Special Interview Vol.028
小林嵯峨+鵟・NOSURI インタビュー
小林嵯峨+鵟・NOSURI インタビュー

























小林嵯峨+鵟・NOSURIの小林嵯峨さんに伺いました。



Q. 舞踏を始められたきっかけと言うのはどのようなものだったのですか?

A. 特にきっかけというほどの事はありません。子供の時からコワイものやキケンなものが好きというか、感じ取ってしまう方で(決して霊を見た!とか言うのではないのですが)舞踏に辿り着いたのは当然のことと思われます。何故、そんな怖いものが好きになったのかと言うとバタバタと風に煽られるトタン屋根の音や、山のふくろうの声を聞きながら育ったからでしょうか。雨戸の節穴から日が差し込んで障子にさかさまに映った外の景色、がらんどうになった蔵の中の埃だらけの、忘れ去られた器物たち、壁のしみ、便所の花・・・。一見のどかに思えるそんな事柄がわたしにはどこか空恐ろしく、自然はやさしいばかりではないぞ!と云われているようにいつも感じていました。後々土方巽に出会ってそれまで忘れられていたそんなものが一気に噴出して・・・またその後シュルレアリスムなども知って、例えばエルンストとかに共通するものを感じました。
 遠野地方の語り伝えにもやっぱり惹かれるところがありますね。姥捨ての習慣とか、馬とまぐわった娘の話とか。西洋文明を無理やり押し着せられてそんな恥ずかしいものには蓋をしてみたって無くなる訳ではない。どうしてそんなに簡単にそのようなものを忘れ去ってしまうことが出来るのでしょう。このような人の体に残された「痕跡」を辿ろうとするすることが、どうしたって自分の踊りからははずすことが出来ません。
また、自分の体を奇形と感じ、羽をむしりとられた哀れな鶏のようだとかひどい劣等感を持って育ちました。特に美しい姉との比較においてそうでした。
 実家のすぐ隣にいわゆる「えた」の部落があり、小学校の時にはその部落の奇形の女の子が一番の友達でした。「えた」、「非人」と差別され、貶められた人たちでありましたが一面有能な職人でもあり社会の重要な役割も果たしてきたのです。「社会派」と、すぐにレッテルを張られてしまいそうな事柄ですが、それは決してそんなんじゃなく人であれば誰もがその体に残している痕跡であるはずなのです。
かつて「動物」であった「痕跡」と同じように。どうしてそんなに簡単にこういった事実を忘れてしまうことが出来るのでしょうか。こんなことばかり考えていれば舞踏に遭遇するのも当たり前のことですね。
 
どんなに時代が変わろうとも舞踏そのものに変遷があろうとも自分と言う人は死ぬまでそこから離れることが出来ないでしょう。「NYという街でコンテンポラリーダンスを習った」人たちだってみんなおんなじだと思います。自分を正確に捉えていなければグローバルも何も無いでしょう。ハイヒールも下駄も共に地面に飛び散る排泄物をよけるための物であったということこそがほんとうの意味でのグローバリズムなのではないでしょうか。露悪,偏奇と言われる下品な思想なのかもしれませんが・・・・・。


Q. 1997年からアウラ・シリーズというものを始めていらっしゃいますが、これについてお話し願えないでしょうか。

A.以前、目黒に住んでいた時近くの守屋図書館で『アウラ・ヒステリカ パリ精神病院の写真図像集』(著:J・ディディ・ユベルマン リブロポート出版) という本を見つけました。この本はヒステリーの症状を写真に収めた症例集にユベルマンが文を書いたものですが舞踏に非常に近  いものを感じました。本人にも自覚されない、目にも見えない「無意識」がこんなにも体に強い影響を与えるものとは・・。
 
19世紀パリのサルペトリエール施療院に収容されていた貧しい女、犯罪者、キチガイ女達。このキチガイ女達の写真症例集を作成したのがシャルコーでフロイトはこの人に学び、その後ユング、 ラカン、ドゥルーズ・ガタリなどと続く精神医学、心理学の基礎となっていったのだと思いますが、そのことよりもここに写し撮られている少女、女たちそのものが私に衝撃を与えました。私には彼女達は まるで踊っているように思え、そのイノセントにも打たれました。これ等のすべてが事実であるが故になまなかの想像、創造の域をはるかに超えてしまっていたのでした。そうして無意識というものを探っていくうちに、そこには人間にとって負の領域にはたらくものもある一方、通常の意識では及ぶ事もない大きな力を引き出す可能性もあるのではないだろうかとも思ったのです。
 色々な難しい医学、心理学 
的用語を使いこなす技量も知識も私にはありませんが、すぐれた詩人や画家たちに稀に訪れるインスピレーションというまるで神の啓示のような説明のつかないものも無意識の働きではないでしょうか。シャーマンは「毛物・けもの」となって無意識世界へと降り立ち神の宣託を聞き取ってきます。ともすると妖しい話になっていってしまいがちなこの種の事柄を出来るだけ正確に捉えたいと思いました。私のアウラシリーズは2005年に一応終了しましたが今も絶えず「無意識」の底流は流れ続けいます。



ありがとうございました。


撮影/前澤秀登

次回公演

小林嵯峨+鵟・NOSURI 『kRUMI-2

9/3(金)~9/5(日)

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