舞踊批評家、志賀信夫さんにお話をうかがいます。
Q ダンスに触れたきっかけは?
A 1977年に舞踏家大野一雄の『ラ・アルヘンチーナ頌』という舞台を見たことです。なぜか涙が止まらなかった。白塗りで女装した老人の踊りが、なぜか聖なるものに撃たれたように感じました。舞踏が世界に広まった伝説的な初演で、舞踏の始まりといわれる『禁色』以上に重要な作品です。
Q 批評を書き始めたのはどうしてですか
A 20代から舞踏や唐十郎の舞台、森下洋子のバレエやモダンダンスなどを見ていました。それが80年代のウイリアム・フォーサイスの衝撃で徐々にダンスが中心になりました。90年代に大野一雄にインタビューしたのがダンスについて書いた最初。それから雑誌やサイトで舞台評を書き続け、誘われて舞踊批評家協会に入りました。
Q 舞踏を一言でいうと?
A 身体と踊りの追求です。動きの追求というより、体とは何か、踊りとは何かと自ら問い続け、踊り続けるという一種の思想です。だから、自分の踊りを舞踏という人は、それは舞踏でいい。舞踏とは自分自身が身体とひたむきに対峙することだからです。
Q 今回の「ダンスが見たい」の見どころは?
A 若手ではまず群々(むれ)。30代のダンサー、振付家、劇団主宰者などが集まってつくるところがポイント。こういう共同演出はほとんど失敗するのが、群々の前作は成功した。 さらに、ソロ公演などで名前も知られる中堅、優れた舞踊家たちに注目しています。
まず気になるのは川口隆夫。ダムタイプで活躍し、近年はソロや音楽家との舞台で注目されました。非常に優れた動きと身体感覚を持っており、頻繁に踊る人ではないので、見逃せない。上村なおかは木佐貫邦子にコンテンポラリーダンスを学び、笠井叡に舞踏を学んだ舞踊家で、常に身体を真摯に追求し、エレガントな姿のなかに芯の強い動きが息づいています。岩淵多喜子は女性だけのグループ、Ludensを主宰、国内外で活躍し、コンセプチュアルな舞台を作りながら、しっかりとダンスの動きを探り続ける舞踊家です。手塚夏子、Abe M'Ariaは、それぞれ違う方向から自分の踊りを追求しています。手塚さんは静かな日常的ともいえる動きのなかに、存在と表現が静かに浮かび上がる。Abeさんは逆に激しく暴れるなかで、人という存在自体が立ち現れる。若手の林慶一はパフォーマンスの文脈で、気に入る人と拒絶する人が二極に分かれる。それだけオリジナリティがあります。
Q 往年の舞踊家も登場しますね。
A 石井かほる、若松美黄は現在、日本のモダンダンスの歴史を代表する存在。石井かほるは石井漠の流れで60年代から独自の表現を追求し、海外での評価も高い。現在、劇場舞台には滅多に出ませんが、両国シアターX(カイ)の屋外で毎月、淡々と踊り続けている。今回は舞踏に触れてきた若手の岡佐和香、金野泰史などをまじえて舞台を作るので、どうなるのか楽しみです。
若松美黄は、舞踏家土方巽とともに津田信敏に学び、50年代後半は無音の舞台や綱からぶら下がる、ワインボトルでオナニーを表現するなど、そのインパクトのある舞台に、土方よりも才気を感じたという批評家もいます。その後、商業舞台を経て筑波大学教授、舞踊学会長、現代舞踊協会の理事長などの役職を勤めていますが、長年、自由な踊りを追求し続けている。根底に楽しさを求める感覚や好奇心が感じられる特異な舞踊家です。
ともに50年以上踊り続けている重要な存在で、モダンダンスに位置づけられますが、その主流であるお稽古事的な流れに抗して、独自の世界を追求しており、「生涯前衛」といえる舞踊家たちです。
Q 新人賞受賞者はいかがですか
A 新人賞受賞者、柴田恵美とGuellを主宰する澤田有紀は、どちらも身体性と感覚が極めて優れており、ハイレベルな舞台を作ります。見たら惹き込まれることは間違いない。詳しくは新人賞の講評ページを見てください。
Q踊りの魅力はどこにありますか
A 「舞踏とは」の回答と重なりますが、表現者が徹底して自分と踊りを追求すること。そして言葉にならないものを表現することです。それに触れるのはたった1回の舞台しかない。技術のある人の舞台に必ずしも惹きつけられるわけでもない。
今回の舞台は20代から80代まで、日本のダンスの歴史に残る優れた舞踊家、振付家が揃っています。彼らはいわゆるレパートリー的なダンスではなく、異なる方法でそれぞれ踊りと自己を深く追求しています。そして実際に何が出てくるかは舞台を見なければわかりません。毎日同じ舞台はなく、どうなるかわからない。演劇のような再演は成立しない。一過性です。だからダンスの舞台は見逃せない。だからこそ、通い続けるのです。