池の下 インタビュー
★池の下の長野和文さんに伺いました。
Q.まず、今回上演する「盲人書簡」は、寺山修司の幻想劇で闇をテーマにした作品ですが、この劇を池の下ではどのようにとらえていますか?
A.「盲人書簡」に出てくる闇は、見るという行為を疑うことから始まっていると思うのですね。実際にいま見えているものは真実なのか。現在、われわれの眼前にあるものは実像虚像様々なものがある。最近ではリアルな実像よりも、バーチャルな虚像のほうが幅をきかせている。しかし、その見えているものをどれくらい信じたらいいのか、分からない領域に現代人は足を踏み入れていると思うのです。あふれる情報を目の前にして、判断不能に陥っている。
寺山修司がこの劇を上演した時は、「見えない演劇」という実験性が最も意味のあるものだったのかもしれないですが、世の中が見ることですべてあやふやになっている現在、この劇のテーマは新たな座標に達するはずです。
Q.池の下では寺山修司全作品上演計画を1999年からスタートさせています。今回は17作品目ですが、なぜ寺山作品を上演しようと思ったのですか?
A.池の下は、もともと身体表現ワークショップから結成されたのですが、演劇的にはアントナン・アルトーに対して関心がありました。アルトー自身は自らの演劇論で語ったような演劇はつくれていない。それなら日本でアルトー的な劇をつくれるテキストはないかと考えていたところ、寺山作品と出会ったわけです。劇団員も私を含め、天井桟敷で上演されていた頃をほとんど知らないが、今あらためて寺山の本をテキストとしてとらえてみると、身体的なものも含めて新たな演劇的可能性が感じられる。池の下が寺山の初期作品を連続上演していた頃、あまり寺山作品を上演する劇団はありませんでした。それなら全作品を上演して、俯瞰的に演劇人寺山修司を検証して、その中から新たな表現を見出せないかと考えたわけです。
Q.池の下では、公演のたびに身体表現的なものが変化します。それはどうしてですか?
A.それは単純に個々の作品を上演するのに適した身体表現を行っているからです。劇団独自の身体表現をどの作品をやる時も変えないでやっている劇団もありますが、池の下では新たな作品を上演する場合、まずはテキストから身体に対するコードと、単純化された情報を引き出し、それを空間の中で立体化するためのワークショップを行います。作品にもよりますが10数種類の身体アイテムをつくり、それを表現に応用するような作業も行っています。このワークショップを劇団では「身体空間ワークショップ」と呼んでいます。
Q.池の下ではワークショップをどのようにとらえていますか?
A.まず、作品をつくる上でなくてはならないものであり、劇の素材を発見して、それを表現に結びつける場です。劇団のワークショップには2種類あって、そのような上演のためのワークショップと、俳優養成としてのワークショップがあります。俳優養成のためのワークショップは日本古来の身体技法から自らの身体表現の可能性を広げるような課題や、身体と身体が出会うことで劇が生じるのを様々な身体的シチュエーションから体験していく課題などを行っています。このワークショップは、中国の国立演劇大学の上海戯劇学院でも2週間行われ、好評でした。今年の4月から初めて日本でも一般向けに行われる予定です。
Q.今後の池の下の活動についてお聞かせ下さい。
A.寺山シリーズと並行して、2008年より「池の下MISHIMA PROJECT」をスタートさせ、三島由紀夫作品の上演を行っています。昨年6月に上海のアジア太平洋地域演劇祭で、三島の近代能楽集から「班女」を上演しています。今年の夏は、利賀フェスティバルで「葵上」を上演する予定です。
寺山修司全作品上演計画も引き続き展開させ、来年度は幻想劇3部作から「阿呆船」を上演する予定です。この作品で「疫病流行記」「盲人書簡」と続いた幻想劇シリーズは終了します。
海外公演はベトナムやイラン、韓国などからの企画もありますが、これは国際交流基金次第ということもありますので、まだ未定です。国際交流基金も、いま話題の事業仕分けで叩かれていますから(笑)
ありがとうございました。これからのご活躍も楽しみにしています。