「土に還った排泄物のような創作」を掲げる異色のダンスカンパニー「ケダゴロ」を主宰し、「ダンスがみたい!新人シリーズ15」<新人賞>、「横浜ダンスコレクション2017コンペティションⅡ」にて、〈最優秀賞新人賞〉と〈タッチポイントアートファウンデーション賞〉受賞と立て続けの受賞を経て一躍注目を浴びる下島礼紗。自分の表現のために、シアターアーツの枠そのものを疑い、そこに挑戦を続ける彼女の舞踊人生と、現在の創作について話を聞いた。
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ジャズダンスをやっていたはずが、気がついたらよさこいをやっていたんですよね。気がついたら、手には鳴子や扇子を持っていたみたいな。 |
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下島さんのことは笠井瑞丈さんの『春の祭典』(2015年 d-倉庫)でダンサーとして踊り狂っていたのが最初で鮮烈な記憶となりました。下島さんがこれまでどういうルーツでダンスを今まで巡ってきたのかを教えていただけますか。
下島 7歳の時に友人に誘われて、ジャズダンスを始めたのがキッカケでした。と言っても当時の私は、野蛮人ごっこ(庭で火を燃やして、ソーセージを焼いたりする遊び)や戦争ごっこが大好きな、少年のような子どもだったので、ダンスなんて、ウェッて感じでした。でも、小心者で断れないタイプだった私は、「ワアー、ダンスオモシロソー、ヤッテミターイ」という感じで、ダンススタジオに通う羽目に。最初はもう嫌で嫌で、家で野蛮人ごっこがしたくて、踊りもせずに、みんながレッスンを受ける姿をただただ見つめていました。
7歳から始めたということは、小学生時代の話?
下島 そうです。まぁ、でも時が経つにつれ、ダンスのお友達も出来てきて、少しずつ慣れていくんですけど、それもダンスを踊りにというか友達と遊ぶためにスタジオに通っていた感じでしたね。でも、そうこうしているうちに、ジャズダンスをやっていたはずが気がついたらよさこいをやっていたんですよね。気がついたら、手には鳴子や扇子を持っていたみたいな。これが私の人生を大きく変えていくんです。よさこいと言っても、ジャズダンスの要素を取り入れた創作舞踊に近い感じでしたが、発表の場がよさこい祭りになっていたみたいな・・・毎週どこかの地方に行って踊るというのを繰り返していて、なんか色んな地域の空気を感じて、たくさんの人に出会っていくうちに、「自由だな〜ダンスって、おもしれーーー」と思って。
よさこいだけど、普通のよさこいじゃないんですね。
下島 そうなんです。これはなんなんだ?と思っていました。でもとにかくジャンルに捉われず、野外で声出しながらがむしゃらに踊るのが楽しくて、野蛮人みたいで(笑)
小学生・中学生・高校生はずっと踊りをやってきた?
下島 そうですね。でも、私の将来の夢は、幼稚園の頃からずっと考古学者になることだったんです。原始時代のことか戦争の歴史とかについて調べることが好きだったから。だから、よさこい祭りで踊るようになってからダンスは好きになったんだけど、いずれは辞めるだろうなーと思ってました。あと、私は小学生の時から、バスケットボールにも熱中してて、ある日、母に「ダンスかバスケットボールかどちらかにしなさい!」って言われたんですよね。それで私は、バスケットボールを選んだんです。そしたら本当にダンスは辞めさせられちゃって。まぁ、いいかと思ってたんですけどね、ある日、歴史の授業中にダンスのことを考えたら、涙がツーって流れてきて、そっから涙が止まらなくて、歴史の教科書がベチャベチャ。それで気づいたんですよね、「あーダンス好きだったっんだ」って。ダンスが好きというか、よさこい祭りでダンスを踊ることで出会った街や人との繋がりを失ったような感覚だったかも。それで、踊りに生きていきたいと強く思いましたね。
それで桜美林大学に?
下島 そうです。でも踊りに生きたいと思ったものの、私のプロのダンサーのイメージって、2歳くらいからバレエやってて、スタイル抜群で、手足がビヨーン!バーン!シルクドゥソレイユ!みたいなイメージだったから、私には無理かもって思って、だったらせめてそういう舞台の世界を支える人になりたいと思って、スタッフワークも学べる桜美林大学に目をつけたんです。でも桜美林大学で、勉強していくうちに、ダンス、演劇、裏方、そんなジャンルの垣根を越えて、なんか表現したいなと思ってきて。
小さい頃から形式には拘らずというところが身に付いている。ジャズダンスじゃなきゃ駄目とか、バレエじゃなきゃ駄目とか、よさこいならよさこいということじゃなくて、広い意味でのダンスに惹かれ続けながら今まで来たというところがあるんですかね。
下島 そうかもしれないです。今考えてみれば、野蛮人ごっこも戦争ごっこも考古学者の夢もよさこいも、そして、コンテンポラリーダンスも、全部繋がっているような気がしますね。
初めてコンテンポラリーダンスに接したのはどういうきっかけだったんですか?
下島 オープンキャンパスで桜美林大学に行った時に、木佐貫邦子先生(桜美林大学教授、舞踊家)のダンスワークショップを受けたことがキッカケでした。「あーこれだ!」ってビビビビィーーーってきて、ここに決めた!という感じで、桜美林大学を受験しました。
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冒険家でいたいかなぁという感じですね。ダンスは手法だと思っています。ダンスによってダンスを生み出したいわけじゃないのかも。 |
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ところで広義のダンスそのものに惹かれ続けていたという、形式にはこだわらないというのは、今の作品にも反映されている部分があるのかもしれないですね。むしろダンス以外にも視野を広げつつある。演劇的な形式への関心や、野外劇の試み。そういうことも来歴に通じるものがありますね。
下島 よさこいをやっていたからか、衝動的に野外公演をやりたくなっちゃうんですよね。野蛮人ごっこの延長みたいな(笑)ダンスだけにこだわりたくないなというのもあります。大学時代に鐘下辰男先生(劇作家・演出家、演劇企画集団「THE・ガジラ」主宰)のもとでお芝居をやらせていただいた事も演劇的なものへの関心を持った大きな理由だと思います。いずれは、カンパニーの劇場を持ったり、もっと大きな夢を言うと、遊園地やテーマパークのようなものを作りたいなと思ってます。壮大すぎますけど、なんかジェットコースターに乗りながら踊れたりしないかなとか・・・なるべく多くの無理難題にチャレンジする人生にしたいなと。それをたくさんの人と共有できたら幸せですね。
下島さんのアイデンティティとしては、ダンサーですか?もうちょっと違う何かが出てきそうですね。
下島 冒険家でいたいかなぁという感じですね。ダンスは手法だと思っています。ダンスによってダンスを生み出したいわけじゃないのかも。ダンスを通してこんな面白いことに出会えたとか、こんなことを知れたとか、あくまで、私にとってのダンスは何かを得るための手法や過程なのかもしれないですね。だからこそ、ダンスが必要だと感じられてるような気がします。
ダンスの世界の中で何かをやりたいのではなくて、社会の中で何かをしていきたい、仕掛けていきたいというわけですね。作品を観てみると、それは「ダンスがみたい!新人シリーズ14」での作品もそうだし、今回のもそうだし、コンセプチュアルに作品を創るような傾向がありますよね?
下島 ありますね。ダンスがなかったら禿げなかったし(笑)(※「ダンスがみたい!新人シリーズ14」への出演作品<下島さん家の中川さん『屍』>では自身の頭をバリカンで刈上げられるパフォーマンスを行った)、ダンスがなかったら政治とここまで向き合わなかったと思う。その作品創りの過程の中で、情報が入ってくるんですよね。それによって、自分の思考がわかったり、考えるという行為を続けられる。ダンスを通して学びたいというか、経験したいというのが根底にありますね。舞台という現実的空間だからこそ、訴えかけられるものがあるんじゃないかなと。絶対経験しないだろうなということも、起こりうるかもしれない現実もたくさんの経験する場所にしたいと思っています。それをお客さんとも共有できたら本望だなと。
そして下島さんが2013年に立ち上げたダンスカンパニー「ケダゴロ」は、「土に還った排泄物のような創作」と活動コンセプトを掲げていますけれど、これはどういう意味なんですか?
下島 私も上手く説明できないんですけど、「ケダゴロ」というのは、鹿児島弁で「排泄物」という意味なんです。犬のフンとか。でも鹿児島弁のケダゴロ=排泄物という直訳はできなくて、ケダゴロを説明するには、鹿児島弁でしか言えない言葉というか、絶対に理解し得ないことがあるなと。で、「ケダゴロ」を説明するのに一番感覚的に近い言葉が「土に還った排泄物」だったんですよね。汚いものという解釈よりも、そこに還ってまた循環していくんだという、見た目の美しさじゃない美しさみたいなことを言いたかったから。なんていうか、蜂にとっての花は必要なものじゃないですか?花に蜂がとまっている光景は一般的には美しいと言われると思うんです。でも、犬のフンにとまる蝿はどうだろうと。汚いかもしれないけど、蝿にとっては必要な行為なんだと思うと、誰かにとっては不必要でも誰かにとってはすごく必要な存在でありたい。そういう風に、綺麗事だけでは済まされない社会と向き合い、循環していくカンパニーでありたいとういう願いも込めてます。
「ケダゴロ」での活動は現在どのようになっているのでしょうか。劇場公演も久しぶりだと言っていましたよね?
下島 そうなんですよ。2016年はここの舞台に立たせてもらうまで、劇場空間に疑問を持ってしまっていて、なんか良いものを観れると思われてるみたいな。観客の受け入れ体制みたなものが怖くて。後付してあーだこーだ言えば、それに見えてくる空間に思えちゃってて、ちょっと一回拒絶反応みたいなのが出ちゃったんですよ。コンテンポラリーダンスにジャンルがないからこそ、なんにでも見えちゃう感がちょっと苦手で。ある意味で、それだと自分は甘えてしまうなと。「あ~なんか面白いもの創れない気がするな、今自分はここじゃ」って。ある程度のことはなんでもやっていい劇場のなんでもやっていいよ感の「なんでも」というのがすごい怖かったんですよね。「なんでも」が一番自由じゃない気がして。だから例えば、お寺とかだったら、宗教的な秩序がある中で、そのルールの中の自由を見つけられるかもと、世の中の自由を。
どうでした、やってみて?お寺とか、実際劇場から距離を取ってそうやって外に出て、いざ実践をしてみて手応えというか。
下島 手応えはありました。笑っちゃうくらい色んなことが不自由で。劇場が神様に思えるくらい。暑かったり、寒かったり、色んなものが吹き飛んで、泥だらけで、もう私もダンサー達も妄動的になってたというか、何が正しくて何が間違っているのか、若干判断能力を失っていましたね。練習してきた振付さえまともに踊れないわけで。作品ってなんだ?って。その状況はとても興味深かったですよ。人間の「生活」や「常識」というものから離れていったような感覚でした。お寺の住職さんがお湯を沸かして私たちに持ってきてくれた時は、本当にありがたいなぁって生きてるってすごいことだなって。で、話変わって作品の話になると、もうその状況がダンスになるっと言ってしまえばそれまでで、観客が注目する部分はその状況ということになってしまう。じゃあ、作品の内容は?となった時に、劣悪な状況というものにどこか甘えてしまう部分もあったかもと思ったんです。劣悪ではない、快適なリノリウムの上で踊れる劇場空間ではどう作品創作をしていくのかって。
劇場に縛られるところから距離をとったが、外であれば外でその空間にまた縛られていると感じ始めたというわけですね?
下島 そうです。それぞれの空間には必ずそれぞれのルールがあるんだなって。時と場合によって、今創りたい作品はどの空間なのかちゃんと選択しようと思いました。寺公演をやってそれに気付けて良かったなと思っています。
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言葉と身体が噛み合わない状況をつくりたかったんです。言葉と身体が結びつくという概念、どの状態が結びついていると言えるのかすら、私たちには判断できないと思ったので。 |
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じゃあ作品のことを聞こうと思います。受賞作品の『厳しい第三者の目で...』は、「クレヨンしんちゃん」のアニメソング、TVから抜き取られた政治家の声音、壁に張り出された選挙ポスター、時局的な政治ネタについてのダイアローグなどの、素材が次々に舞台で展開する構成がまず第一に観客の目を引きました。そのなかで様々な理解の成り立つ作品となっていたと思いますが、作り手としてどのようなチャレンジだったのか?
下島 もともと政治ネタをやるつもりではなくて、企画や空間を重視したという感じです。「ダンスがみたい!新人シリーズ」ということは、やはりダンスがみたいわけですよね。まぁ、ダンスが見たくないという逆説も着眼点においてうえで。かつ、審査があるということも、作品の見せ方が変わる大きなポイントでした。ちょうどその時、ダンスの評価というものについて考えていて、ダンスの評価って結局なんだろうって。審査員がいない状態で、作者が集まって、賞を決めるなんてことできないですよね。まぁ多数決ってことはできるかもしれないですけど、結局、評価は「第三者」に委ねられているんだなと。そしてその評価が今後の人生も左右していく。世の中も全部そうやってできてるんだと思うと恐ろしい。だから、舛添さんが「厳しい第三者の目で評価していただきたい」と連呼した理由もわからなくないなと。政治や道徳なんてのも、あくまで法律というものを作ったから、それを基準に人間の営みが行われて、そこから脱するとタブーとして扱われているけど、そんなもの簡単にぶっ壊れるかもしれないということも忘れちゃいけないなと。あるグループの中で決められた文化というのは、もとはと言えば全部マインドコントロールなのかもと思うと、自分ってものがだんだんわからなくなって。なにが言いたのかというと、ダンスも同じで、その時代にどんなものが第三者の目によって評価されたか、その評価によってどこにボーダーラインが引かれたか、じゃあ今という同時代になにが必要とされてるか、常に変化をしながら、自分を成立させる第三者と向き合っていかなければいけいんだなと思ったんです。
『厳しい第三者の目で...』Ⓒbozzo
審査委員を務めた北里さんからの公演評で「スキゾフレニックな作品」という指摘がありました。扱っているモチーフとは分裂状態でダンスがなされ、「乖離しつつ同時進行していく」という主題とダンス表現の対峙の仕方に、今回の作品の批評性を見ていたのかなと思います。ご自身ではどのようにお考えですか?
下島 ありがたいことに実際そういう風に創作していて、言葉と身体が噛み合わない状況をつくりたかったんです。言葉と身体が結びつくという概念、どの状態が結びついていると言えるのかすら、私たちには判断できないと思ったので。
じゃあ意外とチャレンジが観客へそのまま届いたという感じですね。
下島 いや〜本当にすごいなと。私も創作過程の中では何が何だかわからなくなってしまっていたので。逆に北里さんに自分のことを教えてもらったような感じです。新人シリーズで発表させていただいた作品は、12月29日に公演日をおいてもらわなければできなかった作品なので、再演の創作がかなり大変です(笑)心持ちとしては、新作、もしくは続編という感じですね。でも、もう一度作品に向き合う時間を与えてもらえたということは本当にありがたいです。
逆に変わらないところで言えば、オムツ姿っていうのがありますね?今回はオムツ姿がある意味作品とマッチしていた部分もありましたよね?
下島 待機児童ですね。
待機児童や、幼児性の表象としてとか。だけどオムツは他の作品でも履いていてユニホームみたいに扱われていますが、なぜオムツだったんでしょうか?
下島 ケダゴロの旗揚げ公演で『ヒトヤマ』という作品をやったんです。で、それが6m×6mの四角い空間で20人のダンサーが踊るというものだったんです。一応当時の作品のイメージも、幼児性みたいなものはあったんですが、本当のことをいうと20人分の衣装を考えるってなった時に、「う~ん、20人分の衣装どうしようかな・・・あ!オムツいいじゃん!」というのが始まりだったんです。私的には、そこで終わるつもりだったんです、オムツは。でも、なんかそこからオムツを履かせることで、一本ネジが外れるというか、自我を失って、プライベートと切り離される感じが身体的に興味深いなぁと思ったのと、イヤだと言いながら舞台に立つダンサーたちが面白いなと思った。あとは性から離すというか、男も女もないし、性欲的なことから離脱する感じが、ある意味すごくピュアな状況だなぁと思って。
じゃあ単なる衣装、ユニホームというよりは、身体的に働きかける装置のようなものとして、今はオムツを使っていると。
下島 そうですね。絶対カッコよく踊らせないぞ!どんなにカッコつけてもオムツだからね?みたいな(笑)
すでに答えをもらっているような気もしますが、表現を通じて、どういう形で社会と関わっていこうとしているのか?
下島 私がスタイルとして憧れているのは、寺山修司や唐十郎なんですよね。憧れてるというか、そういうものを見るとドキドキするというか。社会と対立するような創作を行いながらも観客の目を集めている感じが。以前、花園神社に見世物小屋を見に行ったんですけど、そこに集まってくる人たちに驚きましたね。サラリーマンやカッップル、老夫婦や今風な女子、色んな人がウジャウジャと集まっていて、怖いもの見たさというか、野次馬てきな感覚かもしれないですけど、興味を持つんだなぁと。野性的な部分があるんだなと思って。なんか、平凡な日常から離れたいのかなって思ったり。だから、今日だけは日常から離れてお祭りしましょうよ!みたいな団体になれたらいいなと。遊園地みたいなものをつくりたいというのもそういうところからきてるのかもしれませんね。
「ケダゴロ」の公演、作品は小さなお祭りなんですね。
下島 そうですね。よく儀式的だと言われるのですが、そういうことで日常と切り離した空間をつくりたいのかも。
直近でこれにチャレンジしてみたいと考えていることはありますか?もちろんゆくゆくはテーマパークかもしれないですが。
下島 今年、有難いことに、新人シリーズや横浜ダンスコレクションで賞(「横浜ダンスコレクション2017コンペティションⅡ」にて、〈最優秀賞新人賞〉と〈タッチポイントアートファウンデーション賞〉受賞)をいただいて、再演や新作公演、海外での上演の機会をいただいたので、今は正直、とにかく目の前のこと一つ一つを丁寧にやっていこうということに必死です。他にも、ヘアーショーや企業でのパフォーマンス、野外パフォーマンスなども予定しているので、今年はとにかくたくさんの出会いや経験をしたいなと思っています。一つ一つの出会いを大切にして、その遊園地づくり?(笑)に向けて前進できたらと思っています。あとは・・・やはり具体的に運営面、お金のこととか(笑)ちゃんと将来設計をしなければと。やりたいことを実現するために。そのためにもたくさんの第三者の目に触れるよう活動していきたいと思っています。来年あたりは、テントとかを持って、旅公演みたいなことをしたいなと。こういうことしてます!ってたくさんの人に認知してもらえたらと思ってます。
でも、テント芝居や路上での踊りというのは昔からあるけれども、テント舞踊というのはあんまり聞きませんね。
下島 まずは、先人たち、寺山修司や唐十郎がやったようなことをダンスで復活させてみたいですね。劇場という空間って、人の家に入るみたな感じでちょっと入りずらい感じがあるので、お祭りみたいなイメージで、テントパフォーマンスなどをやって、興味を持ってもらえたらと思っています。
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7月25日(火) 7:30PM
「ダンスがみたい!新人シリーズ15」受賞作品の再演
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ケダゴロ 『厳しい第三者の目で…』
振付・構成・演出・出演:下島礼紗
出演:木頃あかね 伊藤勇太 小泉沙織 中澤亜紀 大西薫
志村映美 垣花克輝 音響:相川貴
>「ダンスがみたい!19 白鳥の湖」ホームページ
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