ルーツなき世界に新たなルーツを作るということ
藤原央登
劇評家

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ルーツ』
2016年12月17日(土) ~ 2016年12月26日(月) 会場 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

  久しぶりに松井周の作品を観劇した。松井周の劇世界といえば、サンプル『自慢の息子』(2010年初演/アトリエヘリコプター)や『女王の器』(2012年/川崎市アートセンター アルテリオ小劇場)で典型的に見られるような、変質狂的なエロティシズムをまぶしつつ、自他が互いに侵食し合って境界が相互嵌入するものである。それでも私はこれらの作品に、結局は狭い共同体に閉じこもる人々しか見受けられず不満を感じていた。その点で言えば、本作はその隘路から脱しようとする意志をひとつの方向性と共に感じさせた。私は初めて松井の作品に感心したのである。

  かつて鉱山の落盤事故で数多くの死者が出た村。土がウランで汚染されたという台詞が出て来ることから、福島第一原発事故に象徴される問題が投影されているのだろう。それ以来、過疎化が進んだこの村には、たびたび資本が開発をもちかけてきた。だが、そのための再調査で深刻な土壌汚染が発見されては開発は中止に。今年になってみれば、このことは築地市場の豊洲移転問題をも想起させられる。移転予定地の豊洲市場の地下に、汚染物質を防ぐための盛り土がなく空洞になっていた。そして、そこに溜まった地下水から有害物質が検出された。そのため、昨年の11月の移転が延期となった。施設の整備はすでに完了しているため、水産仲卸業者はその維持経費の負担を強いられている。行政に振り回される築地市場の業者のように、村にはこれまでにも外部から興味本位で多くの人間が訪れてきた。それにうんざりした村人は閉鎖的になり、ひっそりと共同生活を営むことを決めた。地図からも村の場所を消し、対外的には存在しないことになっているのだ。

  そこへ、研究所に勤務する古細菌学者・小野寺道雄(金子岳憲)がやってくる。目的は、閉山したこの村の炭鉱の調査。生物は、細胞核を持つ人間や植物のような多細胞生物と、核がないアメーバのような単細胞生物とに二分される。しかし、ここの炭鉱の鉱物から採取される細菌は、第三の可能性があるという。それは、多細胞生物と単細胞生物両方の側面を持った生物なのだという。それはおそらくノーベル賞級の発見になるだろう。そう感じた男は、この村に研究所を建設して生物の研究を進めることを希望する。その発見はひいては村を大きくアピールすることにもなる。これまで開発される対象として受身的だった村が、今度は積極的に自らの村の強みを外部に宣伝できるのだ。小野寺はそういった理由で、村人を説得する事に奔走する。閉鎖的な共同体にやってきた異物である男の登場によって、村とそこに住む人々にどのような変化をもたらすか。それがこの物語の核である。

  第三の道を示す古細菌の発見は、生物の概念や捉え方についての常識を覆すかもしれない。そのような想いによる小野寺の行動は、タイトルにもある「ルーツ」を巡る謎へと我々を誘う。とある物や歴史が、どのような経緯で現在、ここにそのように存在しているのか。それはルーツ、すなわち始原や起源、由来を探ることである。普通は、現在から過去に遡って順々に辿っていけば<そこ>に突き当たると考えがちだ。しかし、辿った末にたとえ何かがあったとしても、それは恣意的に捏造されいつしか「源流とされた」ものにすぎないのではないか。例えば、宗教に単を発する建国神話といったものである。本作には、そのような起源を巡る思索への批評性がある。

  件の村には、外部の者には理解できない不思議な因習がある。村の女を実力者の男が孕ませ、生まれた子どもを「神ちゃま」として村の守り神にするというものだ。その子供は神聖な領域に入ったものだから、村人からは見えない。というか見えないことになっている。そのように村人たちは決めたのだ。落盤事故という大きな不幸で死んだ村人を忘れずに記憶し、折に触れて思い出して死者を悼む事。そのこと自体は重要だ。死者からの目線を通して現在の生き方を問うことは、現に生きている者や未来の子孫が同じ轍を踏まないために必要なことである。それが事件・事故によって亡くなった者へのせめてもの供養になるのであり、


©清水俊洋

人類がより良く生きてゆくための知恵でもある。ただし悼みの感情を、村人たち全員が等しく同じレベルで思い続け共有しなければならない。そのように考えた村人たちは、神ちゃまという想いを託す象徴を生み出した。だがそれだけでは終わらない。人の気持ちは形となって表れるものではない。だから、信仰の対象としての偶像があってはならないのである。そのようなわけで、神ちゃまは見えないことになったのである。神ちゃまは折に触れて村人各人の心に強く事故と死者の記憶を訴えかける、まことに自分たちに都合の良い装置となった。神ちゃまを介して村人たちは結束を強くする。そしてそのような効果をもたらす神ちゃまを、村人は「感じる」ことで忘れず見守っている。こうして、村は安定した共同体を維持してきたのである。

  そのような安定した関係をもたらす神ちゃまは、男女の濃密な肉体関係の結果、産まれてきたものだ。異物者として、当初はあからさまに訝しがられてきた小野寺だが、マーケットの店番や農作業の手伝いなどを通して、しだいに村人に受け入れられてゆく。そして共同体に馴染んでゆく過程で、小野寺は安藤志乃(内田純子)に肉体関係を迫られ、自身の娘・百合子(成田亜佑美)との結婚を勧められる。この村では、強固な共同体を形成するために、言葉ではなく肉体的なつながり、すなわち実際的な行為が重視される。女性たちは神ちゃまを産む大切な身体であり、村の有力な男によっていわば「共有」されている。そのようにして、男女ともに肉体的に直截的なつながりを持ち、共同体に奉仕することを強いられているのだ。村の異常性に気付いた小野寺が逃亡しないように、重い足枷を付けられる。そんな彼に志乃が迫るシーンは、まさに松井周ならではの性が絡む異様な世界が前傾化した瞬間である。そして、何だかなまなましい。

  そんな異様な習慣が原因となって、劇後半に事件が起こる。村の実力者に孕まされた水野裕美(北川麗)の赤子が行方をくらますのだ。先述したように、崇められた神ちゃまは村人からは見えないことになっているだけだ。青年となって神ちゃまの資格がなくなった呉快人(日高啓介)に変わって、村は水野の赤子を新たな神ちゃまにしようとしていたのだ。小野寺は異様な因習を壊すために、村から家出をしようとする立花真希(長谷川洋子)に子供を託す。村には第三の起源を示す古細菌が眠っているかもしれない。それを研究する小野寺にとっては、若い真希に子供を託して村から脱出させることが、人間の別の生き方につながる希望に感じられたのだ。そのことは、カッパと熊の神から人間の神が生まれるという、神ちゃま信仰の起源となる村の言い伝えの否定となる。劇中、カッパ祭りなる、福男選びに似た神事で小野寺は一等賞になり、その年のカッパ男となる。小野寺に好意を寄せる百合子は、その言い伝えになぞらえて熊女になるべく、劇のラスト近くで熊のぬいぐるみを着て登場する。小野寺が村を出る真希に子どもを渡すことと、本当の熊に間違われて百合子が撃たれて死ぬことが対比的に描かれる。まさに死とともに因習がもろくも崩れ去り、真希と子供が共同体を出て、恋人の原田智明(中山求一郎)と新しい生を歩み始めるのだから。そして、これまで神ちゃまとして扱われていた快人は、「オレを見てくれ!」と舞台上空から叫んで幕となる。

  天皇制が近代国家と国民国家を形成するための擬制的で人工的なシステムであることは、様々な識者から指摘されている。万世一系の日本民族という伝統の基、国民は天皇の臣民として仕え働くことになった。均整の取れた軍隊システムを導入して国民を一律に管理し使役させ、国全体で富国強兵にまい進したのである。しかしそれは、古来より続く伝統的民族としての日本人という概念を、明治政府が明確に規定し利用した結果にすぎない。天皇の臣民として国民があるいう国民国家におけるヒエラルキーは、その縮図としての官僚制や家父長制となって広く定着し、日本の統治システムとなったのである。同様に、カッパと熊の神から人間の神が生まれるという村の因習も、外部から共同体を守り結束を高めるために作られたものでしかない。神ちゃまは神聖なものとはいえ、村人からは見えないものとされてパージされるし、それを産むために女性は犠牲となっている。ここには、自分たちの都合の良い理由を作り出し、そのために犠牲者を生んでしまう排他的な共同体の副作用が表れている。死者をいつまでも悼むためとうい理由付けはされているが、結局は落盤事故という痛ましい出来事に目をつむり、もしかしたらあったかもしれない自分たちの責任を回避するために、神ちゃまが生み出されただけなのかもしれない。だとしたら快人の叫びは、見えないことにされ隠蔽された事故をちゃんと直視しろという、死者からの悲痛な訴えに他ならない。人はその正視に堪えられないからこそ、因習や伝説という物語を形成し保身を図る。村の外部の男である智明と密通していた真希に、父親が誰か分からない子どもを託す小野寺の行為は、まさにその作られたルーツを壊すものだ。そこには、血筋という一見もっともらしいつながりではない、新しい家族や国家のあり方を託す希望が投影されている。

  肝心な問題を都合良く変換、あるいは見えないものとして葬り去り、今あるシステムの維持のために使う。それは豊洲と原発事故だけでなく、沖縄の基地問題や台頭している内向きのナショナリズムなど、現在の世界の広範囲に渡っている。特に、自国のルーツを辿ってアイデンティティを再確認することは、負の歴史を忘却し偽史を作ることにも直結しよう。ある極端なイデオロギーを持つ歴史観は、限られた支持層との閉鎖的な共同体を作ることにしかならない。

  本作は、意識・無意識的に蓋をし、見えないものとされていた物事があることを、独自の因習の秘密が暴露される過程において明らかにする。それらは共同体の結束を固めるために都合良く持ち出され疑いなく伝承された時、自然にそうなったように定着する。このような構造は社会的な問題だけではなく、国家を成り立たせる基盤そのものに孕まれている。そのような根本的な起源への疑いの目差しがあるため、本作は寓話としての広い間口の広さを持った作品に仕上がっている。

  またそれだけでなく、新たなルーツを神話しようとする、創世神話劇にもなっている。本当はルーツなどないはずなのに、捏造された歴史観に依拠してアイデンティティを保ち、それに捉われて自他を区別することから、紛争や人種差別といった様々な問題が混迷を深める原因となっている。まったくの他人で構成された家族が閉鎖的な村から出ることは、旧来のルーツに捉われない、第三の生き方を示唆する。難民問題なども、自国民意識を支える思考を堅持している限り、排他的になるだけで解決は難しい。まったく新しいルーツを作ることは、新たな建国神話の捏造でしかないかもしれない。だが、現在信じられているものが絶対的なものであると言い切れないのだから、より多くの存在を包摂しより良い人の生き方や国を作ろうとすることは、否定できないはずだ。

  演出と美術を担当したの杉原邦生によれば、本作のインスピレーションは2003公開のニコールキッドマン主演の映画『ドッグヴィル』にあったという(ステージナタリーの杉原邦生と松井周の対談 http://natalie.mu/stage/pp/roots)。言い訳がましい理由をつけては自己正当化する村人たちと、慈悲と寛容、信頼の精神でどんなに辛い目に遭っても絶えるグレース(ニコールキッドマン)。村人からグレースへの陰湿な暴力が反転し、グレース側からの正義の行使として、凄惨な村人の皆殺しへと至るラスト。人間の倫理や道徳の基準の正しさはどこにあるのか。その不確かさを抉り出す映画である。人間の内面の奥深くへと迫って善悪の決め難さを描いた『ドッグヴィル』を、松井は世界を成り立たせてきた根拠の真偽にまで踏み込んで展開した。その結果、世界の恣意性と新たな建国神話というひとつの答えに辿り付いた。様々な境界が溶解する劇作を踏まえつつも、松井は小さな共同体に閉じこもることなく外部を志向したのだ。そこが大いに感心した点である。

  『ドッグヴィル』は床に場所や説明を記し、最小限の美術だけで村の全体を描いた、極めて演劇的な見せ方で創られている。同じく杉原の舞台美術も、黒を基調にした空間に金属の骨組みを組み、各所にスーパーや住居を配した。様々な場所を橋渡しする金属の通路を行き来することで、村の中での移動がうまく表現されていた。まるで、蟻の巣穴の断面を見るかのようだ。そして、内田純子や銀粉長といったクセモノの俳優が演じる村人が、奇妙な劇空間を作る。そんな村に飛び込んだ、小野寺を演じた金子岳憲が劇の真実味を担保する。ハイバイに所属していた頃から非常に上手い役者として認識していたが、今回も、村人の言動に戸惑う芝居に見られるように、相手役を受けるリアクションの演技はさすがであった。村の異常性を際立たせるとともに、それと対峙する男の変化が身体のそれとしてうまく表出されていた。

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世界とステージのつながり
宮川麻理子
ダンス研究者

ティツィアナ・ロンゴ ソロ舞踏『MUT』
2017年2月14日(火) 会場 シアターX



  舞台の批評を書く際にその最も大きな動機となるのは、パフォーマンスがもたらすある種の「書かせる衝動」である。それは、非常に感動的なものであったり、ショックを与えるものであったり、問題含みのものであったりするが、いずれにせよ何かしら、こちらがリアクションとして言葉を紡ぎ出すという行為をせざるを得ないような、そんな衝動である。それを起こさせるパフォーマンスに出会うことは、ごく稀にしかない。
  この連載は不定期での投稿になるかと思われるが、ここではそうした鮮烈なパフォーマンスを、生で体感した一観客である筆者がどのように捉え、何を感じ考えたのか、それを共有する場として機能させていきたいと思っている。
  さて、2月の舞台芸術シーズン(TPAM in Yokohamaという舞台芸術の見本市に合わせて、数多くのパフォーマンスが横浜や東京近郊で開催された)のなかで、最も印象に残っているのがティツィアナ・ロンゴのソロ公演である。はて、聞き慣れない名前かもしれない。彼女はイタリア出身で、ボローニャ大学にあるアーカイヴで大野一雄の映像を見たことがきっかけとなり来日、大野慶人と上杉満代に舞踏を学んだ。その後日本やアジア各地の伝統舞踊などのフィールドワークリサーチも行い、2010年からは近藤基弥とともにMotimaru Dance Companyとしてベルリンを拠点に活動している。そんな彼女の舞踏ソロ公演『MUT』は、2月14日にシアターXで上演された。

  シアターXの客席に入ると、まず舞台美術に圧倒される。新聞紙をつなげて作られた巨大な幕が、舞台奥から上手下手の袖、客席部分の天井に至るまで覆っている。ところどころ引っ張ったり弛ませたりすることで陰影がつけられ、まるで巨大な新聞紙の洞窟の中にいるような心持ちにさせられる。鐘の音のような低い音が鳴り響き、暗転して開幕となる。うっすらとした明かりの中、テレビの音声とおぼしきノイズが聞こえてくる。英語、日本語を初めさまざまな言語で語られるニュースは、現在進行形の世界の出来事を物語っており、例えば断片的にトランプ大統領の「メキシコ人は出ていけ」という発言であったり、「原子力」という単語であったりを聞くことができる。そんな中、こうしたニュースを媒介する新聞の塊が舞台上に浮かび上がり、ガサガサと不気味に動き回る。新聞の塊の形態の変化に合わせ、天井に吊られている新聞もうねり、うごめいていく。客席とステージが地続きとなり、現実のニュースと舞台空間がつながる、見事な舞台美術である。新聞の塊は徐々に激しく動き、後ろの壁を覆うように吊られた新聞の幕に突っ込むように走っていき、一体化して止まる。
  ある程度の形を保っていたその新聞が崩れ落ちると、黒いドレスにコートとニカブのように目元だけが開いたベール、大きな黒いバラを模した帽子をかぶり黒い手袋をした黒ずくめの女性が現れる。新聞紙に足を引っかけつつ中央まで前進し、ゆっくりと両手を広げる。そして突如、クッと肘や手首を曲げ、自分の体の中心へと引き寄せる(テクニック的にはこの辺にもう少し、自分の肉のうちへ食い込むような強さや、より意外なリズムがほしい)。その後、天を仰ぐように両手をかかげて走り回り、ジャンプをしつつ、手の届く高さの新聞紙をつかんでみたり、まるでとらわれつつもその空間のなかで精一杯の抵抗を示すように舞台上を移動する。やがて何かに気がついたように客席まで降りてきて、じっと観客を見つめたり、最前列の一人の観客(ティツィアナの師である大野慶人だったのは偶然か)を抱きしめたり、あるいは別の客の目をじっと見据えてから舞台上に戻る。体が完全に覆われたこのシーンでは、イタリア人としての彼女のアイデンティティは当然退き、むしろ観客のイメージの中にはイスラム教の女性が浮かび上がってきたのではないか。ここでティツィアナが体現していたのは、無言で私たちに何かを訴えかける女性であり、それはある種の畏怖をも同時に感じさせ、非言語的な手段による人間同士の交流を生じさせるような、そんな力強さを秘めていた。

  そうしてゆっくりと舞台上に戻り、下手に作られた新聞紙の山へとくずおれる。その体勢から差し出された腕には、今度は赤い手袋がはめられていた。その手が背中を抱きかかえ、黒い衣裳との鮮烈なコントラストが浮かぶ。この赤は途中から、服の内側から引っ張り出される、血のような赤い毛糸に引き継がれる。やがてコートを脱ぎオレンジ色のワンピースを着た女性となって現れ、帽子を頭からそっと外し、一度抱き寄せたかと思うと、突如床へと落とす。そして走り回ったり、天井まで続く新聞をくしゃくしゃと動かしていく。まるで彼女の動きに呼応するように動く天井は、胎動のようでもあり、なんだか胸騒ぎを起こさせる。ヒールの高いミュールでガニ股になったり後ろに反り返ったりといった動きは、先ほどの禁欲的な衣裳から解放された女性の衝動だろうか。
  だがここで終わりかと思ったこの変身には、まだ先があった。ワンピースを脱ぎ出すと、膝辺りから胸元まで黒い毛で覆われた皮膚が露出される。わざとファッションショーのようにポージングしつつ前進したかと思うと、観客を威嚇するように「ハーッ」とうなり口を開く。ドレスの下から女性の裸体が現れるという期待は、この異様なケモノによって裏切られるのだ。片足だけにミュールを引っ掛け、コントロールが利かなくなったように体を硬直させて、ロボットのような動きを見せる。日常想定しうる動きから逸脱していく身体をここで見せるのは、やはり舞踏の影響であろう。やがて加速していた動きが崩れていき、下手の新聞の山の上に背中を持たせかける。長い長い間を取った後、ティツィアナは自分の体にくっついている毛をペリペリとはがしていき、白い肌が徐々に浮かび上がる。やがて素肌になり、まるで妊婦のように腹をさわる。そして笑っているかのような、泣いているかのような顔をしつつ、体の周囲の新聞を叩き付けるが、その動きは徐々に激しくなっていく。髪を振り乱し上半身をエネルギッシュに前後させて、たまった怒りを解き放つような動きが続き、ジャンプして地面から体が離れる。やがてエネルギーを放出しきったようにしゃがみ込み、暗転していく中で「私の/子供/待っている」というような囁きが聞こえて幕となる。
  カーテンコールで再登場したティツィアナは手に箱を抱えており、観客のひとりひとりにバレンタインのプレゼントとして小さな包みが配られた。包装に使われていたのは新聞紙、そこには「あなたを最も傷つけた人より」と書かれたメモが挟まれ、上演のなかで登場したのと同じような赤い毛糸で結ばれていた。



  舞台を見終わった直後に抱いた感想は、彼女が提示した世界感に圧倒されつつも、なんだか腑に落ちない心持ちであった。その一因は、最後の台詞にある。これは蛇足だと思った。その台詞がなくとも、途中の女性性が強調される演出や、裸体で横たわりお腹を触るような動作で、女性=母という属性は十分に浮かび上がってきたからだ。むしろこの最後の演出は、女性=子を産む性へとあまりにも短絡的に集約してしまい、新聞→ニカブ→ワンピース→ケモノと時間を追った変容が表象した女性の持つ多面性を、そいでしまったようにも思われた。ああ、結局女性は「産む性」へと還元され称賛されるのか、と正直なところがっかりしたのだ。

  だがこうして書きながら公演を振り返っていくと、そもそもこの劇場空間全体が、新聞で囲われた子宮のような空間になっていたことを思い出した。ニュースのあふれるその空間の中は、まさに今私たちの世界で起こっているような出来事が、日々繰り返される場である。幸福も、戦争も、差別も貧困も、あらゆるものがここには詰まっている。新聞が象徴しているように、人間が生み出すものは実に多種多様で、人間同士の関係が生み出す温かい瞬間もあれば、暴力もあるのだ。女性=子を産む性であるならば、このような世界を作り出すのも女性から生み出された人間なのである。それは単に命の誕生を祝福するだけでなく、また命を生み出す女性を称賛するだけでなく、この世界を丸ごと引き受ける覚悟を突きつける。暴力の瞬間もまた、私たちから生まれたのだ。ひとりひとりが、このような現実、ニュースのあふれる世界に向き合わなければならないのであろう。ティツィアナの最後の台詞は、昏迷の時代に取り残された私たちを表象しているのではないだろうか。

  それは捉え方によっては絶望的だ。だが最後に配られた包みを開けると、「美しい人よ ゆるして下さい」と書かれたメッセージとともに、赤い小さなハートが現れた。ハートが戻ってくるようにという意味だろうか、かわいらしい家を模した新聞の切り紙のなかに赤いハートがおかれていた。「ゆるし」。それは簡単なことではないだろう。だがこうした状況にあっても、心をなくさないように、そうしてなお、この世界に立ち続けなければならない。

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皇室と王家を想う  
藤原央登 劇評家

劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』 
2016年10月27日(木) ~ 11月6日(日) 会場 シアタートラム

温泉ドラゴン『或る王女の物語~徳恵翁主~』
2016年11月2日(水) ~ 6日(日) 会場 SPACE雑遊

    空気のような存在


昨年2016年を振り返るにあたって、トピックのひとつとなるのが今上天皇の譲位を巡る問題である。発端は8月8日の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と題されたビデオメッセージ。即位後28年を振り返り、国政の権利を有せず国民統合の象徴としてある、日本国憲法下における天皇像を不断に模索し実行してきたと総括なされた。それと共に、高齢化に伴ってその任が十分に果たせなくなる時がやってくることへの危惧を表明なされた。そのことが国民と共に歩む皇室の伝統を維持し、未来へと引き継ぐにあたって障害となることへの懸念をお示しになり、言下に譲位を滲ませる御意向を表明するものであった。

天皇のお気持ちを受け、政府は対応を検討。11月から首相の私的諮問機関「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設け、有識者16人からのヒアリングなどを実施した。今年1月23日に有識者会議は、計9回の会議をまとめた中間報告を論点整理として公表。これを踏まえて、政府は一代限りの譲位を可能とする特例法を今国会に提出する予定である。一部の新聞では、平成31年1月1日に皇太子が天皇に即位し新元号を発表する見込みとの報道もなされた。

ビデオメッセージによって我々は改めて、東日本大震災の被災地をお見舞いされたり、沖縄・硫黄島・サイパン・パラオといった太平洋戦争の戦地を訪れて戦没者を慰霊された天皇皇后両陛下の姿を思い浮かべる。そのように過去の歴史を重く受け止め、時に国民と直に接し寄り添いながら、天皇は日本の行く末の安寧を願ってこられた。天皇の負担軽減は、皇室制度改革の形で何度もその必要性が議論されてきた。しかしその都度、頓挫して抜本的な解決がされなかった。今回、天皇からの直接のメッセージというイレギュラーな方法によって、ついに国民は皇室制度の問題のひとつに現実的に直面させられたのである。それは、天皇とは何かについて、今一度目を向けさせる契機ともなったはずだ。

年長世代を中心になおも天皇の戦争責任を問い、天皇制の廃止を主張していることを承知してはいるが、もの心ついたときより平成の世しか知らない私にとっては、天皇とは良いか悪いかを度外視した位相で存在していた。それは別段、神格化された特別なものではなく、空気のように自然にこの国にあるというくらいの意味である。だから天皇についてあれやこれやと思索を巡らすこともなかったし、家庭や学校生活でも話題に上った記憶はほとんどない。そのことは裏返して言えば、敗戦で危機的状況を迎えた天皇制を、うまく戦後に定着させた証左とも言えなくもない。天皇を空気のように思っていた国民が、何かの節目で初めてと言って良いくらいの感覚で天皇について考えた経験は、どうやら近過去にもあった。

それは80年代の終わりに昭和天皇が病で倒れた際である。全国で行われたお見舞い記帳に数多くの10代の少女が訪れたことに着目し、彼女たちは天皇に無垢で傷つきやすい弱さを重ねていると分析し、「かわいい天皇」と評したのは評論家の大塚英志であった(『少女たちの「かわいい」天皇―サブカルチャー天皇論』)。昭和天皇は戦前、現人神の国家元首として第二次大戦には否定的でありながらも、軍部に押し切られて大戦の諮勅を発したとも言われている。人間宣言後の戦後は、日本各地を巡幸して国民を見舞い、その後の経済発展と平和主義の象徴となった。日本史においてもかつてないくらい激動の時代と共にあった昭和天皇は、聖と俗、幅の広い天皇像を一身に引き受けた。戦争責任の問題については、GHQが天皇の責任を反故にすることで、占領政策を効率良く行ったと言われている。結果、昭和天皇は東京裁判でも裁かれることなく、戦後の経済発展と平和主義の時代においても自らがそのことについて言及することは少なかった。戦後史における最も重要な要素である、天皇の戦争責任が曖昧にされ、そして当の昭和天皇が亡くなったことで、今日においても天皇に戦争責任があるのかないのかを巡って、当事者を欠いた議論がなされている。この問題に決着が着くことは恐らくないだろう。そしていつの間にか、戦後の天皇像として国民に強く残ったのは、平和を愛する奥ゆかしい老人の姿になった。かつての女子高生が愛したのはこの姿なのであり、その頃から、天皇が空気のような存在としてただ在るようになったのである。それを引き継いだ今上天皇の時代に生きる者にその感が強まるのは当然であろう。しかし、核心的な問題を宙に浮かせたまま、ただ天皇制を未来永劫受け継いでいこうとするこの国の姿勢は、多神教である日本の風土としての中心の不在、あるいはかつて丸山真男が主張したような主体性なき個人による無責任体制としての日本そのものを示すように思われる。先に挙げた著書で大塚は、昭和天皇を「東京の中心に位置する森」の「聖老人」と称していた。森に囲まれた皇居は都市との大きな落差を生む。そこに本当に居るのか。当然居るのだろうが、何だか秘匿されているような感じを抱かせる皇居のイメージからして、天皇は不在ではなく非在といった方が良いような感じがする。まさに空気という言葉がしっくりくる天皇の存在は、我々国民を含めた日本そのものの性質を上手く表した「象徴」である。


    国民と共にある天皇の原点




ここからは、我々国民には良くは見えない、皇室と王家の人物を扱った2つの舞台について触れよう。演劇ならではの想像力によってそれらを描きつつ、今の世の中を見つめようとする興味深い歴史劇である。ひとつは、大正天皇を描いた劇団チョコレートケーキの『治天ノ君』(作=古川健、演出=日澤雄介/2016年10月30日ソワレ、シアタートラムほか)。もうひとつは、李氏朝鮮第26代国王・高宗の娘であり、朝鮮王朝最後の女王である徳恵翁主(トッケオンジュ)を描いた温泉ドラゴン『或る王女の物語~徳恵翁主~』(作・演出=シライケイタ/2016年11月2日ソワレ、SPACE雑遊だ。

『治天ノ君』は2014年、下北沢駅前劇場で初演された。今回の再演では、三軒茶屋にあるシアタートラムという、広い空間での上演となった。劇団チョコレートケーキの代表作のひとつである本作は、大正天皇の生涯に焦点を置きながら、明治と昭和前期までを串刺しにする物語である。明治から昭和までの、父・子・孫の世代を描く皇室の家族劇であると共に、その動きが近代日本の黎明期から激動の時代へのとば口と通体している点で、まさに日本そのものを描いた舞台である。そのことがまた、舞台では描かれないものの、昭和中期以降から現在までをも見据えた視座ももたらす。皇后・貞明皇后節子(松本紀保)と天皇にかつて仕えた侍従武官・四竈孝輔(岡本篤)による、大正天皇の回想という形で、本作は進行する。彼らによって最も印象深く、そして本来の姿として回想される大正天皇は、明るくて国民に親しみのある天皇像を模索し苦心した姿である。そのような大正天皇は、列強に伍するために富国強兵・殖産興業の政策を推し進めた近代日本のまさに元首として、強くて畏怖の念を国民に与えた明治天皇、そして明治天皇が現人神の資質を認め、自身も明治帝を目指し再現しようとする昭和天皇との大きなコントラストを成す。

この舞台を観ながら、やはり天皇の姿は、その時々の時代そのものであることを改めて実感させられた。日清日露戦争の明治、満州事変から泥沼の第二次大戦へと突入した昭和の間に位置する、たった15年間しかなかった大正。大正デモクラシーが起こりモダンな都市生活者が生まれ、束の間の民主主義の時代が生まれた大正という時代は、乗馬を愛した気さくで明るい大正天皇に相応しい。側室を廃してして一夫一妻を採った家庭的な天皇家を目指したのも大正天皇が初めてである。そんな快活で国民目線の人間性であるが故に、大正天皇は明治天皇にたびたび叱責され、天皇としての権威に乏しい「具物」と扱われてしまう。それでも、第一次大戦勃発時、独断で参戦を決定した政治家・大隈重信(佐藤弘幸)や牧野伸顕(吉田テツタ)とは違い、外交による平和的解決を大正天皇は模索した。劇中、大正天皇を「生まれる時代が早すぎた」と評す台詞がある。もし大正天皇の理念が早すぎたのだとすれば、それは直接的な戦争への介入がこれまでなかった平成の世の今上天皇に、その理念は隔世遺伝しているのだと言えよう。

その後、脳膜炎によって言語障害と歩行障害になりながらも、摂政を置こうと動く政治家に対してたどたどしい言葉使いでありながらも語気を荒げて叱責し、断固として断る大正天皇が強く印象に残る。演じた西尾友樹は、『熱狂』で演じたヒトラー役も見事であった。西尾の演技は、役が憑依したかのようにその役柄を生きる。そして役にのめり込んだ果ての感情が頂点に達した際のパワーは、観客をぐいと引き込む魅力がある。自身の身体がどうなろうとも天皇としての務めを果たそうとし、激昂する大正天皇の姿もまたそうであった。そこからはまた、吐血・下血後の病床にあっても稲の出来を心配したとされる昭和天皇、そして摂政を置いて名ばかりの天皇となり、象徴天皇の務めが自身でできなくなることを忌避する今上天皇を想起させられる。しかし大正天皇の願いは叶わず、政治家は後の昭和天皇となる裕仁親王を摂政に置く。天皇制に関して大隈が語った台詞が印象的だ。明治維新では、大名や将軍に代わって政治家や国民が拝跪する対象が必要であった。そこで天皇を担いで、日本国民を統合しようとした。つまり、近代天皇の威信とは、政治利用によって人工的に作られた側面が多分にあるのだ。それに関わった大隈はそのことをわきまえている。しかし、その経緯を知らない後代の政治家が、天皇を神として本気で崇めた時は危険だと述べる。明らかにこれは、第二次大戦時、天皇を傘にして聖戦の名の下に泥沼の戦争に突き進んだ昭和期の政治家を意識した台詞である。

天皇に即位した昭和天皇は劇中、大正天皇崩御から間をおかずに明治60周年を祝う行事を進めるよう側近に指示する。明治の威信を復活させ、昭和がそれを引き継ぐことを国民に示すことが重要だという、側近の助言に従ったものであるのだが、政治家による政治利用は、昭和天皇の即位直後から始まっていた。その極地は、「天皇陛下万歳」の言葉の中、下手奥の玉座から上手手前に敷かれたレッドカーペットを進み出る昭和天皇の姿である。特に初演では、私は歩み出る昭和天皇のすぐ傍の席に座っていた。そのため、その後の激動の昭和が自分に迫ってくるような印象を覚えて戦慄した。この幕切れによってこの舞台が、描かれることのない昭和以降から戦後の日本までをも射程に収めていることが十分に伝わった。見事な幕切れであった。

とはいえ本作は、大正天皇を持ち上げ、明治・昭和天皇を貶める舞台では決してない。明治も昭和の天皇も、日本国家を想い、懸命に天皇の役割を立派に務めようとしていた。明治・昭和天皇も、即位中の時代に起こった戦争を回避するよう、折に触れて内閣に助言していたことは、数々の歴史の資料によって知られていることである。それでも、かつての戦争は起こってしまった。皇居の奥に鎮座して天皇たる威厳を保たなければならなかった明治憲法下の元首としての天皇、そして「国政に関する権能を有しない」日本国憲法下、公的行事に積極的に参加され、国民に寄り添ってきた象徴としての天皇。2つの天皇像は大きく異なっているようだが、その時々で天皇たる役割と存在を常に思考されてきた。そしてその意思を、婉曲的に抑制した言葉として発するしかない制約の中で生きてこられた点で共通している。大隈の台詞にあったように、時々に発せられるお言葉をどのように受け止めるのか。それを曲解し、都合よく政治利用したりすることはないか。それはいつの時代においても、政治家や国民が留意しなければならないことであろう。時代や位置付けは違えども、天皇はその時代を象徴する。もちろん、時代は天皇だけが作るのではない。国民が天皇とどのような時代を切り結ぶかが問われている。そういった意味でも天皇は、いつの時代でも国民と共にあるのだ。

    想像を重ねて王女へと近づく




秘匿され、断片的にしか伝わってこない皇室の事実。自然、我々がそこから何かを読み取る際には、想像力を働かせて推察する他ない。芸術家によるそういったアプローチは、為政者による政治利用とは姿勢が異なる。対象を理解し、より良い関係を切り結ぼうとする意思に基づいているからだ。『治天ノ君』はそのような作品であった。これは天皇だけでなく、例えば他国との係わり合いといった問題にもつながっている。

温泉ドラゴンの『或る女王の物語』は、当日パンフレットに記載されているように、一次資料に乏しい徳恵翁主を描いている。そのため、「伝聞や憶測を多分に含む二次資料」を頼るしかなく、しかもそこから浮かび上がる徳恵翁主は、幼年時より患った統合失調症によってほとんど自らが喋っていないのだという。日韓併合時、最後の皇帝の娘であった徳恵翁主は、12歳で単身日本に渡って来た。それは日本の同化政策の象徴として、大人たちによる政治的な思惑によるものであった。だからチマチョゴリを着ることも許されなかった。宗武志(筑波竜一)と結婚し長女が誕生するが、病状の悪化によって16年間入院し離婚。さらに娘との死別も経験した。1962年に晴れて帰国を果たした後は、兄・李根(イウン)の妻と生活を共にして1989年、76歳で死去。この数奇な人生を歩んだ女王のことは、私はもちろん知らなかった。シライケイタもそうだったようだ。

対馬の海岸で宗武志は、『浦島太郎』の基となっている日本神話「山幸彦と海幸彦」を徳恵翁主に語る。山の猟が得意な山幸彦と海底の宮殿に住む娘・豊玉姫という本来相反する者が結婚したように、日本人である武志は徳恵翁主を、朝鮮海峡から鳥居をくぐってやって来た豊玉姫のように迎えることを伝えてプロポーズする。国境を越えた純愛とその後の徳恵翁主の悲運を、長女の正恵(中村美貴)が語る形で舞台は進む。徳恵翁主が帰国した後、武志が正恵に徳恵翁主を重ねて「山幸彦と海幸彦」を再度語るシーンは切ない。「山幸彦と海幸彦」の物語を再現する際には、山彦(いわいのふ健)、海彦(阪本篤)、山彦を海へと誘うシオツチノカミ(小嶋尚樹)によって、コミカルで笑いを誘う寸劇調で再現されるが、劇の基調は非常に幻想的でロマンティックに仕上がっている。『治天ノ君』と同じく回想の形を採ってはいるが、異なるのは証言者である正恵が、史実では失踪している点である。したがって、正恵は徳恵翁主の生涯を知るはずがない。徳恵翁主へのアプローチには一・二資料共に乏しいという2重の障害があった。それと同じように、正恵が想像した徳恵翁主という物語を、さらにシライが想像して創作するという、想像力の2重化がこの舞台の構造になっている。そしてこれこそが、本作の最大の趣向であり、核である。

資料に乏しく自身の発言も少ない徳恵翁主をシライはなぜ描こうとしたのか。分からないからこそ、人はそこから何かを読み取ろうとする。その際、分かっているものよりも、より積極的にこちらから対象へと接近しなければならない。分かろうと近づいて生まれた物語がたとえフィクションだとしても、歴史に埋もれた人や事柄を取り上げて我々に気づかせること。そのことで、観客の中には悲運な歴史を歩んだ女王がかつていたことを知って鎮魂する気持ちが生まれるだろうし、日本がアジア諸国に行った非道に改めて思いを致すこともあるだろう。物語は武志と徳恵翁主そして正恵を、たとえ史実に反したとしても結び合わせようとする。それが単に綺麗事として片付けてはならないのは、日韓の和解を模索しようとする作家の姿勢や覚悟が熱く込められているからだし、そのように想像を駆使することが演劇という表現ジャンルの根本に触れるものであるからだ。温泉ドラゴンは韓国での上演を試みている。そういった活動の中から誘発されて生まれた作品なのかもしれない。近年は、日韓の作品が互いに上演され合うといった、文化面での交流が盛んだ。相互上演の積み重ねを経て、交流はついに隣国を題材にした創作劇が生まれた段階に入った。そのように考えると、本作がたとえささやかな試みだったとしても、日韓の交流はゆっくりだが確かな手ごたえと共に深化していると感じさせられる。

2015年12月28日の慰安婦問題の日韓合意によって、日本は「心からのおわびと反省の気持ちを表明」し、韓国政府が設立した元慰安婦を支援するための財団に10億円を拠出した。一方、韓国側は在大韓民国日本国大使館前にある慰安婦像を撤去・移転を含めて「適切に解決されるよう努力する」ことを確認した。慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決での一致である。2012年の李明博大統領による竹島上陸以降冷え込んでいた日韓関係に、修復の兆しが訪れた時であった。しかし昨年12月に、新たに釜山の日本総領事館前に少女像が設置されたことを受けて、今年1月には日本政府が駐韓大使、釜山総領事の帰国などの抗議措置を採った。再び日韓関係に暗雲が立ち込めている。韓国の野党側からは、10億円の返還や条約破棄といったさらなる対抗措置を促す主張もなされ始めている。天皇の戦争責任と同じく、歴史問題を巡る問題についても、自国の思惑や利益を優先するがゆえに政治利用に走りがちだ。それに勝つために、自国に有利な事実関係をただ主張し合うばかりで、互いの意見を擦り合わせようという動きがない。対して、フィクションを生み出す演劇を始めとする文化・芸術は、相手の立場を慮ったり未来の人類に思いを馳せて交流を重ねている。アーティストは政治家とは違い、かつての人々がどのような生き方をしてきたのか、その声を真摯に受け止め現在への警句とすることで、未来を射程に収めた活動を行っているのだ。排外的な気分が世界的に蔓延する中、立場の違う自国民や隣国と関わろうとする個人や民間団体があること。それが現在におけるささやかな希望である。

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