黒沢美香(くろさわ みか)
ダンサー/振付家/improviser
横浜生まれ。舞踊家族に生まれる。5才から舞踊家の両親(黒沢輝夫、下田栄子)のもとでモダンダンスを習い始め、以後20年間は、全国舞踊コンクール1位をはじめ、優秀賞、批評家協会賞等多数受賞。82~85年NYに滞在。当時のNYダウンタウン・ダンスシーンをリードする振付家の作品を踊り、米国内外の公演に参加する傍ら、ジャドソン・グループの出来事に出会い、その痕跡を追いかける。帰国後は、「黒沢美香&ダンサーズ」と名乗り、異なるジャンルのアーティストと強固な作品構成と即興性をベースとした作品の反復/連続上演を継続。99年『薔薇の人』シリーズにて遅蒔きのソロデビュー。これまでに13回・9作品を上演。別名活動として、03年無国籍民族舞踊の”風間るり子”、09年<グループ2時間>において郵便局に勤める“小石川道子”としても活動している。
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怠惰にかけては勤勉な黒沢美香のソロダンス『薔薇の人』シリーズ
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Q:今回上演される「南国からの書簡」は、『薔薇の人』第14回とのことですが、このソロシリーズを始めた動機を教えてください。
A:ソロダンスという響きがストイックで硬そうで熱血漢のような質に馴染めないでいたのです。本当にどうしてだかきっかけがわからないのですが、降って湧いたように決断せずにはいられなくなりました。ソロで立つ舞台上だけのことではなく、資金面から集客からソロの公演を丸ごと作れて舞台人として一人前なのではないか、という保守的な考えに学び従い試す挑戦の決断でした。
Q:今回は、黒沢美香・高野尚美 編「南国からの書簡」と題して、高野さんとの共作とのことですが、高野さんと本作を行うことにしたのは、どのようなきっかけがあったのですか?
A:20年以上前に一緒に作業する希望があることを尚美ちゃんに話しました。尚美ちゃんは「うん」とも「いや」とも言わなかったと思います。でもそれがきっかけです。それから20年以上経ちましたが、律儀に本当にタイミングがきました。
Q:今回公演のチラシに紹介されている、お二人のプロフィールを改めて紹介します。
黒沢美香(くろさわ みか)
1957年神奈川県出身、舞踊家族に生まれるがダンスを避けて過ごす。突然火がついて奮起した時期はある。途中大病し、生き方を失いそうになるが唯一の在り方を身体表現にあらためて見い出し生きる時間に乗る。芸術生活の幻想はやめたが妄想を大切に生活する。
高野尚美(たかの なおみ)
1959年埼玉県出身、舞踊家族に生まれる。現代舞踊に燃えた青春時代を過ごす。その後、酒とたばこを愛し、自分を見失いながらも時々片隅で人知れず舞踊活動に勤しむ。現在もあっちにふらふら、こっちにふらふらと自分を定めず進行中。
Q: <ダンスと日々の生活>に関するプロフィールという印象を受けました。 それでは、黒沢さんから高野さん、高野さんから黒沢さんへ、それぞれにインタビューを。まず、高野さんから黒沢さんにお願いします。
QUESTION TAKANO→KUROSAWA
Q [高野]:踊る事を拒否した事はありましたか。
A [美香]:もちろんあります。何度もありますが肯定的なレベルであったり絶望的であったり拒否の質は同じではありません。心は受けているのに体の拒否もあるし、その反対もある。それヘンだよね、だって意識としては拒否しているのに体は方法を見つけて。心外とはこのことだわね。
Q [高野]:子供の頃母の唄っていた子守歌は何でしたか。
A [美香]:母は歌ったか覚えていませんが、「ねんねんころりよおころりよ」は記憶にあります。妙な歌詞ですよね。
Q [高野]:山歩きはあなたに何をもたらしますか。
A [美香]:カッコつけたような言い方で恥ずかしいですがダンスの渦中を確認します。言っておきますが私はダンス愛好者ではありません。ダンス(身体)を立てつつ、ある頼りない平板、脆さ、息。いつまでも同じ景色。もう踏み出してしまった怖さ。山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」に目眩がします。ダンスの渦中で正にこの速度と景色を体験します。
Q [高野]:恋愛観を教えて下さい。
A [美香]:へぇー、とんでもない質問ですね。最近思うのですが、女がいいです。
Q [高野]:こだわる事に執着を感じるのですが何故。
A [美香]:それを曖昧にしたら自分ではなくなってしまうじゃない。
Q [高野]:一緒にいるといとおしく思ってしまう自分が居るのですが、そんな自分はおかしいとお思いですか。
A [美香]:それは質問ではなくて貴方の胸中ではないですか。
Q:次に、黒沢さんから高野さんへのインタビューお願いします。
QUESTION KUROSAWA→TAKANO
Q[美香]:健康診断の結果はどうでしたか。
A [尚美]:あれだけお酒を飲んでも肝臓は大丈夫でした。週に2日間連続して飲むことは休むよう言われた程度でした。でも毎日飲んでいるから2日間も空けられるだろうか。。。。
Q[美香]:ほとんど食事しないようですがどんな時に食事するのが理想ですか。
A [尚美]:お腹がすいたと思った時です。
Q[美香]:高野尚美を駆り立てられるものはなんですか。/あるいは、どうやって自己を駆り立てていますか。
A [尚美]:あるといえばあるし、ないといえばない。そんな人間だから仕方ない。ウソ言ってもしょうがないし言葉にならないんだよな。
Q[美香]:こだわりの線はどこですか。/或いは、何にこだわってますか。
A [尚美]:それは言葉に表せなくて結局なんにも応えられない。いやになっちゃう。なんて言い表わしたらいいの。
Q[美香]:では質問の質を変えます。心がけているものはなんですか。
A [尚美]:どんなに酔っぱらっても稽古に行く。やるべきことはやる。
Q:ありがとうございました。それでは最後に、これまで13回・9作品上演された『薔薇の人』について、黒沢さんから、一言づつご紹介お願いします。
A:『薔薇の人』は、黒沢美香(ダンス)、相川正明(照明)、椎啓(Public Acoustic)、平岡久美(制作)の共同作業として1999年に活動を始めました。
「−覗く−」
1999.12(テルプシコール・東京/トリイホール・大阪)
過激な2時間の長編ソロ。黒沢美香 遅まきの本格ソロダンス デビュー作品。
部屋の隅から隅までまんべんなく雑巾がけをすることとゴムチューブで独り緊縛をする。
「−ROLL−」
2000.08/ 2002.01-02/ 2006.01(神楽坂 die pratze・東京)
回転・転がる・巻く・回す、とタイトルの通り単純に <回る> ことのみを題材に展開する。その単純さが複雑な構成によって幾つもの迷路の部屋に変化していく。
「−蝸牛の劇場−」
2001.08(テルプシコール・東京)
隅から隅まで何もかもを測量、測定していくが為に生まれるダンス。場は世界となり世界がダンスで満ちる過程をぬめぬめと濡らしていく。「薔薇の人」としては珍しく物も作業もなく、裸一貫で試みた。
「─桃の園─」
2003.03(シアターX・東京)
シリーズ初の劇場スタイル(プロセミアム)背景と初のデュエット(澤 宏)。「踊りの園」で遊び殺人に至る童話。
「─HAWAII─」
2003.09(神楽坂 die pratze・東京)
労働/運動/作業/ダンス、丸太切り/ダンス
目的は行為を達成する事にあるのではなく、踊りが積み重なる時間を共に過ごす事にある。太陽と水、人間の営みとして唄い労働する楽園としての虚構ハワイ。ノコギリで丸太を2本切るのは喧々囂々。その後切った丸太を吊るし鼻先三寸スレスレで躱す。退屈とスリル漲るアローハ。
「─めまい─」
2005.03(ギャラリー ルデコ・東京)
渋谷のギャラリーにある歪な部屋の形がこの作品の特徴で基地である。部屋に大きな机を据えてそこで毎夜地球の報告書を書いては銀河に発信した。地球人のことならなんでも観察していた。ただ、時々めまいが起きて任務が滞る騎士の行動。
「─登校─」
2007.02(テルプシコール・東京)
超少女は毎朝早起きで学校に行く気満々なのだが、家の外に出てみると学校に行くことはきれいに忘れてしまう癖がある。目の前の事物に誘われ、のどかで激しい寄り道。そしてまた夕方になった今日も。
「─牛─」
2008.03/ 2008.11(セッションハウス・東京)
牛になるのではなく、牛が持つ大きさ寛容さ愚鈍さ力強さ明るさ単純さにテーマはある。それをアトムと見立て、お茶の水博士(野口実/音)と離別する未来ファンタジー。
「─早起きの人─」2010.02(テルプシコール・東京)
家畜の世話、洗濯、掃除、食事(栄養)で朝からくるくる忙しいのは、地球救済運動の歌舞音曲を午後の定時に必ず発信するためである。その為に生きている。その為に孤立している。早起きなのではなく眠らない人なのであった。
こんなに自分で作品を解説してしまっていいものか疑問です。お客様にはせっかく想像していただいた多面な角度があるかもしれないのに、解説したら自ら枠を作って固めているようです。信じ過ぎないようお願いします。常にいつも解説していく事はダンスであろうと重要です。他者に解説されるくらいなら、ワタシがやります!という母心のような気持ちです。どれも身を削り溺愛しています。
Q:
!!!! ありがとうございました。
『薔薇の人 –南国からの書簡-』、今回は、どのような 美術・小道具たちとの時間が用意されているのか、楽しみにしています。
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