麻布die pratze(d‐倉庫の前身)の閉館について/公共劇場への提言
真壁茂夫 die pratze、d-倉庫/芸術監督 |
麻布die pratzeは今年いっぱい(貸し劇場としては2007年12月25日まで)で閉館致します。その後、ビルの立替で、超高層ビルが建つらしいです。神楽坂の方は今まで通り続きます。
今まで使用してくださった方々、本当にありがとうございました。
die pratzeは人気劇団を集めて運営していくやり方とは違って、実験的、前衛的な演劇やダンスを応援していく方針でやってきました。下北沢などとは一線を画し、人気がなくとも先進的なものを主にラインナップを行ってきました。
そのため他の劇場より、安い劇場料金を設定してきました。それでもやってこれたのは、先進的なものを好む観客の人たちに支えられてきたからといってもいいでしょう。麻布die pratzeの稼働率は90%を超え、経済的にも苦しかったわけではありません。ですが、これから先、つまり閉館後のことを考えると、どうしていったらいいか分からないのです。麻布die pratzeの代わりに他のスペースを探して運営していった方がいいのか、それともキッパリと止めてしまった方がいいのかということです。新たに探して作る場合、初めに何千万円というお金が掛かります。それを回収できずに、借金を抱えるのは辛いことだからです。
というのも、最近、自治体による劇場が多く作られ、これから民間の劇場として経済的にやっていけるだろうかということです。自治体がどうして民間経営を圧迫しようとするのでしょうか。民間の劇場がやってきたことを後追いするのではなく、自治体は民間に出来ないことをやればいいのです。例えばいつも不足している稽古場や叩き場を数多く作るとか、街中に演劇のチケット売場を作るとか、歩道にポスターを貼れる場所を確保するとか、やるべきことはたくさんあるはずです。
民間の劇場は、自治体の劇場とは違って、家賃を支払い、人件費を捻出しなければならなりません。そのために私たちは切磋琢磨して遣り繰りしてきました。
劇場を借りる人たちにとっては、安くてきれいな劇場が出来るのはいいことでしょう。最近の公共の劇場は、以前の劇場と違って使い勝手もよくなっていることも事実です。ですが、その使い勝手が良くなってきたのも、民間の劇場が工夫してこれまでやってきたことがあっての話です。民間の劇場がなくなっていったら、様々なことを改善していくこともなくなってしまうでしょう。例えばそれは、以前には、夜9時までしか使えない公共劇場というのがたくさんあり、使い辛さは言うまでもありませんでした。そこに民営の劇場が作られて、夜10時は当たり前、夜11時くらいまで使える劇場も多くなってきて、次第に自治体の劇場の稼働率はどんどん低くなっていきました。それはどういうことだったのでしょうか。それは、公共の劇場は、劇場を運営する側にとっての都合を優先し、演劇にとっての質の問題を考えまいとしてきたからではないでしょうか。
そして最近作られた公共の劇場も夜10時まで使えるようになってきました。ですが、しつこいようですがそれは民間の劇場が工夫しながらやってきたから、そのようになったのであって、自治体が自ら積極的に行ってきた結果ではありません。
それと、使い勝手が良くなってきているとはいえ、今でも劇の内容を自治体や国が管理しているとは言えないでしょうか。劇場は、一般的な常識や価値観を覆してきた場所であったはずです。一般的な社会にとって危険なものを行為するかもしれないから、隔離して「そこの中だけは自由にしてもいい」という空間のことだったのではないでしょうか。公共の劇場は、今でも基本的な態度は変わりません。それは監視カメラで始終、使う側を監視していることからも分かるでしょう。私たちはそんなに監視されなければならないのでしょうか。お許しを得なければ、してはいけないのでしょうか。
このままでは劇場に、管理された安定したものしかなくなってしまうでしょう。
今の劇場のあり方は、依然として、役人自身の権益を守るための劇場運営であって、いいものを創り出そうなどと考えているわけではありませんし、理念もありません。劇場運営はいいものを創ろうとすることが先にあり、その後に規則などがあるべきです。僕は、海外、特に西欧の劇場にお世話になる機会が多いのですが、たいがい運営している人たちはとても協力的で、どうしたら僕たちのやりたいことをその劇場機構の中で出来るかを考えてくれて、そのために苦労をしてくれます。それは日本の公共劇場とは雲泥の差があります。日本の公共劇場を時折利用すると、全て管理するという態度で接してきます。自分たちは規則を守ることだけが仕事であって、その規則違反を注意し行為をさせなくすることを劇場運営だと思っているようです。何をすべきかがまったく分かっていない態度で、規則以外のことを考えようともしません。その態度は、範囲を超えるものは「危険分子」とみなす、という考え方でしかありません。あるのは、もし、そこで危険なことなどが起きたら、自分達自身が責任を取らなければならなくなってしまうという保身体制だけです。それが、今の日本のシステムだからです。事なかれ主義は、劇場現場まで同じなのです。
もう進行してしまっている劇場計画なり、既に作ってしまったものは止めることはできないかもしれません。ただ、民間を圧迫するのは止めて欲しいのです。貸し劇場方式は止めて、1ヶ月に1本の作品しかやらないとか・・・。1週間の公演でも、3週間くらいは立て込んで稽古をしてよりいい作品創りをしてみるとか、リスクを背負うかもしれないロングラン(普通の劇団はなかなか出来ない)をしてロングラン体制を確立でき得るかを試みるとか・・・。ロングラン公演することで得ることも多いはずだからです。僕たちの公演を招聘してくれたシカゴの劇場では、3週間の劇場リハーサルをさせてくれて1週間の公演を行うというものでした。それは勿論、使わせてもらう側にとってとてもありがたい条件ですし、他の民間の劇場とも経営的に競合しなくていいものだったように思います。国や州から援助をもらっていたNYの民間劇場も、他の民間劇場を圧迫しないためにそのような運営を心がけていました。日本国内の民間劇場も国から援助されているところもありますが、数は少なく、やはり運営は他の民営の劇場を圧迫するようになっているのが現状です。
日本では指定管理者制度が導入されましたが、それは経営効率を上げるためという目的と、いい作品を創るためにという目的があったように思うのですが、実際には貸し劇場と変わりがない運営をしていて民営圧迫をしようとしています。税金を投入されていて、どうして民間と同じ経営をしていく必要があるのでしょうか。公共のホールにしか出来ない「価値」を持つことを優先するべきではないでしょうか。経営効率を上げるには、無駄な出費を抑え節約をしてやっていくことであり、自分たちの役人仕事のあり方を変えることでしかありえません。そうしたことを、自分たち自身からきちんとやっていけば、それが演劇にとっても、日本の社会にとっても<力>になっていくはずです。
実際には天下り先になっているのが現状なので、その人たちが一からスタッフや照明の仕事を覚えたりすることはカッタルイのでしょう。しかしそれを怠慢と言わずに何と言うのでしょうか。
家賃や人件費を支払わなくてもいい上に、自治体の劇場を対象とした基金も複数作られていて、どうして赤字が出るのでしょう。そしてそこと民間の劇場が競争することが、本当に正しいことなのでしょうか。
僕は、公共の劇場は赤字でもいいのではないかと思っています。無駄遣いをするのではなく、いい作品を創ろうと切磋琢磨することに労力を費やすならば、赤字でもいいのではないでしょうか。それならば例え税金がかかっても、文句は言われないでしょう。
麻布die pratzeの閉館である今年の末まで、まだ時間があります。今のところ、どうなるかは全く見えていません。誰かいい方策があったら教えてもらえないでしょうか。
die pratze/真壁茂夫
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