*TVや映画中心だった榊原さんが、劇団を始められたきっかけを教えてください。
実は、デビューは舞台なんですよ。「幕末塾」という、アイドルグループの一員でデビューしたんですが、そのデビューはいきなり下北沢の駅前劇場での舞台でした。毎月1本の新作を16ヶ月連続でやりました。17本目の本多劇場が、「幕末塾」としての最後の舞台となりましたが・・・。ですから、TV人でも映画人でもなく、ルーツは舞台人だったということでしょうか。・・・別に神秘主義ではないんですが、ある占い師に、昔、こう言われたことがあるんです。TVが忙しくなり舞台とは中々縁が無くなっていた20代前半の頃でした。「あなた、ほんとうにやりたい事を貫くんなら、劇団やりなさい。それしかない!」・・・正直、舞台の大変さはいやというほど分っていましたから、「何で?!やだよ!映画やりたい・・・こんなのあたりっこない!」心の中で、そう叫んでいました(笑い)・・・その後、1997年だったと思うのですが、少し仕事の悩みも出てきたところで、あの占い師の言葉を思い出し、1本プロデュース公演をしたんです。自分も出演しながら、弁当の手配から雑用まで、何から何まで、気が済むまでとことんやってみたんです。その甲斐あって、舞台はお客様も大勢で大成功!・・・と思いきや、ほぼ満杯に売れたチケット代は跡形も無く、あぶくの如く消えていたんです。素人に近い人間がプロデュース公演なんてするもんじゃあありません!はっきりいって大赤字でした。あんなに、一生懸命やったのに・・・「何が舞台をやれだ!・・・もう二度とやるもんか!」・・・それがあの2006年。人生の節目ってやつでしょう。さらに大きなとんでもない波に巻き込まれ、どん底に叩きつけられたときに、こう思ったんです。「もう一回、やってみよう!・・・俺に残された道はこれしかない!やっぱり、舞台なんだ」その瞬間からです。自分が面白いって思う、本当に面白いものは、自分たちで創り上げなくちゃだめなんだ。人任せじゃだめだってやっと気がついたんです。・・・そう、2006年。運命の年でしたね。いきなり、初めての演出。有吉佐和子先生の「悪女について」を、カミサンが初脚色して「アクジョニツイテ」という、証言劇に書き換えたんです。あの作品が、この間、二公演連続こちらでやらせていただいた「七慟伽藍」と同じレッド・フェイスのオリジナル「活読スタイル」の原点なんです。
* 「七慟伽藍」は、大評判でしたが、その「活読」スタイルについて、少し詳しく教えていただけませんか?
簡単なんです。実は、本を持って演じるのは全て「朗読劇」だと思っていたんです。で、当初は朗読劇「アクジョニツイテ」と銘打っていたんですが、著作権協会の方からご指摘があったんです。「これは、朗読劇ではありませんよ。朗読劇というのは、原作を一字一句、間違いなくただ読むのが朗読劇なんです。この脚本では、立派なお芝居になっています!」・・・あら、そうだったのか。言われて初めて気がついたんです。うちのスタイルは、所謂、「朗読劇」ではないんです。作品をさらに面白くするために、あえて、本を持って動きに制限をかけているんです。全く動かないわけではありません。時によっては、背景の動きを本で表現したり、小道具代わりにもしますし・・・台本は持っていますが、台詞はみな覚えています。間違ってほしくないのは、決して手を抜いているわけではないのです。作品にもよりますが、どうしても、本を持ったほうが面白いものだけを「活読スタイル」で、演じて貰っています。「アクジョニツイテ」は26人が登場しますが、実際は二役、三役、多い役者は四役をこなしますから10人ほどのキャストで演じます。その役者の変化がまた、面白いんです。もう一本、「東京の王様」という、16人が登場し16人で演じる昨年発表した「活読」がありますが、これが一番ストレートに変えやすいかなと思っています。機会があれば是非、ストレートでもお観せしたい作品です。
それに比べると、「アクジョニツイテ」や先日の『七慟伽藍』は、絶対に「活読」でしか、あの世界観は無理でしょうね。・・・あの臨場感を出すには、あの台詞の多さをあの時間内でこなすには、そして、あのスピード感を出すには、「活読」しかないでしょう。そう、思いません?
* 確かに、そうですね。でも、今年2月にd-倉庫で公演した「吟子」は、初の2時間超えの大作でしたね。
・・・そう、26名も出てもらいました。初めての二幕物の長編でしたが、ステージを大掛かりに動かしたりしたんです。言うまでも無く、すべて人力でした。なんと、うちは本番中、舞台監督なしで、いつもやっていますから、役者がみんな見えないところで出ない場面で働いてくれているんです。幕引きも順番が決まってたりして、誰か忘れるととんでもなく、厄介なことになっちゃう・・・そうそう、うちの奥田直樹さん!あの人がほとんどすべての道具を造ってくれる魔法使いなんです。奥田さんには去年無理言って劇場を一個造って貰いました。(笑い)・・・レッド・フェイスの良心・宝ってみんな奥田さんを呼んでいます。・・・それから、今、話題の「PU-PU-JUICE」のみんなも、去年の『爾汝の社』から大勢で参加してくれて、盛り上げてくれました。自分のとこよりか、こっちで大変なことやらされちゃうんだから、たまったもんじゃないでしょう(笑い)男気があって・・・あ、サッコは女か・・・ま、みんな、とにかく、いいやつらです。もう、二度とあんな舞台は出来ないだろうなって。ほんと、贅沢な思いをさせてもらいました。感謝、感謝。
* 榊原さんが芝居創りでこだわっていることってなんでしょう。
うーん、まず、時間。100分がベストだと思ってます。お尻が痛くならない限界。それに、もっと観たいと思ってもらえるジャストタイムだと思うから。それから、テンポ。リズム感の無いやつはだめ。うちの作品は光・音・芝居が三位一体になってるんで、ミスが許されない。独りよがりの芝居して、全体の流れを崩されるのが絶対に、駄目!灰皿投げちゃいます(笑い)・・・とにかく、映画大好きですから、結構、音もタイミングもこだわってます。当然のことながら、いい映画にはいい音楽がいいタイミングで気持ちよく入ってる。・・・でしょ?うちはまだ、音は借り物なので、尺をすべて、音にぴったり合わせていくんです。これ、慣れないうちは大変な作業です。そこまで、こだわるんなら、オリジナルの音作ったらとよく言われます。確かにその通り!来年は挑戦したいです。それから、うちの舞台を観て「映画を観た後みたいな感じ!」と言われることがあります・・・実は、これ、すごくうれしい。場面、場面が、記憶に刷り込まれるように、必死でしつこく、粘って創ってますからね。うん、そんな感じ、うれしいっす。
* 今、演劇ライフなどで、注目が集まっていますが、今後はどのような活動を考えてますか?
なんだか・・・ね。いきなり、こう、いい波が来た!!!???こうやって、d-倉庫さんもインタビューなんかしてくれてるし(笑い)・・・ねぇ!・・・ただ、集客が落ちてるのもこの4年目の現実なんです。リーマンショックか?って、うちには、全く、関係ないでしょ!・・・皆さん、ドンドンジャンジャン、芝居を観てほしい。元気になりますよ。景気の悪い今こそ、生の芝居!表に出なきゃ。元気だそうよ・・・俺たち、まだまだ、やりたいことは山ほどあるんです。まず、演出家としては、いろんな意味で、若手を育てたいですね。俺もこう見えてもこの夏で、40になりましたから、結構、体力がツンと落ちてきてますよ。やれるうちに、いろんなこと、教えたいし、教わりたいですね。若者は、気づかないけど、一杯持ってますから・・・極上の宝をね。そして、スターを育てたいです。人気者を。できればいっぱい。それから、役者としては、もっと完成度の高い物を目指します。皆さんからの再々演の呼び声高い「七慟伽藍」其の参も、機会があれば、是非やりたいですね。戦国武将は体力・気力を吸い取られますが、その倍くらい気分がいいんです。特に、信長公やらせてもらってるからかも・・・!ま、日常から、うちのみんなに『魔王』と呼ばれていますから、少し似たところがあるのかも・・・(笑い)今年も、来年もアグレッシブに行きますよ!今年は、あとはこの『カナリヤタウン』の1本ですが。同じ作品を4年間に5回もできるなんて幸せだとな思ってます。レッド・フェイスの原点ですからね。カナリヤは・・・みんなも、帰りたい場所なんです。とにかく、日暮里、d-倉庫でお会いしましょう!あ、そうそう、うちの作品とd-倉庫、実にぴったりはまるんです。まさに、うちの為の小屋です。始まってくれてよかった。ほんと!(笑い)