新人シリーズ9



写真の撮影者は田中英世さんです。

志賀信夫
 
今回はこれまで出ていないような人たちが集まり、違ったタイプの作品も多い新人シリーズとなった。コンテンポラリーダンスの衰退がほのめかされる時代だが、新しい作品に挑戦する新人たちの情熱と意欲には、感銘を受けた。
 最後のシンポジウムの発言にもあったように、大学系ダンスグループもいくつかあったが、優れたところは、そういった出自に関係なく新たな表現を求めているように思えた。そのなかでもポコペン舞子(ぶす)を推した。個々が立つ力を持ち、それが集団となったときに、バランスよく作品が成立していた。踊りは、やはりソロで1人で立てることが重要だ。ただ、ソロ作品の魅力は、個人そのもの、人自体の魅力である場合も多い。それに対して、グループワークは振付により新しい作品が生まれ、ダンスの新たな動きを作る可能性がある。応援していきたい。
  コンテンポラリーダンスの「何でもあり」がダンスの世界を広げたが、アイデアのみにとどまったり、内容を盛り込みすぎる傾向がある。そのアイデアを支える身体、強いにせよ弱いにせよ、存在感ある身体を獲得してほしい。また、「何でもあり」といいつつ、実はどこかで見たことがあるような、狭い世界からの発想であることも少なくない。作品を形にしたら、いったん削ぎ落し、また広げて削ぎ落すという作業を繰り返すと、よりよい作品になるのではないか。

 ポコペン舞子(ぶす)は特に目に止まった。女性5人によるグループワークだが、ユニゾンの動きを1人が裏切るという構造で、その動きもよく考えられてテンションもある。グループなのにそれぞれが立つ。それが一番際立ったのが最後、観客席に近い位置で5人揃って動かずにじっと観客に対峙する姿。これは感動的だった。ポコペン舞子は1人でも立てるダンサーが集まり、のみならずバラバラでないところが魅力。大学でグループを組み、一度別れてそれぞれ活動して、再び集まった。それがよかったのかもしれない。

  木村愛子は冒頭のホリゾントに懐中電灯を向けるところで期待させた。闇と光にこだわって偏執性も感じさせたが、後半は平板に思えた。シンポジウムの話では、懐中電灯の調子が悪く、パニクったそうだが、それゆえに面白くなった部分もあるように思う。モダンダンスの枠を大きくは出ないが、独特の雰囲気をまとっているので、期待したい。
 KDANCEは、ダンス、踊ることが楽しいということが溢れていて、見ていて楽しいのだが、そこに一つ何か深く入るものが感じられなかった。見ていて、踊るということはどういうことかを考えさせられた。

  富野幸緒は、以前にバレエ団を降り付けた作品で、今回は富野自らも踊る。前半のコント的な部分は物語が明確で十分楽しませ、後半は踊りというパターンだが、テクニックが安定していることに加えて、強いエネルギーが舞台を生き生きと見せた。

  坂田有妃子は冒頭からずっと抑えた動きを追求して、かなり惹き付けた。後半、そこから際立つものが立つとよかったが、何かあると思わせる表現者である。次回作に多いに期待したい。

  Airi Suzukiは、男女が微妙に絡む構造を作り、最後は服を脱ぎ捨てていくという、魅力的な発想の作品だったが、それぞれの身体の力が弱いためか、それが徹底できなかったのは残念だ。本人が舞台に上がるとまた違ったのではと思う。



武藤容子
 「新人シリーズ」ご出演のみなさま、お疲れさまでした。
31組の熱意ある作品に立ち会わせていただき、とても有意義な時間を過ごすことができました。
ありがとうございました。

 全体の印象としては、いずれも力作ぞろいで見応えがありました。
惜しむらくは各作品とも、作者の世界感を様々な方法で伝えようとするあまりか、手法に意識が行き過ぎて身体へのアプローチが少し弱いように感じました。

 身体を置き去りにして表層的な部分ばかりが目立つと、伝える力が弱くなる。
なかなか観ている側に浸透していかない歯痒さを感じ、作者の意図とかけ離れて行くようで、もったいなかったです。

 今回は、カラダありきの観点から印象に残った作品と、受賞作品について述べさせていただきます。

 まず一番にあげるとすれば、「石井則仁」さんの作品です。
身体の晒し方、存在のさせ方、そして動きの質感が魅力的でした。
テクニックが身体に浸透していて違和感がなく、作品の完成度も高かった。
カラダに強さがありますから、観客の想像力を否応なく刺激する、もっと余白を残した大胆な作品も観てみたいと思いました。

 「UIUI」さんの作品は、ダンサーの身体と動きがストレートに作品に結びついていて、理屈抜きで面白かった。
時間の経過と身体が連動して行き、直球勝負の潔さが気持ちよかった。
今後は、変化球の展開も興味深いところです。

 「すこやかクラブ」さんは、洋服を使う演出がいまいち新鮮味には欠けていたものの、はっちゃけ方が小気味よく、動きも素直でとても愉しめました。
さらにぶっ飛びまくった作品をぜひ観たいです。

 新人賞を受賞された「ポコペン舞子」さんは、キャリアもあり、安定感のある作品でした。個々の身体に引き寄せた動きが作られていて面白いのですが、作品に歪み、いびつさがもっとあれば陰影がより強く刻まれ、深みが増すように思います。
壊す方向性への挑戦も期待しています。

 同じく新人賞の「木村愛子」さんは、
今後はいま以上に魅力的なソロの世界を展開されると思いますが、既視感をともなう動きが多いので、テクニックをもっと自分に引き寄せればより説得力が出てくる気がしました。

 オーディエンス賞の「富野幸緒」さんは、多方面でのキャリアを反映した愉しめる作品でした。
後半のダンスシーンは上手いのですが、テクニックの披露と既視感が拭えず凡庸に見えてしまう場面がところどころに。
持ち前の身体能力を生かし、動きに独自性を持つとより見応えがあったと思います。
 全体的に多くの作品が身体を外へ前へと放出させる捉え方に重きをおいているように感じました。
 繰り返しになりますが、既成のテクニックに身体を添わせていくのでなくもっと自分のカラダに引き寄せた方が独自性が強く深まるのでは。
できれば今一度立ち止まり身体の核から生まれ出る動きを見つめ掘り下げてみるのも決して無駄ではないように思います。

 ダンスを通して自分を、ひいては人間を見つめいまの時間の中で呼吸をし存在する。
言葉にすると大げさで意味不明瞭でこっぱずかしいところもありますが~。
生身のカラダを使っての存在のさせ方、在り方の難しさを私個人の反省を踏まえ痛感いたしました。

 新しき人は、作られてきた枠を新たなエネルギーで打ち砕き、いまだ見たこともないダンスを生み出していく可能性に満ちています。
8日間、みなさま一人ひとりのダンスにそんな情熱をひしひしと感じました。
これからのさらなる活躍を期待しています。



花上直人
今みなさんのおどりを見て感じて、
 私がこれから自分のダンスを考えたりおどったりする
 発想の種になるような文章を書いた、


「しゃらら らららら 死体のダンス」
今年の年賀状にはうさぎが乱舞していた、
 シンプルな半円と点ふたつの目と、ちょんちょんの耳とか、できつつあるスカイツリーのてっぺんを食いちぎり、炎をはく怪獣うさぎとか、

 言葉には磁性があり頭にぴたっとくっつくと離れないので書いてしまわなければ、
 死体のダンスという矛盾する不条理な言葉のまわりを飛び跳ねながら、

 死体を人形のように踊らせてしまう落語がある、
 土方巽は「舞踏は突っ立った死体である」と言った、
 ゴーギャンの有名な絵画の題名、
 私達は何処から来たのか、私達は何者か、私達は何処へ行くのか、の「何者か」を考えると
 いまここ生きてある、単なる生きものです、
 肉のからだがある、骨のからだがある、ことばをさがしている頭の身体、神経のからだがある、
 内臓があり器官がある(「器官なき身体」という言葉は「死体のダンス」という言葉とリンクするだろう)
 皮膚の身体、流れめぐる血のからだがある、
 服をまとったからだがあり、今はコタツに入って考えているからだがある、
 60兆の細胞がひとりの私の全体を構成している、
 ねむる細胞、抜け落ちる細胞、反乱する細胞、食われる細胞、排泄される細胞、
 何億何兆もの細胞が日々分裂し生まれたり死んでいったり、
 裏切ったり脱走したり同盟したり戦争したり、出たり入ったり、
 そうして衰弱体としてのからだがある、
 形相のしんたいがある、
 意識の無意識のからだがある、
 分裂した沢山のわたしがいる、
 なんだ、どうした、どうしたんだ、
 秩序の崩壊の錯乱の身体の肉体の反乱の、点、点、天、転、展、
 見る身体、見られる身体、他者から世界から、
 時空の回り、舞台にいっとき光があらち、そこは世界劇場、
 現に存在している現存在としての人間、世界内存在としての有時制としての了解の、てんてん、
 転移するんだ、心臓が止まり、脳が、肉が腐り、身体が分裂し分解する、
 しゃらら ららららの死体のダンスを踊りながら、
 とけるうぅぅぅぅう~土に火に風に泡の宇宙の回転体、



高橋森彦
■今回の出場は8日間で32組。応募はそれをはるかに上回るものと聞いている。文化庁芸術団体人材育成支援事業、EU・ジャパンフェスト日本委員会の助成を受けており、例年以上にパブリックで重要なコンペティションであったといえるだろう。そのため、今回、審査員を拝命し、重大な責任感を覚えて審査にあたらせていただいた。
■全作品を観終わっての率直な感想を述べると、ソロ、デュオ、グループ作品と多岐にわたって意欲溢れるが、総じて印象が薄い。時間をかけて作品を創り、発表するという熱意は疑いないのだが、結局のところ「なぜ踊るのか」「なぜ創るのか」の核が見えないものが多い。習熟した演出・振付で構成された、まとまりのよい作品は散見されたが、技術重視で魂の感じられないダンスはつまらない。いっぽう、「からだの内面から滲み出るもの」「身体が立っている」などと評される、身体の強度の重要性を私も認めるにやぶさかではないが、それをいいことに身体の顕れのみに依拠している弛緩したダンスならば、自己満足に過ぎない。外部の視線に耐ええない閉じた身体であるからだ。だれに向けて何をどう発信したいのか、という視座が根底に無いと、技術の陳列に終始するか、ナマのままの身体を何の緊張感もなく不様に観客の前で晒すことになる。30分間のなかで何がしたいのか意味不明な、空虚な時間が流れることになる。観客に対して極めて不誠実なのではないか。
■審査にあたって私が重視したのは、前述の内容と重なるが、まず「インパクト」。派手だとか刺激的という面だけでなく、いかに観客に強く深くアピールする訴求力があるか、ということ。何を表現するかというのではなくどう表現するか、をいかに高いプレゼンテーションで行っているかという点だ。そして、「パーソナリティ」。創り手のカラーがないと、観ていてつまらない。だって、その人が踊ったり、創ったりする意味がないのだから。そして「新しさ」。“新人”を標榜する訳だから何かしらの新しさを持って出てきてほしいと望むのは間違いだろうか。作品スタイルでも、ダンスでも、感性でも、アイデアでもいい。何かしらの新しい息吹を感じたものに心惹かれるし、積極的に評価したい。
■審査の第一段階では、上記の点すべてに当てはまるものとして富野幸緒『TIARA THE BEAUTY~眠らない、美女』を推した。続いて具体的に審議に入ってからは、木村愛子『温かい水を抱くII’』をプッシュした。坂田有紀子『トメル』にも注目。この3作ならば受賞に異存なしと高得点を付けた。石井則仁『墨と雪』、ポコペン舞子『もう少し待っててください』も完成度では一頭地を抜いており、議論対象になると認識して審査に臨んだ。
■富野作品は、OL(スチュワーデスのようだ)3人が演歌や歌謡曲を歌ったり、ピストルをぶっ放したりといったコミカルなタッチの前半からクールでカッコいいダンスの幕切れになだれ込む大胆な構成が目を惹いた。破天荒な展開、不意打ちの連続でありながら最後に身体=ダンスを観た!という興奮もたっぷり味あわせてくれる。「ヨッ富野節!」とでも呼びたくなるような語りの見事さと、彼女のパーソナリティ滲む快作だ。新人賞は逸したがオーディエンス賞を獲得した。客席の反応の良さも際だっており当然の受賞だと思う。欧州のコンテンポラリー・ダンスの前線で活躍してきた富野だが、クリシェや確かなものは捨てて、自分の創りたいものを作り、かつ観客へのアピールを忘れない姿勢は頼もしい。大胆な富野節をもってして、今後もどんどん自由に破天荒に、カッコよく暴れてほしい。
■木村作品は、派手さはないが、良質なダンスと緻密な空間構成が相まって不思議な魅力を醸した作品として心に残った。暗闇のなか、懐中電灯を手に踊る。静謐なトーンにみたされたなか玄妙に身体をコントロールして舞台空間になじませていく。身体と空間というものを強く意識して踊り、巧みにダンスの質感を変化させていく手際はなかなかのものだ。品よく力量ある踊り手であるし、繊細な感性が光る。電灯がつかなくなるというアクシデントもあったらしいが、そこをはねのけて踊りきった舞台さばきの凄さにも驚かされた。プレゼンテーション能力も低くないと思う。構成や作舞やアイデアが決して新しいというわけではないが、若いということ自体可能性に溢れ、武器であるし、「新しい」。未知数な部分もまだまだ少なくないが、伸びが期待できるという意味では新人賞に相応しい。ジャッジではなくスカウトの気持ちで選んだ面もあるので心して研鑽に励んでほしいと思う。
■坂田作品は、冒頭、3人の女子が寝転がって両足を上げてみせる足のダンスから目を奪われた。一つひとつの振付にアイデアと説得力があり、2人と1人のさまざまな組み方で3人の多様な関係性を表わした中盤の展開もスリリングだった。間違いなくセンスはある。終盤が無難にまとまった感があったのは惜しまれたが、次作を楽しみに待ちたい。
■石井作品は、石井と奥野美和という、若いがキャリア豊富な踊り手のデュオ。完成度だけでいえばこの作品が一番だったかもしれない。男女の織りなす機微をよく練られた振付と手応えのあるダンスで綴る腕前は見事といっていい。ただ、私見では、そこに図式的というか、分かりやすいものというか、妙な演出が加わって臭さを感じてしまった。観客の想像の入る余地すなわち謎がないと、演者と観客との対話は成立しない。その点が不満だった。強く推す審査員もいたが、いま一歩で受賞に至らなかった。捲土重来を望みたい。
■ポコペン舞子作品は、5人のグループ作品。こちらも完成度だけは高かった。メンバーは、大学ダンス時代からグループで活動しつつ、外部で気鋭振付家の作品に出演して活躍している。技量、それに皆で知恵を出し合っての構成・作舞も文句ない。が、これこそまさに優等生的というか、ある意味職人芸的なスキルを活かして手堅くまとめた感も拭えなかった。ただ、今回、大学ダンス出身者のグループは他にもあったが、そのなかで技量のみならず各々の個性というものが多少なりとも感じられたのは事実。さわやかでせつない青春群像は胸に迫るものがあった。受賞に異存なく気持ちよく同意した。昨年末6年のブランク経て再開したばかりという。受賞を機にさらに飛躍してほしいと願っている。
■上記以外で気になったものや審査の際話題になったものについて私見を。UIUI『なんなの、それ』は、曽我類子と吉澤由衣の女性デュオ。元気にはつらつと踊ってポップな感覚を生んでいて好感を持った。荒悠平『一人より二人』は30分持たせられなかったがアイデアに光るものが。COLONCH『点と点の結びかた』は女性5人のグループ作品。大学ダンス出身らしく作舞やダンサーのスキルとセンスが高いことは理解できた。もっしゅ(岩佐妃真)『13階のジョニー【12inchi版】』はDJをしている彼女の個性が横溢した楽しいショーとして、これはこれで「あり」と感じた。サンカン『素粒子』は、歌・美術・ダンスのコラボレーションで意欲的だが、歌・美術にダンスが埋没した感。土足遠『泣かぬ気付かぬ忘れられぬ。』は、ダンスシアター風作品でまとまりいいが、振付・出演:佐々木由美の、自身師事する川野眞子への臆面のないオマージュにやや戸惑った。浅見裕子『今月今宵の此の月は』はよく動ける踊り手だが、動かないことの意味を見出したい。内田しげ美『空気感』は、独特な動きの面白さで目を惹いた。頼唯珊『scenery en route』、Cie. Airi Suzuki『HUMAN STORY』は、それぞれクオリティは高いが、ダンス・スタイルに既視感がある。また、「新人シリーズ」のフィールドで評価するものではないとも感じて、推せなかった。
■最終日のシンポジウム後の、受賞者によるコメントはいずれも真摯で胸を打つものだった。ダンス抜きには生きられない人たちなのだな、と切に感じる。受賞を逸した方々も含め、出場者全員が後悔のないダンス人生を歩まれていくことを、心から祈っている。



ヒグマ春夫
 『「ダンスがみたい-新人シリーズ9」を見ていて・・・』

 審査する側にいると多くのなかから一組だけを選ばなくてはならない。どんな方法で選んだらいいのだろうかと悩む。一日に四組の公演がある。日々10点
満点で採点し最終日に一組を選んだらという提案が審査員の一人からあった。ところが日によっては甲乙付けがたい組も多々ある。体を使って表現するとはど
んなことだろうと考えさせられる。体を使ってとは、訓練した体それ自体のこともあるだろうが、モノとの関わりから生まれる身体のこともある。ましてや精
神と身体という捉え方もある。わたしは美術・映像を専門としていることからインスタレーションというキワードで捉えて見ようと思った。いってみれば空間
構成の一つのモチーフとして身体を捉えようとしたのだった。舞台を立体的なキャンバスだとみたて、駒としての身体の資質を重要なポイントとし、どのよう
な手法で空間を深めていくかを見ていた。勿論、バトンに取付けてある照明。スピーカやコード。瞬時に変容し消えていく音。こういった周辺のモチーフも、
空間を構成する重要な役割をしているのはいうまでもない。そう捉えてみると面白く楽しませてくれる作品はたくさんあったが、空間構成の要素としての身体
表現体は限られていた。また身体それ自体をインスタレーションとして捉えて見ると、手の伸びた先は何を目指しているのかとか、その足はどこを向いている
のかとか、視線は、四肢のバランス感はということが気になっていった。そこには訓練している身体とそうでない身体があった。だからといって訓練している
身体が優れているという捉え方はしていない。あくまでも空間の中でのバランス感覚に注視した。訓練した身体は移動する中心にリズムがあった。際立った訓
練をしているとは思えない体でも周辺のモチーフと深い関係をつくりあげている作品は面白いと感じた。こういった視点で、9組の作品を選んだ。その中から
木村愛子の「温かい水を抱く2」を推薦した。とにかく表現の幅が広い公演だった。


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