現代劇作家シリーズ vol.08
ハイナー・ミュラー『ハムレットマシーン』フェスティバル参加団体 -【ハムレットマシーン】論考-

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   2018年4月17日(火)&18日(水)@d-倉庫
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    少し色の入った眼鏡の奥の目は泣いているか?

7度 伊藤全記(演出家)


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 もう昨年の話になるが、天気の良いぽかぽかとした冬の日だったと思う。これから書く文章について『ハムレットマシーン』について考えないとなぁと思いながら電車にのって日暮里へと向かっていた、言い添えておくと目的地はd-倉庫ではなく、私はd-倉庫がある出口とは反対の出口から出て行ったのだが、私が話すことは目的地の話ではなく電車内での話なのだから少し話を戻す。漠然と『ハムレットマシーン』について考えないとなぁと思って日が差してぽかぽかの電車の中で思い描いていた「私はハムレットだった」という言葉、この時ほとんどこの言葉しか覚えていなかったのだが、私はこのハムレットだった者の「私はハムレットだった」という声の行く先を気にしてあれこれ想像をしていた。このセリフを抜き出してみると「私はハムレットだった。浜辺に立ち、寄せては砕ける波に向かってああだこうだと喋っていた、ヨーロッパの廃墟を背にして。……」このようにハムレットだった者はヨーロッパの廃墟を背にし、浜辺から海を眺め、波の轟音を耳にしながら、たわいもないことをしゃべっているらしい。波の音に飲まれてしまう「私はハムレットだった」はやはり誰にも届かないのだろうかと、もちろん声は発した本人には聞こえているとは思うが。今これを書いている最中に頭をよぎったのは、ローレンス・オリヴィエ主演の映画『ハムレット』での、ハムレットの最も有名な自問自答のシーンだ。「生か、死か、それが疑問だ……」と口にするオリヴィエ扮するハムレットは一人巨大な城を背にして独特のポーズをとりながら断崖絶壁から荒れる波に向かってしゃべっている、ということは、『ハムレットマシーン』の「ああだこうだとしゃべっている」という取るに足らないああだこうだの内容は、「生か、死か、それが疑問だ……」なのかもしれないと私は思ったりしてみるが確定などできないのだから、頭の片隅に置いておく。このハムレットのセリフも波の音にかき消され、自分に問いかけているという点で誰にも届いていないがこれはまだ、生か、死か、と悩んでいる状態なのだから、自分さえ聞いていれば良い。その一方で、「ハムレットだった者」は「私はハムレットだった」「喋っていた」と過去形で言う、もしくは書いている。これはいわば決まった事実として何かしらに向けて体の内から外へと放り出されているのだとしたら、やはりその言葉はどこに届くのだろうか。


『M.M.S. - 私のシュルレアリスム宣言』(2017) 原作 :ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』より

‐2‐  
 あの言葉の行先はどこなのだろうかと、ぽかぽかの冬の日に電車の中でそんなことを考えていた私の頭にトムからの声が聞こえたというと嘘っぽいが、本当に頭の中でトムが言った、いや、正確に言うとデヴィッド・ボウイの歌声が聞こえたと、聞こえたというより、脳内に浮かび上がったというべきか“This is Major Tom to Ground Control……”コチラ トム少佐 地球管制塔へ。この歌詞はデヴィッド・ボウイの『スペイス・オディティ』の一節だ。宇宙の彼方と地球間で交わされるやり取りのこの感じが妙に脳内にこびりつき、私はデヴィッド・ボウイについて少し調べることにした。私はデヴィッド・ボウイの強烈なファンでも研究者でもないため素人のような情報になると思うが、彼は1969年に発表した『スペイス・オディティ』の成功によって、一躍人気ミュージシャンの仲間入りをする。そして1972年にコンセプトアルバム『ジギー・スターダスト』を発表。架空のミュージシャン、ジギー・スターダストに扮しバックバンドのスパイダー・フロム・マーズと共に地球に降り立ち、ロックスターとしての地位を確立した。ボウイはアメリカツアーで大成功を収めるが、1973年7月、ジギー・スターダストを永遠に葬った。その後も作品を発表、映画『地球に落ちて来た男』で主演もつとめ、さらに人気を高めていく彼だったが、長期の薬物使用や中毒で心身共にボロボロになり、静養とアイデンティティの回復のため西ドイツ、ベルリンへと向かう。ベルリンに移住した彼は静養をしながら作品を発表していく。これが1977年から1979年のことで3年間に『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』の3枚のアルバムを発表しこの3作は後に「ベルリン三部作」と言われ評価も高い。デヴィッド・ボウイは1977年に西ベルリンに住んでいたのだ。この論考を書き始めるにあたり何の前置きもせず、ボウイの超簡略な経歴まで書いてきたが、私は『ハムレットマシーン』という上演不可能と言われ、超難解とされる20世紀を代表する前衛戯曲を上演することになっていて、どのように演出していこうかなぁとぽかぽかとした冬の日に電車の中で考えていたわけだ、そして頭の中にボウイがやってきた。『ハムレットマシーン』は東ドイツの作家ハイナー・ミュラーの作で、1977年に発表された。その作品の冒頭が「私はハムレットだった」というこの論考の初めのほうに出てくるセリフだ。めでたいことでもないのだが、「ハムレットマシーン」が発表されたその時に、ベルリンの壁を挟んだ向こう側にボウイは住んでいたのだ。「私はハムレットだった」のイメージからここまで来たことは、二人の経歴を知っている人からすれば奇妙でもなんでもない話だが、私にとって超難解『ハムレットマシーン』を考える大きな原動力となり、取り組むきっかけとなってくれた。20世紀最も影響力のあるアーティストと呼ばれるデヴィッド・ボウイは2016年この世を去った。


『モノロオグ- わたくし的恋愛論』(2016) 作:岸田國士

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 『ハムレットマシーン』はウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』を改作した作品とされ、『ハムレット』は丁寧に上演すれば3時間を越える大長編だが『ハムレットマシーン』は『ハムレット』の物語をズタズタに解体し、ミュラーの自伝的な要素や、当時の東ドイツの情勢やこれまでの歴史的な背景、引用文などを詰め込んだ非常に盛りだくさんの内容であるのに、口に出して読めば20分程度で終わってしまう日本語版十数ページの断片の集まりで、この作品はしばしば上演不可能と言われた。上演不可能、超難解という言葉が飛び交うわりに、「ハムレットマシーン」は多くを語られすぎている印象を私はもっていて、非常に鎧をまとわされたような、答えを探す者たちの手垢がこびりついて動きが鈍く飛ぶこともできない言葉の群れ、そう認識してしまうのは私の脳が原因だろう、もちろん難解作の持つ魅力はああだこうだと議論を起こす力だ、私は書かれた当時の社会情勢に明るいわけでも、もちろんその時代にはまだ生まれていないし、作者本人に会ったことはもちろんないので、すべては本などから得た情報だが、研究者や作家の言葉を読んでいくと解は出そろっているように感じられて、それでも作品全体はつかめないと、なるべくわからない状態を維持しておこうという力が働いているように思われる。結局は作り手がどのように向き合うかの話になり上演という面である種の答えを提示していく、そして多くの演劇人を触発してきたが、評価を得た作品は数少ないようだ、ではやはり解はあるのか?と疑心暗鬼にまた答えを探してしまうこのようなシステムをハイナー・ミュラーは『ハムレットマシーン』で作り上げたといえるかもしれない。私も自分の中と戯曲の中に答えを探し求めている、それでもやはりどこにも解はないと思えてきたし向き合っても無駄、作家も向き合えと主張していない、そもそも読む、聞く、見る人を想定していないという形式で書かれた舞台戯曲なんだとさえ思えてきている、いやきっとそうだ。ハイナー・ミュラーの芸術家としての最大の魅力であり欠点は頭が良すぎたということ、頭が大きい、きっと前頭葉が発達しすぎているのだ、だっておでこが広い広い、彼の顔を見たことない方は検索してください、そして彼は薄い色の入ったサングラス調の眼鏡をかけている、この眼鏡に反射した風景、これが『ハムレットマシーン』だ。先ほどから断定的な言葉を繰り返しはじめたが、これは私の主観だ、ミュラーはサングラスに映った風景を目でろ過し、発達した前頭葉を通し言葉に変換し手を動かした、ミュラーは自身の主観を客観的に描写していく。当時の世界に生きた、観た、ミュラーの主観を書いた。そしてその主観はハムレットに委ねられた、『ハムレット』はハムレットが主役なのではなく、時代が主役として書かれ、たまたま時代と時代の狭間に存在してしまったハムレットは言葉に囚われて、その時代の境目を引き受けることになって死ぬ。ミュラーもまたその役割を担わされたと言える。ハムレットは男らしさを選び死に、ミュラーは女らしさを選び生きた。それは彼らの選択だ、選択後ミュラーの目には涙が流れたのだろうか、自らタイプライターに打ち込んでいく自分の姿を惨めに思っただろうか、感情的にキーボードを叩いても、均一化して表示される文字に何を思っただろうか。これは私の妄想です、妄想は続く、そんな涙を隠すようにミュラーは「生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生き方か……」というハムレットの最大の自問自答をああだこうだと駄弁を装って『ハムレットマシーン』に仕立て上げたのではないか、ミュラーは自身の選択を無かったことにしたくて「私はマシーンになりたい」と一瞬だけ願ったのではないだろうか、誰にも聞こえないために物語を解体したのではないか。ハムレット、ミュラー、彼らは時代の境目にしか生きられなかった。


『芝居』 (2016) 作:サミュエル・ベケット

‐4‐
 1977年ミュラーが発表した『ハムレットマシーン』は東ドイツでは上演も出版も禁じられた。彼自身の手で上演されたのは1990年『ハムレット』と合体して『ハムレット/マシーン』として上演された。書かれてから13年後、やはり時代の境目、ミュラーとハムレットはまた出会う。1989年、ベルリンの壁は崩壊し、1990年、東西に分断されていたドイツは再統一された。
 時代の境目に切実に、禁止されても書かれる作品の根底には何が流れているのだろうか、なんとなくそれは人類の幸福についてだと私は現在考えています。こういう風に生きれば幸せな人生を送れますといった幸福論ではなく、ミュラーは、幸福ではない存在である人間が少しでも幸福に過ごすくらいの方法なら知っていたに違いないが、人間はそのようには生きられないとわかってしまったとき、彼は一人宇宙へと投げ出されてしまった。身を呈して人間の実情を顕にしてくれた。この意志を見せられた私は、何とかしてこの作品を上演したいと思うが、どうなるかはやはりわからない、彼の書いた言葉を繰り返し喋りながら、彼が書いた状態、風景、想いに少しでも出会うことができたら現代を生きる私達たちにとって生きる道標となり、劇場でそれを少しでも感じてもらえたら幸いと思い、誰にも届かない言葉を、宇宙から投げかけられた言葉を、ひたすら声と体で積み上げていく。 初めに引用したデヴィット・ボウイの『スペイス・オディティ』はこうとじられている。

 僕ハ ブリキ缶ノ回リヲ漂ッテイル
 月ノ遥カ彼方ダ
 惑星 地球ハ青イ
 僕ニデキルコトハ 何モナイ