「ダンスがみたい!新人シリーズ11」批評
宮田徹也

総論
美術館、劇場、ライブハウスが徹底的に管理されるというファシズムが強化される今日、各種アーティストの居場所は限定されていく。その中で、どのような動向が生まれるのか。

今回、私は【ダンス】【新人】【コンペティション】を前提に批評した。【ダンス】である限りはコンセプトよりも踊りそのものを重視した。【新人】は中堅とヴェテランに出来ない度胸と冒険心が不可欠である。投票によるオーディエンス賞もあるのだから、今日のダンスの動向に添うことよりも今日の日常の我々に対してどのような驚きを与えることが出来るのかが【コンペティションでは】問われる。この三つを元に、私個人としては普段よりも厳しく論じた。

友人が多ければ組織票が増える。四人の中から決めるという制約は、良し悪しよりも好みが優先させるのであろう。それは総てを見て専門的な優劣を付けざるを得ない「審査」の悪い点を拭っている。専門的でなくとも、感覚で捉えることも必要となる。出演者が集客できることに意味もあるのだ。d-倉庫のwebによると、四組を一つの公演としてみて貰うことを配慮に入れているという。賞を取ることが前提であったとしても、賞を取れないことが一つの賞となる可能性が充分にあるのだ。

私の専門は舞踏、コンテンポラリーの、主に先鋭ではなく旧来から言われる「前衛」である。特に見慣れていない他の分野に対して、検討違いの批評を行っているかも知れない。しかし私は、その「分野」というものを突き破る強い作品が見たいのだ。

例えば、舞台右奥から登場し、左前に展開する公演が多くあった。これを絵画になぞると、W・カンデンスキーの『点・線・面』を引用するまでもなく、画面の右上から左下への動きは、右利きの人にとっては最も引き易い線となる。左上から右上も同様だ。しかし、右利きの人は右下から左上の線、右上から左上の線を描くのが困難である。このような他分野から学ぶ構成の方法論も身につけて欲しい。

音楽についても同様だ。楽しいシーンでは明るくリズムの良いロック、神秘的なシーンでは落ち着いた穏やかなクラシックではダンスを曲が説明してしまうことになる。説明は、音楽に内在化される知性や歴史的背景を剥奪することにも等しい。例えば同じミニマル・ミュージックでも、ロックとコラボレーションするF・グラスと、インド音楽の根源を打ち出すT・ライリーでは思想が異なる。音楽に対する教養を深めることは、己のダンスの襞の深さを増すことになる。

照明もまた、工夫が必要となる。床に矩形、若しくは円形を浮かび上がらせた公演は幾度とあった。舞台に持ち込んだオブジェや主役を照らす等、凝れば凝るほどダンスの面白さは見えなくなっていく。これまで人類が培ってきた陰影の歴史、写真や映像の実験を学ぶことが深まれば、単に映像を後方壁面に映すといった安易な方法以外の発見ができる筈だ。それは、照明の使い方にも充分、反映することが可能となる。

ダンスの新人を名乗るのであれば、このフェスティバルで発表した作品をたたき台にして、更に大きな作品制作に力を入れて欲しい。


5日
COLONCH『エスケープ』
阿久津孝枝、中津留彩香、長谷川風立子、東島未知、藤澤優香が出演した。闇の中で踊り続け、フラッシュ的照明が焚かれ、写真的な効果を演出する。激しい跳躍、旋回を基調とする振付は、背を向けて前方に並び各人のソロになると柔らかく穏やかになる。常に一人か二人が外れて構成を瓦解させ、飽きさせない。後方壁面に逆立ちし、ゆっくりと爪先が舞う。30分。緩急どころかstop/goを多用する激しさは見応えがあった。しかしそうであるならば、体が引き千切れる程の過剰さが必要となる。単調な音楽に振付を合わせ過ぎている点も気になる。深みがある音楽に対して、その襞を探る考察も欠かせてはならない。構成力があるのなら、個々のダンスに個性を見せてもいい。

石山優太『光』
中央に梯子を架ける。無音/全灯の中、左右前後、アルコーブ通過、二階に昇ってとポジショニングしながらのポージング、リズミックな曲に合わせて強く体を揺する。椅子を舞台に持ち込み固定する。蹴り上げては宥めるマイムを繰り返す。最後は全裸になって奥へ消える。30分。ビート、j-pop、アンビエント、クラシックと音楽を多様に展開したが、それぞれの曲が持つイメージに頼りすぎている。それはダンスも同じことで、クリシェが多いということは、それだけ無駄が過ぎる結果となってしまう。縦横無尽に舞台を駆け巡る力と自己の踊りに素直な持ち味があるのだから、それを更に意識しても強調し過ぎることはない。見せる振付ではなくダンスの発散を期待する。

KEKE『柳原くん』
闇が解けていくと中央に佇み、激しいロックに身を振るわせる。暗転、「彼女のことを誰も知らない」と呟き、明転すると背を向けて前後に体を揺るがす。肩が動き、顔が上下し、全身に行き渡ると息吹をあげて走り回る。ジミ・ヘンドリクスのブルースに体が反応し、床に埋没していくと光が落ちる。20分。物語を秘めているためか、時間は気にならない。しかし余りにも秘められているため、作品の意図が伝わらない。綿密な振付が反ってダンスを萎縮させてしまっている。曲に対する解釈や構成に対する繊細な心遣いを持っているのだから、ダンスを「創作」しようとせずに「踊る」ことに没頭する姿を見たい。踊りに上手い下手は存在しない。良いか悪いかしかないのだ。

神田彩香と夢見るマートルズ『白熊パイン・フラミンゴの夢』
鴎の鳴き声、英語のアナウンスが流れる中、同じ衣装の鈴木愛、長谷川宝子、神田彩香の四人とフライヤに名前が記されていない一人が登場し、人形のような動きを見せる。J-pop、ノイズ、テンポの良い曲と音楽の転換によって振付に強弱を付けていく。マイクを通じて他愛のない会話を行い、日常を含むマイム的ダンスを見せる。星型のヘリウム風船を七つ舞台に設置し暗転、光が一筋入るとポージングが一瞬明らかになり、公演は終了する。30分。構成力がダンスを弱めてしまっている。旋回、足踏みなど、明るく可愛いイメージを形成するが、もっと強度に踊れる筈だ。劇中歌を入れるならば、整然とした構成よりも混沌とした世界観によりダンスが浮き彫りになる。

6日
Flexible Dance Circuit『F.D.C.Pre-Ⅶ』
懐中電灯を灯したSEIDOが、鼻歌を歌って階段を降りて来る。舞台二階にクリタチカコが倒れている。男は舞台を隈なく照らし、戻る。階段下に薄い光の輪が出現するとクリタは階段を降り、後方壁面に右手を上げて立つ。OHPの光が投じられ、クリタの輪郭がマジックで描かれ、左足膝下を除いて塗り潰される。高音のノイズが渦巻き、クリタは爪先立ちで旋回と腕のポージングを基調としたダンスを繰り広げる。SEIDOはボール、チェーリング、リボンを投影し、ハーモニクスを多用したA・ギターが流れる。30分。クリタの踊り、SEIDOの映像と音楽、総ては素晴らしいがモチーフに欠ける。これでなければならないとう理由が欲しい。でなければ漫然と時間だけが流れていく。

岩沢彩『水を編む温度』
左前に机に白い花、後方左右に水差し、左には150cmほどの木かプラスティックのオブジェ、右には白い花が生けられている。三つのオブジェに光が当たると岩沢が机に到達し、花と机を床に置きうつ伏せとなる。立ち上がり、リズミックな電子音に合わせて身を捩らせ床にも展開する。システマティックなダンスである。スクラッチ、ロック、金属音と音は続く。オブジェを入れ替え、覗き込み、机に干渉する場面が続く。ピアノとヴァイオリンの曲をバックに、150cmのオブジェを翻しながら踊る姿は圧巻である。ここだけを強調しても意図は伝わったのではないだろうか。若しくはオブジェを削ぎ落とし、ここからの始まりでも充分なほどの見事な旋回であった。30分。

A+『P.S.』
闇の中で英語の会話がスピーカーを通して流れる。右アルコーブ奥から外へ光が零れ、篠原藍、三宅さくら、菅沼誠がポージングしている。三者はアルコーブから出て、軽快な曲に合わせて強く、激しく身を弾いていく。スローなギターに転換すると、三者は漂うように踊る。時計の針、ジャズの音に乗って、三者は予め舞台に用意された椅子に座って踊る。立ち上がり中央で同じ振付のダンスを行い、折り重なって座る。25分。曲、アルコーブ、椅子によっての転換に頼りすぎている。構成よりも個々の踊りを大切にして、踊ることを前面に出す力があるのだから、一つの壁や発想を突き破って欲しい。すれば何故踊るのか、何の為に踊るのかが明確となるだろう。

杉田亜紀『りじりじり』
無音の中、杉田亜紀は右アルコーブから四足の後ろ歩きで出てくる。うつ伏せとなり、爪先でリズムを作り、腰を引き上げていく。続けて手前に向かう。右足を柱につけて止まる。蹴り上げ中央に転がる。仰向けで膝を立て、両手を伸ばす。ヨガのポージングが面白い。腹這で手足を掲げる。リズミックに手を引く。舞台左右のマイクを中央に配置すると、矩形のライトが床に投じられる。矩形の中と外で、正座と足を上げたダンスを繰り返す。その微細な音をマイクが拾う。足を崩し、腰をつけて足をあげて両手を前に添える。35分。牛川紀政による、自らが生み出した音で踊る。ここまで動機が不明であると、見る側として「踊り」に集中できる。度胸のある公演だ。

7日
プロスペクト・テアトル『みえないもの』
薄明かりの中、ダブロフスキ・ディディエ、福島梓、太田翔が伏している。腕を蜘蛛のように蠢かせ、抽象的な電子音に合わせて靡いている。鳥の声の中のディディエのソロは、縦軸を保ったままの旋回と跳躍を主として舞台を隈なく巡る。福島と太田もまた、垂直の緩やかなダンスを繰り広げる。か弱いピアノの響きの中、停止した福島と太田をディディエは中央へ移動する。反復する電子音に二人は立ち上がる。一方は急速な旋回、他方は緩やかな身体の助長を見せる。二人は停止し、ディディエがピアノに体を揺する。25分。静謐な空間が綿々と流れた。卒が無さ過ぎて新人らしさを感じない。もっと冒険をしてもいいのではないだろうか。無難さを回避すべきだ。

齊藤英恵『RED』
右奥の椅子に赤い毛糸の塊を右手に持ち、顔を埋めて蹲る齊藤英恵がスポットされる。徐々に立ち上がり、椅子から飛び降りると暗転する。左上のライトが燈ると、齊藤は左に位置している。緩やかな電子音が流れる。足場を決めて体を右に傾けていく。左手を掲げ、上を見ながら右前へ進む。到達するとピアノの和音が流れ、小刻みに体を震わせる。顔と背中の一部に石膏が貼り付けられている。旋回し、前中央に倒れ、奥へ転がる。腰で体を支える。膝を付いて立ち上がる。旋回を軸にしたダンスを見せ、椅子を抱えて退場する。20分。感傷的で客観性に乏しい。物語性が説明となってしまう。更に自己を突き放すべきだ。反対に、自己に溺れ尽くしてもいいかも知れない。

水越朋『しかるべき場所』
右前方壁面に額を当てている。膝までの全身を壁に付けたかと思うと、両手で壁を押す。爪先にも強く意識が行き届いている。解き放ち、左前方に肩で体を支え暫く動かない。内海正考の三味線が間隔を空けて鋭い打撃を放つ。徐々に足を窄め、回転し、膝を抱える仕草と化す。床に足を付く、抱える行為を繰り返す。立ち上がり、力を抜いて佇む。走りかけ、両手を前に求め、腹で抱えたその手を上に交差し、爪先、踵によって後退する。気流のような音と三味線のスクラッチが交じり合う。旋回し、場内を巡っていく。25分。全身と意識が屈強に鍛えられている。緊張感がある素晴らしい作品だが、更に抽象性を増せば、個々の独立した意味が生まれる。

7g『全力スキップ!!』
交響曲が流れるとバレリーナ姿の布目紗綾、渋谷佳奈、田中麻知美、湯浅橙が裸足で走り回る。無音の中、黒い服を着た林七重が赤いオルゴールを持って前方中央を目指す。到達すると開き、バレリーナのフィギアを四体取り出し前に並べる。電子音が響き渡るとバレリーナはシンメトリーに動き出す。幻想的光景は暗転を挟み、全灯の現実的風景へと化す。二人から四人、四人から林を交えた二人と展開する。ダンスは説明的なマイムを織り込む。林が頭にフィギアを載せ、中央に並べていく。バレリーナはフィギアと化し、5人でバレエを踊る。30分。バレエテクニックに舌を出す、動物を模擬するなど、コミカルな側面を強調する。清々しい情景は次の展開が楽しみとなる。

9日
山田茂樹『ムソージエンの人間記念碑』
佐藤悠輔のE・ギターの単音が、スピーカーから鳴る。山田は紙片を手に持ち隈なく照らされた舞台を巡る。何かを読み上げているが呟く声が小さいため、聞き取れない。紙片を仕舞い、両手を振りながら舞台を歩み続ける。佇むと暗転し、薄明かりの中で靴と服を脱ぐ。片足で立つポージングを見せる。ギターのハウリングが続いている。壁を伝う動機を舞台に持ち込み、続ける。床に頭をつける。転がり、背をつけ、大きく波打つ。ギターはハーモニクスから純音階を奏でる。大きな跳躍と旋回を続ける。口から透明な固体を吐き出し、右手で掲げる。25分。空想世界を動機とした。メソッドが高いのに上半身と下半身が分離し、見せるためではなく、本心の踊りを見たい。

藤井友美『月わらい、うたう唄』
薄明かりの中両手を掲げ、足を踏み歩む。両手を広げ後退する。踵のみ、爪先のみの反復を繰り返す。マイム的でありながらも、具体的な対象が見当たらない。弾ける様な電子音が流れ、膝を深く折っては戻す。両手を上に、その掌で頭を叩く。声をあげると暗転する。28分。ジーパンと白いシャツという日常性を、舞台にどのように持ち込むのか。その上で、藤井は一切、踊りを見せていない。透けて見えるのは、フォルムとその連続性のみである。無論、これがダンスであると言うことは可能だ。末端に神経を注ぎ、全体像を失わせる方法もある。しかし「新人」で「踊り」を見せるとなると、シュミラクルではなく、自己という幻想であっても本体を晒して欲しいと。

UIUI『それ。と、これ。』
黒に一本白の足、白に一本黒の足の平台が左右に置かれる。友井川由衣と曽我類子は前に座り込む。二人は交互に振り返り立ち上がる。ロックがかかると友井川は痙攣し、曽我は優雅に振舞う。無音の中、二人は異なる場所に立つと雑踏音が聞こえてくる。二人は歩を進め近づき、触れ合うことなく手を叩き、頬に掌を寄せ、床を滑り、片足を高く掲げる。二人は平台に乗り、振り返る。無音の中、二人は均衡を保つ。二人は倒れ堕ち、強いビートの曲が掛かると二人は同じ振付で激しく踊る。25分。振付に拘らず、踊りが滲み出ている。自己を超える、自己の体にあるものが立ち昇ってくるのが見える。恣意と偶然は異なる。ダンスの意識と動きが異なるように。

欲張りDDD『重過ぎるダイヤ』
幅1m位の白い紙を、右奥から左手前の床に展示する。石橋愛と渡邊愛祐美、私は面識が無いので一方、他方と表記する。一方は赤い花を抱えて道にうつ伏せで横たわる。蠢くと暗転する。明転すると、花は片付けられ、他方が悲痛な表情で左壁面に張り付いている。倒れて落ちると、嗚咽を上げる。ダンシングドール的なダンスを見せ、足裏を素早く移動させる。一方が再び花を持ち伏したまま進む。二人は引き返しては倒れる動作を繰り返す。一方は左前方でルージュを引く。ミドルテンポのロックに他方は沈んでいく。二人は左右の壁面に伝っては崩れる。他方が退場し、一方が佇むと暗転する。20分。道、花、口紅という物語性を打ち破る強度のダンスを見たい。

10日
原田悠『彼と彼女の国民服』
原田悠、黒田菜摘、小泉芽由紀、酒井和哉は右前に集結し、左奥、中央、右奥へと移動する。各人が国民服に対する解釈を施したダンス、演劇的動作を見せる。再び四人は集団で移動し、軽快なリズム音の中、肩を揺るがす、手を振る、腰を屈める、立ち尽くすなど、様々な動作を見せる。三度集結し、握り拳を振って移動する。同じ振付で踊ったりステップを踏んだりしても、常に一人が外れてリズムを作っている。四人はモチーフである国民服を脱ぎ、左奥へ消える。20分。演劇の感触が強い。身体を用いても、演劇とダンスは意識が異なる。メソッドを関係なく、ダンスであることの意識を強調すれば、更に内容を深めることが可能になるのであろう。

政岡由衣子『暴露ミー』
蛍光灯の中、政岡由衣子、平川恵里彩、米田沙織が後方壁面に並ぶ。前方に駆け上がり止る。三者は同じ振付で、軽快なステップと上半身の素早い動きを舞台前後に繰り返す。方向を転換し、舞台左右を使用すると一人はアルコーブを通じて続ける。無音の状態からランダムなパーカッションが聴こえて来る。左壁面、後方壁面と立位置を異にし、それぞれ異なるダンスを見せる。ラテン/サンバ調の曲からヴェートーベンのピアノ曲へ転換する。ゆっくりとめぐる三人に当たる光が、突如、遮られる。25分。フラットな感触の中で混沌とした雰囲気を出した。しかし動きが見えても体が浮かび上がってこない。コンテンポラリー、ストリート、どうすればダンスは成立するのか。

兼森雅幸『なんとなく夕暮れに』
兼森雅幸は時計回りに舞台を走り廻る。ビックバンドが流れても続けるが、曲が終わると共に止まる。直ぐにジャズが掛かり、金盛は小刻みに体を震わせる。突如、起き上がり倒れる動作を繰り返す。立ち上がり、走り、止まり、足を強く引き摺り音を出しながら移動する。散らばるような電子音の中で、中央に足場を決め両手を大きく広げる。腰を低く構えて腕の動きを続ける。四足で左奥へ向かい、普段着を取り出して舞台中央で着替えながら日暮里の名称の由来、神楽坂die pratzeの柱の思い出、16歳当時の自己を振り返って語り、再び身を捩る。立ち上がり倒れる、橋っては止まる当初のダンスを繰り返す。30分。時間と場所を混在させる姿勢は見事だが、踊る根底を探って欲しい。

二藍『萼~がく~』
渡辺知美は左前から右奥へ、逆四足で進み、右手を掲げると暗転する。左奥から右前に同じ姿勢で移動して、再度暗転する。渡辺、恩曽めぐみ、西崎まり江、宮尾安紀乃が舞台の四隅に位置し、M・ジャクソンの曲に体を揺する。四人は中央に集まり、ランダムにダンスを続ける。緩急をつけたポージング、旋回、ステップを見せる。二人ずつ入れ替わり、首を振る、深く空間を潜り抜ける踊りを見せる。四人は中央に向き合い、離れて佇む。背を大きく反り、床へ流れていく。四人は四足で移動し、足を掲げたり手を伸ばしたりと様々に壁面付近で揺らぎ続ける。弦楽が鳴り、ライトが舞台を隈なく照らし、二人、一人と退場する。25分。無常観に生が立ち昇る必要がある。

11日
内田しげ美『うっマンボ2』
後方壁面中央に、開いた箱が置いてある。内田しげ美はその中に足を踏み入れ、出ると横へ手足が目指すダンスを繰り広げる。アルコーブから缶の蓋、柄杓、大きめのバケツ、ゴムホースが投じられ、内田はその都度、額を打ち付ける、頭に乗せる、回転させる、身体を入れる、捻る、身体に巻きつけるなどの動作を交える。持物は持ち替えるのだが、その都度流れるメロディアスな音楽を説明するように舞うことも忘れてはいない。コミカルな曲と赤い衣装、解り易いダンスが示す通り、内田はショーを意識している。ショーであるならば、サービスに徹するべきである。そこにダンスを成立させるためには、ショーを超えるアイデアを捻出しなければなるまい。25分。

井田亜彩実『魚は痛みを感じるか?』
右前方に木箱を置き水槽を用意し、プラスティックの玩具と水を注ぎ、酸素を取り込みブラックライトで照らし、マイクを向ける。四隅、中央に笠井晴子、栂野一樹、香取直登、仙田麻菜、田上和佳菜が位置し、中央の一人は背を向け、四隅の四人は壁を叩き倒れる。五人は中央に集結して腕を回していく。暗転を挟み、五人は入れ替わり立ち代り、物語を喚起させるダンスを行う。天井から花弁が落ち、一人がそれを受け止める。右アルコーブから光が漏れ、五人は彷徨う。30分。魚の痛みの主題による水槽が、反って舞台に対する集中力を散漫にした。関係性を強調する為に、連帯を示すダンスを展開したのであろうが、連帯という関係性以上のものが必要となる。

竹之内亮『ざま』
舞台後方に洋服が二人分、畳まれている。蛍光灯の中、フライヤに記されていない下着姿の女性が階段を降りる。機械音が響き渡る。下着姿の竹之内もまた階段を降り、女性を後ろから小突いて階段を昇り、扉を叩く動作を繰り返す。竹之内は舞台に登ると飛び跳ねる女性を後方から抑える。二人は服を着て、服の下にあったパソコンを開いて前に揃って立つ。竹之内の画面には竹之内の顔が、女性の画面には何も映っていない。三拍子の曲がかかり、二人は脱衣し、竹之内は立ち尽くし、女性は横たわる。ヴァイオリンソナタの中で竹之内は散らかした服を確認し、女性は彷徨う。方言の声と共に階段を昇る。30分。存在の確認は不可欠でも、踊る欲がもっと欲しい。

岡野 桜井 細川『Flap』
岡野満紀子、桜井陽、細川麻実子は舞台中央に横に並び、左足を動かすと右手を振るヴァリエーションを幾つか繰り返す。土着的な曲に三者は身を震わせる。三者が膝立ちとなると曲が止まる。システマティックに舞い、ファンファーレが鳴る。抽象性の強いダンスだ。暗転を挟み、打ち付けるような電子音の中、三者は腕を廻らせ、床に接しては素早く立ち上がる。暗転を挟み、EW&Fの曲をバックに身体を揺らめかせる。25分。個々を大切にしながら合同で振付を行った感触があった。実に丁寧で綿密な思考が盛り込まれているのであるが、動きに無理が無さ過ぎる。難なくこなすことよりも、探究心とその新しさが欲しかった。新人シリーズに失敗を恐れてはいけない。

13日
GRILLED BITCH CONTROL『the MEXICAN』
電飾が舞台床を取り囲み、左中と中央に黒い椅子、左奥には赤い椅子と茶のテーブルが置かれている。後方壁面に日常的風景の映像が投影され、ライブハウスに転じる。スピーカーからA・ギターの旋律が聴こえる。映像と同じ帽子を被った女性が赤い椅子に座り、机を叩く。不穏な電子音が流れ、左右から女性が登場する。二人は右指先を顎につけて、背を床と水平するポージングを繰り返し、頬と額を叩く、手を振るなどのマイムを織り交ぜる。帽子の女性が立ち上がり、モップを用いて電飾を内側へ寄せる。二人はアメリカンロックに合わせて飛ぶ。エンディングロールの映像が投影させる。18分。総てを映像にしても違和感が生まれないほどに、虚実が一体化した。

武藤浩史『矢』
闇の中で壁面を叩く音とピアノ曲が交差する。光が零れていくと武藤が左奥で右手を挙げてポージングしている姿を確認できる。右奥で御椀に乗った大福を齧り、上を見る。ブラームス交響曲第三番が僅かにかかる。後方壁面中央で背を反り、顎に両親指を乗せるポージングを行う。ピアノ曲が流れる。上体を折り上に向けた両掌を回す。舞台を大きく回り、顎に両親指を乗せるポージングを繰り返す。背を床につけ、両手が足首を操る。30分。ダンスを、音楽が持つ歴史的存在意義に委ねている。執拗な反復にシーシュポス神話の岩の繰り返しを想起させる。シャツが汗で濡れ、息も服も乱れる点に、ダンスの真摯さを見出すことがある。この本気さが欲しい。

塚田亜美『みえないところで、みえること』
暗闇の左側縦のラインに、暗転が繰り返す。縦に並ぶ小山柚香、美濃山早紀、河村芽依、佐藤葉月、栗山峻一、塚田亜美は身体を絞り、開いていく。3人3人のグループに展開し、6人は同振付で床を転がる。暗転し、床に座って椅子取りゲームを始める。サティのピアノ曲に手を差し伸べる、選択するなど恋愛ゲーム的マイムを行う。再び中央で椅子取りゲームが行われると、暗転する。20分。激しく身を振り絞る、壁を叩く、体を解す、旋回するなど、ダンスとしては多種多様な展開を見せても一辺倒にしか見えないのは、自らが研鑽し、積み上げ、育んできたダンスという俎上を乗り越えられないからだ。この俎上を転覆し、革新する野心が新人に課せられている。

愛智伸江×永井由利子『WHITE LETTER』
逆光の中、愛智伸江が紙片を手に持ち前へ進む。右手、左手と掲げ、英語を呟きながら強く身体を降り頻り倒れる。低い姿勢で右手を横へ、右足を高く上げると暗転する。床前方左前に矩形のライトが投じられる。メイド風の永井由利子が完全にダンスを破棄して立つ。暗転が溶けると化繊に包まれた愛智が床を廻る。再び暗転、永井が右へ移動する。床に投じられる矩形と円のライトに愛智は避けて踊り、永井は身を委ねる。二人は逆方向を見ながらデュオで舞う。陽と陰が交錯する。背中を合わせ、床左前に矩形のライトが投じられる。25分。鋭い切れの愛智と大らかな永井は対象的であり、今回は裏表だ。脅威のテクニックと構成のレヴェルが高い。ここに葛藤が欲しい。

14日
中村理『ゆめゆめウツツ』
銃撃音が一度響き、ロマンティックな曲が流れる。中村理はハンガーに掛かったワンピースを引き摺り、掲げ、抱え、横たえる。腰をつけ、頬を抓って睡魔と闘う。時計と目覚まし音に飛び起き、自らが着装していたシャツを脱ぎ、ワンピースを着る。肩と腰を振り、銃撃音に腹を押さえてよろめく。ワンピースを脱ぎ、大きくステップする。「死んではいけない」。歌う。大きく手を広げ、舞台を廻る。三度銃撃音が聴こえ、倒れる。28分。何かを指し示すマイムでも、象徴的なダンスでもない。自らを幹とし、シャツとワンピースによる倒置錯乱を見せるパフォーマンスであっても、指でピストルを形作る、笑顔を浮かべる等の記号は排除してダンスを見せるべきだ。

宝栄美希『pendant』
右壁面中に姿見を置く。暗転の中、何かを引き摺る音がする。Wベースの純音階がスピーカーから響き渡る。中央で背を向けて立つ宝栄美希、姿見にスポットが当たる。右手肘を廻らせると、Wベースと姿見のスポットが止む。舞台を隈なくライトが照らすと、50個程の銀のペンダントが床ところどころに散りばめられている。宝栄は一つずつ拾い、首にかける。姿見の前で上体を折ると、ペンダントが下に落ちる。宝栄はペンダントを後方へ放り投げ、その場所に行ってはペンダントの前でうつ伏せになって同じ行為を繰り返す。バッハがかかり、暗転する。20分。ペンダントを投げる合間に見せるダンスは、大胆でありながらも繊細さが見え隠れする。無鉄砲さがいい。

石井則仁×添光『時雨時』
石井則仁が右奥から出てくる。下げた手の人差し指を立てたまま前へ進み、舞台に矩形を描くように進むと、その通り道を辺とした矩形のライトが照らされる。添光によるヴァイオリンの持続的演奏がスピーカーから聴こえてくる。石井は膝を曲げ、右手を回していく。背を向け両手を広げ、上体を折っては戻す。旋回し、空間に腕を、爪先を忍び込ませていく。演奏の間隔が短くなり、高音から低音へと下降する。渦を巻く石井のダンスは、中央で立ち、落ちる反復へと変化する。スラーを多用した東洋的な音が響く。17分。石井はレクイエムに相応しい静謐なダンスを見せた。添光の自信と確信に満ちた音楽がそれを支えた。しかし石井には、感情を超えた舞踏を期待したい。

Cookie×Cream『にせもの』
舞台前方右には文房具が土に刺さり、左には白の人型の小型フィギアが詰め込まれている。藤井咲恵、清水帆波、中村恵莉、佐藤萌香、久保佳絵、高橋沙耶が出演した。暗転後、前に立つ四人はコミカルな曲に首を動かし、後の一人は雑誌を読み、爪を研ぐ。もう一人が後に加わり、二人は呆然と前を見詰める。曲が止まると6人は笑い、左奥で円陣的に立ち、踊る。奇声をあげ、「可愛いね」とはしゃぎ、皆ヒールを右のみ脱いで踵を立てて踊る。「にせもの誰だ」と、虐めが始まる。一人からもう一人へ被害者は転移する。「明日もきっと楽しいよね」。30分。ストリートでもコンテンポラリーでもない独自の世界観はいい。物語で何を語るのかが重要だ。

15日
越博美『赤のフーガ~番外編~』
上野美帆、赤塚夕香、栗田藍、越博美が出演した。明るいリズムに赤い頭巾を被った四人が、前方で曲に合わせた身体を広げるポージングをする。暗転後、一人一人が独自に立つ。見る者が読み取り易い表情を浮かべ、大袈裟な身振りも交えていく。左前に集結し、折り重なりながら中央へ移動する。足を大きく回す振付で四人は踊る。鳥の声とハミングが聴こえると、後方壁面に森のカラー写真がスライドらされ、モノクロのアニメーションに変化する。ソロの舞台に三人が入り、四人は手を繋ぎディスコソングに身を振るわせる。30分。充分なダンスを更に振り絞る必要がある。振付とは動きを「施す」のはではない。動きを超え、作品を生成する/させることにある。

橋本規靖『半人前』
橋本規靖は後方壁面中央前にヒールを履き、腰を屈み、膝を折り、背を丸めて右を向き、アルコーブを潜って正面を覗き見る。「私は必ず…、悪魔と神様は…」、男のアナウンスがスピーカーから流れる。橋本は虫のように身を屈めて舞台を小刻みに歩む。右手で後方壁面を叩き、痙攣して倒れる。仰向けで手足を伸ばし、背を浮かせようとする。立ち上がると意識を変えて飛び跳ねる。タンゴ調の曲が流れると旋回し、横へのステップを多用する。左側面を下にして揺らぎ、幻想的な管弦楽が鳴ると揺らめく。25分。F・カフカのザムザを想起させるが、限定した苦しさがダンスに派生し切れず、意味が生まれない。自己の体のバネの強さを強調してもいい。

中原百合香『ピンクブルー』
中原百合香、三平大介が旅行鞄を持って中央で背を向けている。三平が振り返ると暗転する。中原、小野麻里子、小路雅子、土肥靖子、西山友貴、水野愛子、矢嶋美紗穂は皆旅行鞄を持ち、背を向け揺らいでいる。F・ショパンの《別れの曲》が流れる。歩いては握手を拒む振付、旋回と緩急を織り交ぜ全身を用いるレヴェルの高いダンスが続く。「また会えるなんて…」三平が呟く。8人は鞄、靴を有効に使い、舞台にダンスと物語を交錯させる。偶然は存在せず、ポジションまで綿密に計算されている感がある。再びショパンが流れ、幻想のような群舞で幕を閉じる。30分。個人の世界観で満たされている。それを凝縮するか、拡散するのかが今後の課題となるだろう。

葛西恵理奈『シータの夢』
葛西恵理奈は、中央に両手で口を覆い揺らぐ。加工された声がスピーカーから聴こえる。葛西は伝統的なインド舞踊の衣装を身につけ、踵でリズムを取ると足首の鈴が響き渡る。背を向け両手を広げる。隈なく舞台に光が零れ、音楽に合わせて舞台を進み、後退する。床に二つの楕円をライトが形成し、さ迷う。笑顔でマイム的に踊る。インドの大長編叙事詩である『ラーマーヤナ』の一部をメレディス・モンクの曲で踊った。『ラーマーヤナ』はヒンドゥー教の神話と古代英雄であるラーマ王子の伝説が描かれている。上記四景は確実に物語が内在化されていた。伝統を重んじながらも新たな解釈を施そうとしている。そのためには、余白を上手く使うべきであろう。

以上。


1