Top|トップページ      Access|d-倉庫への行き方      Schedule|公演情報      Rental|貸館      Archives|記録          
「ダンスがみたい!新人シリーズ18」総評と講評 
岩渕貞太

116-0014 東京都荒川区東日暮里6-19-7    
営業時間 18:00-23:00  定休日 月曜    
  03 5811 5399    
  d-soko@d-1986.com
  
  
d-soko Theater 
   6-19-7, Higashi-Nippori, Arakawa-ku, Tokyo, JP 1160014 【Find on Map
   HOURS: Tues-Sun 18-23






今回の新人シリーズ全体を通してダンスを観るよろこびはどこにあるのかあらためて考えました。演出のうまさに唸ることもあり振付の快感を味わうこともあり、そこにいるダンサーの姿に震えることもある。作品というのは結局それぞれの要素が絡み合ってのものであるけれど、それぞれの要素をある程度分けて考えてみることも(きっちりと線を引いて分けることは不可能かもしれないが)時には役に立つ。今回の審査では振付・演出・身体観・パフォーマンスなどいくつかの要素ごとに評価を分けて整理しつつ、その上でどこか特出した魅力、強みがあったものを高く評価しました。
他の審査員の方との最終審査の話し合いで私が推した候補は、ふりだしにもどる、ラガッティー、三谷真保、弥田理沙の4組でした。それぞれを推した理由は以下に記します。

ふりだしにもどる「止メ止マ」
ふりだしにもどるのお二人の振付言語があると感じました。私たちの日常生活とちょっと違う、ダンサーが感じている別の世界の生理が身体にあり、それがこのユニットのユニークな振付言語を作っていると思いました。可愛らしい雰囲気が表にありながらカワイイにとどまらない、甘さにとどまらない、不穏な感じもありとてもチャーミングな作品でした。最後の仕掛けで驚きも用意されていて作品として満足度が高かったです。全てを既成の音楽で埋めずにオリジナルの音源があったこともと作品の強度を上げていました。

ラガッティー「23歳のバラード」
たくさんの目覚まし時計の舞台美術がマテリアルとしても面白かったですし、それを使った空間づくりも良かったです。振付にラガッティーという集団の味が感じられました。今後それを突き詰めていくと彼女たちの独自の振付言語が生まれると思います。白い衣装のダンサーとそれ以外のカラーのあるダンサーが分かれて構成されていましたが、そのことで観客は何か一貫したストーリーを読み込みたくなり、翻ってストーリーという面で言えばそれがはっきりしていなかったので白い衣装のダンサーだけ別の役割を持たせる必要性を感じませんでした。ダンサーの方たちは作品をそれぞれ解釈して自律した踊りをしていました。皆さんいいダンサーでした。

三谷真保「Persona(ペルソナ)」
ことごとく予想を裏切る、予想を超えてくる作品で最後まで気が抜けない作品でした。最初の暗転が不自然に長く、後ろ姿で踊る時間も長く、前を向けば真っ白のマスクをかぶっていて気味悪く、マスクを取るとその下にもまだマスクをしていて、気がつけば20枚ほどが床に散らばっていました。結局最後まで素顔は見えずマスクにメイクして出ていく終わり方も安易でなく、練られた作品でした。振付、踊り、マテリアルの使い方に三谷さんの独特の呼吸があり一つ一つが過剰であったり、過少であったりこちらのリズムを心地よく、時に心地悪く外していきました。ご自身の世界観とリズム感を持っていて作家として確固たるものを感じました。

弥田理沙「ミーアンドミー」
振付、空間構成、ダンサーの身体の質が見事に噛み合って、弥田さんの世界観が立ち上がっていました。爬虫類のような動きやその質、肌感も身体から見えて、ダンサーの動きの質感が空間を包み込んでいました。「ミーアンドミー」というタイトルでデュオ作品なので二人の関係をどのように捉えるかが見せ所ですが、表と裏、本当と嘘、光と影のように安易に役割分担できてしまうところを二項対立ではない多重な関係性を作っていて、力強く作品世界に引きずり込む奥行きのある作品でした。

他に印象に残った作品です。

小林利那「ゆめみるめるめ」
動きやシーンの展開、歌、観客の巻き込みなどアイディアはとても面白かったのですが、要素がうまく噛み合っていなく盛り上がりきらなかったのが惜しいと思いました。
蛭田浩子「赤ずきんちゃん」
蛭田さんが赤ずきんちゃんに仮託したものや解釈、振付の選択や独特の暗さと明るさに魅力を感じました。ただ小さくまとまっている感じもあったので、もっと大胆な解釈、展開、破れが欲しいと思いました。

高瑞貴「dodo」
作品の世界観、それを実現する振付とダンサーのスキルが高く見応えがありました。この作品の中での背中の意味、脚への執着などいくつか作品を支える重要な要素が見えたのですが無意識に扱われていたように思います。そこが掬い取れると作品の強度がグッと上がると思います。

宮崎あかね「マリー 〜Pensez à la grotte de la Sainte-Baume〜」
宮崎さんがアーティストとして宗教や儀式をテーマに持っているのはとても興味深いです。今回の上演ではなぜ作品として発表するのか、観客が立ち会う必要性がぼんやりしている印象でした。観客がいようがいまいが上演される作品を考えてみるなど上演場所や上演形態まで考えを広げてみてもいいかもしれません。大きなテーマだけにこの先がとても楽しみです。身体の強さ、意志の強さがとてもよく感じられました。

Be Harmony「人生とはいとをかし2」
うまい/へた、できる/できない、などポジティブ/ネガティブという評価軸ではなく、踊るよろこびや生きることを肯定する姿勢がダンサーのみなさんから溢れていました。踊りを観る幸せを感じさせていただきました。この作品がダンスがみたい!新人シリーズ18の最後の作品でしたが、締めくくるにふさわしいものでした。

odd fish「machi」
振付のスピード感と量が印象的でした。20分ほどをこれだけの密度で作りきる振付体力はすごいと思います。力強い作品とも思ったのですが、現時点でこの感じが作家の核なのか確信を持てなかったです。まだ作家としては世界観が広がりそうなので色々なトライをして欲しいなと思います。

作品ではないのですが宮本悠加さん、中村たからさんのお二人がダンサーとしてとても魅力的でした。勝手に優秀ダンサー賞を贈りたいと思います。副賞はないのですがこれから期待大なダンサーとして皆さんに注目していただきたいです。

 

全体を通して私が感じたいくつかのトピックをあげます。

・(なにがしかの体系的な)テクニックある、ない問題
テクニックが作品の強度、実現度を高めることは言わずもがなだが、回れれば、跳べれば、足を上げられれば、身体が柔らかければ踊りになるわけではなく、ある種のダンステクニックが作品の邪魔をすることがある。かといってある種のテクニックがないこと、上手に踊れないことが魅力になることもあれば、ただ踊れていないだけということもある。では踊りが生まれるのはどんなときか。その問いを持つことと自分なりの解釈があるかどうか。

・振りに意味ある、ない問題
振付に具体的な意味や記号として意味がある場合、それが説明的(ジェスチャー)になってしまうか観客への語りかけになるのかの境目を判断できること。振付に具体的な意味、記号的な意味がない場合にそこになにがしかの質が乗っていること。感覚的ということ、例えばプリミティブに快、不快のような質が乗るかどうか。

・わかる、わからない問題

作品がなにをあらわしているのか観客が「わかる」ということに重きを置きすぎると説明的な作品になる。詰まるところ踊るよりも言葉で説明してくれた方がいいということがある。そうではない演出、振付の工夫とはどういうものか。一方、わからないから知りたい、わからなくてももっと観たいということがある。人を惹きつける「わからない」、「謎」をどう作るのか。観客との駆け引きがどうやったら起こるのか。観客の想像力を信頼する、ということはどういうことか。

・作品の欲望を捉えているか
作品は作家がこうしたいと初めに考えた通りにはならない。作品を創っていると作品からの要求、作品の欲望が顔を出すことがある。それを見逃さないこと。作品の欲望している力を味方につけること。村上春樹はそれを家に例えている。概略「一軒の家があり、私たちが日常生活を送っているのは一階である。この家には地下室があり、地下室は真っ暗で何が置いてあって、どんな間取りで、何が住んでいるかわからない危険な場所である。作品を創作するとは、どんなところかわからない真っ暗で危険な地下室に明かりを持たずに降りていき、そこにある「何か」を手にして無事に戻ってくることである。」

「テクニックがある/ない」、「意味がある/ない」、「わかる/わからない」、どのトピックもどちらだからいいではなくそのものがポジティブに出るのかネガティブに出るのかが問われています。最終的には分析しきれない魅力が踊りにはあるとは思いますが、分析しきれない魅力を知るために便宜的に分析してみることは必要だと思います。お勉強としての分析ではなく、作品を切り刻むための分析でもなく、より踊りを知り、楽しむための分析を。魅力的な創り手は、魅力的な観手でもあるかもしれません。

「ダンスがみたい!」、誰がそんなことを言っているのか、いわずもがな運営側だけではなく、観客たちの言葉として、あるいは創り手の言葉として、踊り手の言葉として「ダンスがみたい!」は発せられていると思います。「ダンスがみたい!」の第一回は、山田うんさんや大橋可也さん、鶴山欣也さん、神蔵香芳さんなどたくさんの先達が参加されていました。記憶が正しければこの企画はアーティスト主導で始まったと聞いています。創り手は「誰がなんと言おうとこれは紛れもなくダンスだ!」というダンスを創り、観客は「誰がなんと言おうと、これは私が出会うべくして出会ったダンスだ!」という作品に巡り合うべく劇場に行く、そういった創り手と観客との幸せな交わりが「ダンスがみたい!」には二十年ものあいだ脈々と流れ続けていると思います。今回、その熱量ある場に立ち会えてうれしかったです。皆さんお疲れ様でした!!

岩渕貞太 (ダンサー・振付家)
玉川大学で演劇を専攻、平行して、日本舞踊と舞踏も学ぶ。ダンサーとして、ニブロール・伊藤キム・山田うん等の作品に参加。 2007年より2015年まで、故・室伏鴻の舞踏公演に出演、今日に及ぶ深い影響を受ける。  
2005年より、「身体の構造」「空間や音楽と身体の相互作用」に着目した作品を創りはじめる。 2010年から、大谷能生や蓮沼執太などの音楽家と共に、身体と音楽の関係性をめぐ共同作業を公演。 2012年、横浜ダンスコレクションEX2012にて、『Hetero』(共同振付:関かおり)が在日フランス大使館賞受賞。  
自身のメソッドとして、舞踏や武術をベースに日本人の身体と感性を生かし、生物学・脳科学等からインスパイアされた表現方法論「網状身体」開発。

back


   



      copylight(c) 2012 d-soko all right reserved



1