総論
今回、応募は70以上、出演したのは24組なので、狭き門だったといえる。ちなみにこの3人の審査員(批評家)は事前審査には関わっていない。観客と同じように、舞台だけを見て判断する。過去の公演や情報に影響されることはあるが、僕個人としては、なるべくそれぞれの舞台に新鮮に向き合いたいと思っている。
というのも、これまでの講評会でも何度か話しており、今回、いみじくも岡見さえさんが同様の発言をされたが、「見たことのない舞台」が見たいからだ。それは奇抜なことをやるという意味ではない。もちろん斬新な発想で驚かせてくれるのもいい。だが、シンプルにバッハで踊っていても、見たことのない、と思えることは、たびたび起こるのだ。今回の舞台でも、そういった瞬間に何度か遭遇した。それは、この新人シリーズに関わっていて、よかったと思える瞬間だ。
今回の舞台で目にとまったのは、身長の高い女性のソロだ。バレエやダンスでは必ずしも利点にならないが、それを生かしたソロを展開しようとした。全体にソロダンスは自分を探り、身体に問うという意識が感じられるものが多かった。群舞やチームの作品には、「見せる」ことを意識しているものが多かったように思えた。そのためには、「見る」、「見られる」、「見せる」ことについて、しっかりと考えてみる必要があるだろう。それは舞台表現の根底となることだと思う。
今回の舞台のなかで、自らに負荷をかけ続けた遠江愛と、横になって踊ることに徹底した幅田彩加が、それぞれ賞を得たのは妥当だった。一つのこだわりをどこまで自分に徹底的に課すかということが、批評家、オーディエンス、どちらも惹きつけたのだ。ほかにも、田中美沙子と杉田亜紀の挑戦、黒須育海の男性群の動き、クリタマキのフェティッシュ、ナナグラムのオブジェとの絡みを特に評価したい。
また日本舞踊家のソロ、日舞を入れた群舞作品、エアバンドとのコラボレーションなど、新たな挑戦を見ることができた。舞踏がなかったのは少々寂しいが、ソロダンサーたちは舞踏に近い身体への意識を見せる者もあり、それも含めて、現在のコンテンポラリーダンスの一端、あるいは先端というか、新たな「芽」がここにあるといってもいい。
講評会の後に、踊った方々と話し合う機会も貴重だった。そして、たびたび挑戦を行う人・グループもある。それぞれの方たちが、ほかの舞台を含めて、どう変わるか、今後も楽しみにしている。
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安芸純香
オレンジの衣装で、場面場面を照明で効果的に切り替えて、身体を浮かび上がらせようとしていた。とても美しくまとまっていた。ただ、その表現が、身体の内実から出てくるもののようには見えなかったのが少し残念だ。また、これは石井則仁の舞台づくりの影響があるように思えた。
藤井友美
リュックを背負って倒れるところから、いまのコンテンポラリーダンスのソロのモードを示しており、テクニックや表現も申し分なく楽しめた。どちらかというと、コンテンポラリーの典型とも思えてしまい、「見たことがない」という鮮度は感じられないように思えた
小谷葉月
長身という身体性を生かし、冒頭顔を見せない部分、さらに手だけの表現など、それぞれの景と展開が見事だった。最後にノイズとストロボライトの中でじっと動かないのも、とても好ましいのだが、若干意図的という印象が残ったかもしれない。
t.a.i.
大きい男性と小さい女性の組合せで、一度女性が男性の足の上に乗ってからは、床につかずに、絡んだまま踊り続けるという構成と展開は、目が離せない。そして2人の感覚的なつながりもよく感じられる。ただ、その一種アクロバティックな技術のみが、強く残った印象で、なぜこのように踊るのか、男女というテーマにすぎないのか、という問いが残った。
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田中美沙子
下手中央に吊るしたインコのオブジェと無関係に、踊るというか、顔を隠して動きうごめくところから、徐々に自分の世界を構築しようとする。所属するBATIK、つまり黒田育世由来の動きを極力廃した潔さはすごい。ただ、この挑戦を人にしっかり伝えるのは、なかなか難しいとも思った。
遠江愛
反り返ったポーズを維持し続けながら、同じ動き、リフレインから踊りを導き出すが、最初のポーズの肉体的負荷から踊りは徐々に高まっていき、そのテクニックと身体そのものが合わせて観客に激しく伝わった。
ASMR
照明を丁寧に使い、ダンサーたちの踊りを丁寧に見せて、展開もおもしろく、新鮮な場面もある。ただ、全体としては、一つの枠に収まった印象もある。
パタコーパス
舞台の上で、バンドがエアバンド(演奏の真似だけ)する一方、下の舞台ではしっかりとストリート系の踊りが展開し、その二つが混じりあう。最後は、中央で女性がバレエ、黒鳥のグランフェッテアントゥールナン(32回転)と同じ踊りを見えて、ここはバレエ関係者も大拍手という収め方だった。。
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中西皓子
黒にカラフルなパンツの姿で踊り、踊りはしっかりと安定しているのが、衣装の遊びが、ダンスの本質的な遊びにならなかった。例えば、コケットリーを出すというのもいいのではないだろうか。
catatsu
ポップな衣装の男女人が当初動かないポーズから、次第に動き、絡んでいく。ダンス的動きを排除して、かつマイムでもない微妙な動きはちょっとおもしろい。ただ同じ感触が続いて単調になるので、違う動きをどう加えるかが課題だろう。中盤からのヴォイスとピアノの音もパパタラフマラのような印象をもたらした。
幅田彩加
照明を抑えて床の上だけで踊る。ともかくそれが圧倒的に素晴らしい。非常なテクニックがあるのが、回転などの足の動きやそのシャープさに見てとれる。次々繰り出される動きは飽きさせないが、最後も同様の動きになるので、全体としては平板な印象を持った人もいるかもしれない。中盤に動かない場面など、破綻をつくるといいのではないか。
高橋和誠
逆光などの照明を見事に使い、ヒップホップ系ロボットダンスの動きをベースに、ねっとりした動きを作りだす。中盤のヴォイスはあまり必要なく、全体としては、やりたいことを盛り込みすぎだが、自分の身体性を伝えるすべに長けているため、期待できる。
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A LA CLAIRE
男女二人で「ずらし」をコンセプトにした、コンタクトインプロとコンテンポラリーという感覚の作品。触れない、離れたところといったイメージづくりが面白い。ただ、音との関係が合いすぎて、意図的すぎるようにも感じられた。
ほいの
一人で声を出したり動いたりしているが、自己完結しすぎている。高校の昼休みに受けた人がそのまま戯れているという感じで、究極の自慰ともいえ、これが敢えて出てくることが、この新人シリーズの凄さかもしれない。
テテルホテル
上手上にいる生ギター演奏で、チュチュ系バレエドレスの女子7人が踊りまくる。黒田育世と松本じろ、Batikへのオマージュ作品と見えるが、冒頭のギターがいま一つ。歌声はいいのだが、松本ジロは中東エスニックが入った音調で見せるために、Batikや黒田の旋回が意味を持っていたのだが、素朴なフォークになると、ちょっと違う。
杉田亜紀
舞台中央に2m×1mくらいの長方形の光があたり、主にその中で踊る。四隅にマイクを置き体が床に擦れる音などを増幅して流すのだが、極力自然な音と聞こえるように設定してある。そこで主に這いながら、両足を揃えて上に上げて両手で抑えて、腰のみで立っている形で、終わっていく。シンプルすぎる構造と音との関係のストイシズムは極まりすぎて、観客にとどかないかもしれない。
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李真由子
長身を生かした丁寧なダンスで、見せる演出も十分ではあって美しかった。ただインパクトが一つ弱いようにも思った。前半の密度から後半も同様の感じで、もう少し変化がほしい。
C×C
群舞と銃を撃つ女子と日舞という組合せは、混沌というよりも意味のない戯れととれた。これで「受け」を狙うとすれば、それはちょっと無理があるし、それ以上のものを生み出すには、もっと練り込まないと難しい。異種混交の困難さを顕著に示したともいえる。
櫻丞亮翔
日舞の前半とコンテンポラリー的な後半に分かれているが、ずっと後半も和服で踊ればインパクトもあり、「踊れない踊り」も出てきたのではないか。「和服は拘束具だ」といった劇団主宰者がいるが、その拘束を生かした和服のままの激しいコンテンポラリーは、おそらく「見たことのない」ものになるだろう。
黒須育海
裸の男性群の動きが、実に綿密かつ面白く、「見たことのない」世界に入りかけている。さらにそこに意味のない一人女子の関わり方が微妙で、人によっては、かなり「はまる」感覚だろう。女子がいる意味はないようなところが面白い。
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クリタマキ
「人にはだれでもフェチがある」といって、親指の付け根をかじることとともに、ミニレコードプレーヤーの音から、次第に踊りになっていくところは、巧みかつ惹きつける。その冒頭はいいのだが、展開していくと、最初のインパクトが薄れたままなので、さらに次の一手がほしい。
ゆみたろー
冒頭から腰を落としてじっとりと動くので、それはストイックでいい。ただ、ストリート的なのか、むしろ体操的で、そこから踊りらしさが立ちあがらないように思えた。
京極朋彦
丸太を1本運んできて、その周囲を踊る。技術とコンセプトともあって巧みに見せるが、丸太がオブジェのままだった。もっと丸太に対する愛情というか、モノではないという意識で接すれば、リアリティが増すだろう。ただ、「見たことのない」という部分が垣間見えて、流石と思った。
ナナグラム
白いねっとりとした輪の中で踊る動きは、独自の雰囲気を立ち上げて、面白い。その輪自体が奇妙な感触というか、触感が伝わることに惹かれた。出産と胎児などをイメージさせるのはシンプルすぎるが、ちゃんと語りでそれを裏手にとろうとする。風船はすべてコンドームのほうがふさわしいだろうが、最後の光が変わる風船はしんみりさせ、かつ美しかった。
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