Q.京都市立芸大出身ということですが、美術の道から敢えてダンスを選択したきっかけは、何だったのでしょうか。
A.コンテンポラリーダンスなどを知ったのは、芸大卒業後でしたね。
元々、絵を描く事が大好きで、毎日絵筆を握っていました。高校の制服は油絵具まみれ(笑)
芸大に入ると、自分の表現したい事をより深く、明確にする必要に迫られました。
何故、作品を作るのか。その為の手段は絵でも良いし、立体でも良いし、写真でも良いし、踊っても良い。自由でありつつ、表現する内容に関しては非常にシビアな環境が、芸大にはありました。
その頃から気になっていたのは、身体という媒体の事でした。今思えば、自分の身体感覚を如何に作品に表出するかという事で、その頃は四苦八苦していたように思います。
身体の震えが絵筆を伝わる事や、オブジェに釘を刺す時の感覚、そういった事にこだわるうちに、自分の身体そのものが気になりだして落ち着かなくなったのですね。
より純度の高い表現をする為には、もっと自分の身体そのものを鍛え、研ぎ澄ませなければならないのではないか?と考えました。
そして卒業後、ダンスをしようという意思の元にではなく、あくまで自分の表現の為に、様々なダンスのWSを受け、引き込まれて行った訳ですが、それは結果的には大正解でした。
Q.表現というものを追及する過程で、身体と向き合う必要を強く感じたという事でしょうか。
今の南さんの作品の独特の演出手法からは、少なからず美術の影響も感じますね。では、ダンスとの出会いの中でも影響を受けたものについて。
A.関西もダンスのWSは凄く盛んで、コンテンポラリーのWSとか色々受けてたんですが、最初に面白いと思ったのは、コンタクトインプロビゼーション。赤の他人と身体を接触しまくるこの技法は、それまで美術をやってて頭でっかちで閉じていた自分の身体を解放してくれた気がします。
そしてじっくりと身体を鍛えて意識を変えてくれたのは、やはり舞踏との出会い。白虎社出身のダンサー、今貂子さんが京都で12年前から稽古場を構えてらっしゃいます。
大学出たての私は最初、舞踏って何なのか解らなかったのです。健康法か何かなのかと(笑)で、毎日のように稽古に行ってみたら本当に鍛えられて健康にも良かったんですけど、、。今さんの舞踏の身体操作の教え方は非常に丁寧で粘り強かった。
白塗りして踊る事や舞踏の背景なんかは後から知りました。奥深く、手軽には体得し難いものだと感じたので、だからこそのめり込むことになりました。
単に動くということがダンスなのではなく、観客の身体の意識を変える、舞台空間を変える、時間軸を操作するという感覚。
今貂子さんや舞踏からは、いつもそういったものを学ぶ事が出来ますね。
今さんの身体は唯一無二だと思います。しかし彼女はその身体感覚を人類共通のものとして提示しているように見える。巨大なスケールの身体観です。
Q.舞踏と現在の南さん自身のダンスとの関係性についてお聞かせください。
A良く、変わった踊り方だね一体どこで習ったの?と言われますが、、。私はとにかく稽古場でじっくり自分の身体と感情で実験する作業からダンスを作ります。からだから感情からどんな動きが出てくるか、ひたすら待つ。単に面白い動きを追求することもありますね。
ですから作るのは早くないと思いますが、その作業の積み重ねが自分なりのダンスを生みます。独自性ということに固執しているのではなく、自分の身体が本当に欲している動き、楽しい動き、必要な動きを探ると、そういう作業をしなければならなくなります。舞踏からの影響があるとすれば、その感情と身体の見つめ方、繋げ方ではないでしょうか。
舞踏は内面凝視という事を重要視しますよね。先程、奥深く手軽には体得し難いと言ったのは、そういう意味です。
舞踏は人間の本心、本質を身体に表出する為の非常に重要なツールなのではないかと思います。
私達の世代は再構築の世代と言われますよね。作品を作る時に必要な様々なものを、囚われずに、利用、というよりも自分の無意識の記憶の中でぐちゃぐちゃに解体され、再構築します。
最初、ダンスや舞踏って何なのかよく分からずに、非常にフラットに手探りでぐちゃぐちゃと接してしまったわけですね。今でもまだまだ謎だらけですし。
でも逆に言うとそのほうが、先入観無く、各ジャンルのダンスの良いところを吸収しやすかったと思います。
作品を作る上で必要な集中力や内面凝視に基づいたテーマ、振り付け作りを舞踏からは学んだのでは、と思います。
Q.南さんの作品からは強いテーマ性を感じます。テーマはいつも、どのようにして決まるのでしょうか。
A.自分が社会で生きている中で気になっていること、どちらかというと不愉快だったり、理不尽だったりする事、ネガティブな感情から出発する事が多いですね。仮にポジティブな感情から出発しても、必然的にネガティブな要素も作品の中に盛り込む事になりますね。
作品で感情を吐き出すのが目的ではなく、人間の負の要素に価値を与えてやりたいんですね。
私の作品にはどこか欠けていたり、何かが過剰ではみだしている人が出てきます。
それは私自身なのかもしれませんが、私じゃなくて貴方かもしれないし、街を歩いてるあの子かもよ?っていう提示の仕方をしている。いつもタイトルやテーマやモチーフが決まると、ネットでその言葉について調べて、なるべく普遍的なイメージに近づけると言う作業をしています。
前回のソロ作品mushi-keraでは、学校の中ではみ出している人が出てきました。これは学校に対する思い出がどうっていう事ではなく、人間の抑圧された感情や暴力性を表現するために学校というイメージを利用したんですね。勿論自分が学校が嫌いだった事もありますが(笑)
ダンスそのものに、人間を抑圧や暴力性から解放する力があると思います。
ネガティブな考え、エネルギーというものは社会の中で行き場がありませんよね。社会が回るために必要な事ではない。でもアートのフィールドでは価値を見出してやれると思います。人間のネガティブなエネルギーを、なくす、とか、忘れる、必要はなくて、認めて正しく取り込んで行けば、悲劇を回避できるんじゃないか?と思います。
アートの世界は、社会から疎外された自由な楽園のようで、本当に楽しいですよね。時間を忘れて、ここでずっと夢中で遊んでいたいと感じます。でもそれだけではなく、楽園から社会に何かを働きかけるっていう事をできればと。
もっと社会の中にアート、お祭りを沢山作り出して、作品の中には社会を意識的に反映して、行き来してごちゃまぜになればいいと思っています。ならないかな、と。
Q.では、これからの南さんの作品や活動に対する抱負を。
A.本当に沢山あります。ソロ活動としては、7月10〜11日の単独公演「BINTA」を、まず見ていただきたい。同世代の人にも、年配の方にも子どもにも、絶対に見て欲しい普遍的なテーマを扱っています。
あと、これまで即興の公演を沢山企画してきましたが、より即興でしか出来ない事を追求したいので、少しづつ内容に変化が生じて来ました。これも発展させつつ、継続しますので宜しく御願いします。
それから、実はグループ作品を計画しています。久々に他人に振り付けをします。
先ほどもお話ししたように、夢の楽園での娯楽としてではなく、現実と戦える武器として、ダンス、芸術を広めていく作業を、多方面からどんどんできれば、と思っています。
南弓子 プロフィール
京都市立芸大卒業後、今貂子の元で舞踏を学び、現在関東を拠点に、国内外でコンテンポラリーダンサーとして活動中。
柔軟かつ強靭な身体、舞踏とコンテンポラリーの両性、計算された世界観と、時に爆発する衝動性。京都ダンスプロダクション2007、ダンスボックスセレクション、日韓ダンスコンタクト、横浜ダンスコレクションなどに出演。『ダンスがみたい!新人シリーズ8』で『オーディエンス賞』を受賞。自主企画公演も多数。
南弓子オフィシャルサイトhttp://homepage3.nifty.com/q--p/m/