前でちゃんと見せる初めての作品だったので、色々と周りからも言われて…これも「あぁ...はい…そうですよね…」みたいな感じですね。ダンコレ(横浜ダンスコレクション)の時もそうだったんですけど、「身体がやりたいこととか動きの独自性とかはわかるよ、でも作品の構成頑張れ!」みたいな、それが一番の課題みたいに言われてました。

――けれど、もし身体への徹底的な追求からもっと特異性が出てくれば、そんなことも気にさせないかもしれないですね。

それを今一生懸命探しているところです。身体への関心は結構止まらずあるんですけど、それをどう作品にしていけばいいのかというのが今「う~ん」ってなっているところで…

――動きすぎてしまう身体に対して、動かない身体を求めていくというのはどうしてなんでしょうか。

私は自分の踊りが好きじゃないんですね、でも今のような感じの踊り方に出会えてから、自分の踊りに対して結構許せるところが増えて、だからいずれ一作品全てが許せるようになったらいいなぁというのが目標ですね。だから別に誰か他者がいてその人に対してこうみたいな目的というよりかは、自分の中でどれくらい許せるようになるかみたいな部分はありますね。結局、動かない身体を求めていくのは、動きすぎてしまう身体よりも自分が許せる部分が多い、ただそれだけですかね。

――今回再演をやってもらって、来年には新作をd-倉庫で上演していただきます。これからの活動の展望などはありますか?

少なくとも、踊る場所はあったらいいなぁって感じです。結構大人と話をする機会があって、そうするとやっぱり「お金がない」という話に落ち着くんですね。お金もないし、ダンスをする場所もないという話になって、「う~ん、厳しい」と思っちゃいますね。だから、自分がやりたい、創りたい、単独公演をしたいと思っても、自分が求めるもの(公演時期やキャパ数など)と合わなかったり、それこそ公演を打つのに全然赤字だったり、そういうことの方が多いってかほとんどじゃないですか。でもそういう世界に踏み込もうと思うと、結構暗い感じになるんですけど、でも踊って生きていけたらいいなぁと思うんですけど、どうやって生きていけばいいんですかね…卒業が今年度なんで社会に出されたときに、今まで学校というものがあったけど、本当に舞台が切れたら私はどうしたらいいんだろうとかばっかり考えちゃって、とりあえず来年夏~秋ぐらいまでは公演が決まっているんですが、その後は?みたいな感じになっていて、いつ切れるか分からないという怖さみたいなものがあって、でも「踊ろうと思ったらどこでも踊れるじゃん!」という大人もいるんですよ。「そうか?」とも思ったり、なんか暗い話になっちゃって…たまに「海外で踊っていくのが向いているんじゃない?」と軽く言う大人もいるんですけど、海外で踊るってなったときに「じゃあどこから攻めて行けばいいのか教えてよ!」みたいな、でも言うだけ言って誰も何も教えてくれないので大人は冷たいなといつも思います。まあ、他人に求めてばかりではいけないのは分かっています。私ももう、21歳になりました。どんなに環境が悪くても、自分の力で生きていかなければならないんですよ、結局。

――ダンスシーンおよび社会の中でどういう役割を果たしていきたいですか?

う~ん、それは難しいですね…。社会というか、私はあまり他と接しないというか関係を考えないんで…それこそ下島礼紗さんって社会に対して、自分の作品を通して伝えるみたいな感じじゃないですか?ああいうのが本当になくて…だから社会に対してこうとかはないですね。ないけど、結構ダンスに対して自分が踊っているのを観てくれたお客さんと共通体験がしたいなと思っていて、何かダンスを観ることでしかできない部分の共通体験があると思うんです。それこそ観ちゃいけないものを観ている罪悪感みたいな部分を観てくれる人、経験してくれる人って、ダンスを観ている人の中でも一握りだなとすごく思うんです。だからそれが増えていったらいいなぁって感じですね。こんな色んなダンスがあって、まぁ色んな種類のダンスを全部観に行く人はそんなにいないと思うんですけど、その中でもちょっと言い方が悪いですけど、動いていないと眠くなっちゃうお客さんっているじゃないですか?やっぱりそういう作品って苦手意識がある方が多い。それこそ逆に音楽掛けてバンバン踊るみたいな作品の方が面白いと言われがちと言ったらあれですが、間口は広いですよね。だからちょっと暗いというか静かな作品も受け入れていってもらえたらいいなぁと思いますね。

――そういうお客さんとの繋がりをもっと拡げていきたいと。

拡げていきたいですね。やっぱりコンテンポラリー・ダンスを観たことがない人に「気軽に観に来て」って言えないんですよね、私の作風的に。もうちょっと身近なコンセプトでそれもダイレクトで分かりやすいとか、普通にダンシングしている面白さがある作品とかだったらお客さんをどんどん呼べると思うんですけど、自分が今創っている作品って呼びにくいと若干思っちゃうんですよね。急にこういうの見せられても、ダンスをあまり見たことがない人には難しいだろうと思っちゃって。作品を見たことによって、コンテンポラリー・ダンスという聞きなれない言葉に対する壁のようなものが、更に高くなってしまうのが怖いです。もう少し一般受けされるようにどうにかしていきたいんですけど…難しいですよね。

――そのような「コンテンポラリー・ダンス」とはどういうものだと考えますか。

私の中ではコンテンポラリー・ダンスって身体でしかなくて、もうイコールで結べるくらいのイメージです。身体ありき。もちろんダンサーは身体ありきと言えば身体ありきなんですけど、だからコンセプトとか音とか照明空間とか美術とかそういうものよりも圧倒的に身体資本だからコンテンポラリー・ダンス=身体ですね。でも、音とか照明とか全部含めてコンテだという人もいらっしゃいますし、それはまぁ様々だからそれもいいんだろうなぁと思いますけど、でも私は身体だと思っています。


今枝星奈
1997年生まれ。日本女子体育大学在学。 幼少よりクラシックバレエを学ぶ。17歳の時にコンテンポラリーダンスに出会い、現在はソロを中心に活動中。21歳、少し先に22歳。ダンスがみたい!新人シリーズ16にて「新人賞」を受賞。横浜ダンスコレクション2018コンペティションⅡにて「タッチポイントアートファウンデーション賞」を受賞。



      copylight(c) 2012 d-soko all right reserved



1