今回「温かい水を抱くⅢ」、ソロダンス「温かい水を抱く」をシリーズ化し、発表しているということですが、シリーズ化しようと思ったきっかけはなんですか?
今回Ⅲですが、Ⅱ’などの短い作品や、高校卒業直後にも同じタイトルで発表していたりするので、そういったものも含めると実質7作品目くらいになります。このタイトルは高校生のとき、その頃、掴みどころのないけれど、確かにあるぬくもり、そういった人と人との関係、静かで悲しいけれど、生温かい…みたいなどっちつかずな、曖昧な感覚がわたしのつくる作品のテーマになっていて…そんなとき、このタイトルを思いつきました。
そしてそれから4年経った大学3年生の終わり、進路に悩む時期ですね。
すごく漠然と大学卒業後も踊りを続けていきたいとは思っていたのですが、卒業後の生活が全くといっていいほどイメージを持つことが出来なかったのです。
ダンスをどのような形で続けていきたいのかなど具体的には見えていなく…この先自分はどうしたいのか、という根本的なことがわたしは自分自身のことを知らなさすぎて不明瞭でした。
けれど漠然と自分自身で作品を生み出したいという欲求はあって…わたしはわたしの生み出した作品、舞台上で行われているダンスを通して、そのダンスを見ているお客さんの中に何かが生み出されてしまうものがあるような、そしてわたしの創造物とお客さんの想像力が呼応するような作品を創りたいと思っていました。
けれどそういったものを生み出すには自分はまだまだ未熟で、そもそもどうしたらそれを実現できるのか具体的にイメージ出来ていなく…それらを少しでも実現するために、まずは自分自身の身体と向き合う、ソロダンスをやろうと決意しました。
ソロダンスは、どこにも逃げようがなくて、自分の身体、それ自体が最重要となるのでとても自分自身を鍛える良い修行になります。
そしてなぜシリーズ化しているかというと、今はまだぼやぼやとした、けれど確実にある自分の中心、核となるもの、軸をくっきりとさせ、その自分自身の中のものを説得力あるものにしたかったからです。
そしてその土台に、足し算したり、引き算したり、掛け算したり、割り算したり、そんな作業を繰り返せるようになることによって、より自分自身に近く、そして遠い作品を生み出せるようになりたいと考えています。
そして願わくは、わたしの身体そのものを観ているお客さんが、いつの間にか、今ここにあるわたしの身体以外の何か別のものを見てしまった、みたいな瞬間があるダンスができたらなあと思っています。
そのためには余分なもの、自我など、出来る限り廃除して、「身体」そのもので立っていられる強さが必要なのではないかなと。
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