「台湾と日本の人形劇を通じたコラボ
ー結城座×台北木偶劇団×佐藤信」
吉田悠樹彦 (ダンス批評家)
最初は日本の人形劇の場面からはじまる。2020年代の日本人から見た人形劇はノスタルジーの対象ですでに過ぎ去った昭和の子どもの文化である。かつては街角やお祭りの時に子どもたちは人形劇を楽しむことができた。人形劇は現代人の一般的な日常の中ではそれほど重要視されていない。
そこに佐藤信も登場する。彼は子どもの時から物語や宮沢賢治などが好きだった。「西遊記」などアジア的なモチーフを通じた創作や、アジアとの交流も行ってきた。そんな佐藤は子どものころから人形劇が好きだったことを舞台の上で語ってみせる。
今度は台湾の人形劇が登場する。そして台湾と日本の間で同じ人形劇ということでシンパシーが生まれる。台湾人形劇の源流は福建省などとされる。現代台湾の社会生活の中でも人形劇は文化として社会的に一定の位置にあり人気がある。同じアジアの人形劇から日本のそれは活気をもらっているような印象も受ける場面だ。
続きを読む
身体を演出する ──OM-2×柴田恵美×bug-depayse
『椅子に座る─Mの心象スケッチ─』公演から 北里義之 (舞踊・音楽批評)
生前に詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の二冊を出版したものの、ほぼ無名のまま37歳の若さで早世した宮沢賢治の文学は、結果的にというべきだろうが、中央文壇から距離をとって営まれたことで、地域に暮らし、東北の風土に根ざした固有の世界観を育てることになり、皮肉にも、作家が知ることのなかった未来にたくさんの読者を持つこととなった。宮沢賢治の作品は、おそらくは彼自身を読者にして日記のように書かれている。そうした執筆事情から、「ひとつひとつが他の別作品と関連性があり、どれを取っても一作品だけではよく分からない部分が残る」ため、本公演では特定の作品を扱うのではなく、作品と作品の間の「連続性を理解することで辛くもその人の全体像が見えてくる」演出方法をとったということが、公演パンフレットに掲載された劇団OM-2の演出家・真壁茂夫のテクスト「『椅子に座る』について」で語られている。総じていうなら、タイトルの「椅子に座る」そのものが、OM-2の演劇論や演出論を踏まえた稽古スタイルであるところから出発して、広大な星空のカンバスに宮沢賢治の姿を描きながら、その文学を支える作家固有の身体存在へと惑星間飛行を試みたのが本公演といえるだろう。それはさながら死者の魂を運ぶ銀河鉄道に、俳優やダンサーたち、観客たちと同乗して、終着駅の南十字星(サザンクロス)まで運んでいくようにして。どうしてこれら複数のカンパニーに所属する俳優やダンサーたちが、ひとつのステージにそれぞれの椅子を持ちこみ、場所と時間を少しずつずらしながら登場してくる演出がなされたのか、それはテクストが懇切丁寧に語るOM-2の演劇論・演出論と深く結びついている。 続きを読む
「遺稿 アルトー論」
及川廣信 (アルトー館主宰)
これは及川廣信氏の遺稿で、アントナン・アルトー(Antonin Artaud)に関する興味深い記述が散りばめられています。及川氏のフランス留学から亡くなるまでの期間を通して向き合ってきたアルトー論と言えるでしょう。
かつてアンドレ・ブルトンのシュルレアリスム運動で、その機関誌の編集長として先端を切っていたアントナン・アルトー(Antonin Artaud 1896~1948年)について書くよう依頼されましたが、果たしてアルトーと言っても今の日本人にどれだけ関心を持たれるのか。
しかしフランスの権威ある脳医学者から20世紀において、ニーチェとこのアルトーの二人が最も脳の構造が優れている、と言われたことを知ると、少しは興味を持たれるかもしれません。
ところが20世紀を語る上で、芸術ならびに思想的な観点からこのアルトーを外しては語れない、という事実があるのです。
それは何故か? それは20世紀を指導的なかたちで最後まで思想のレベルを牽引してきたのはドゥルーズ=ガタリの二人の哲学者ってあるが。その著書『アンチ・オイディプス』(1972年)で、アルトーの晩期に書いた演技論で使用していた「器官なき身体(corps sans organes)という言葉をこの二人の哲学者は、社会と政治を変革するキー概念として使用したのです。
続きを読む
「"核"と修羅 宮沢賢治からの視線
──OM-2×柴田恵美×bug-depayse
「M/Mフェスティバル」参加『椅子に座る−Mの心象スケッチ−』」
吉田悠樹彦 (ダンス批評家)
宮沢賢治を描いたOM-2・柴田恵美・bug-depayseのコラボレーション作品が上演された。真壁茂夫と宗方勝、柴田恵美の共同演出の作品だ。「銀河鉄道の夜」、「春と修羅」など宮沢のテキストを用いながら時代背景、作家性などから"異端と生"というテーマを描いたインクルーシブな要素もあるメディア・パフォーマンス作品である。
冒頭、一人の男が現れ、観客へ「体育」の授業をはじめ作品が始まる。観客たちはラジオ体操をする。先生は学生に成績をつけさせる。続く「国語」になると先生は学生にパンフを朗読させる。先生は教員でもあった賢治自身でもあるが、この作品のナビゲーターでもある。
この文学者が世間に知られるようになったきっかけの一つは、戦前の軍部が「雨にも負けず」の冒頭部分をプロパガンダに利用したことである。この様にさらに知るとこの宮沢賢治の面白さが解ることが語られていく。 続きを読む
前衛芸術のあとにやってくるもの── d-倉庫 閉館に寄せて
北里義之 (舞踊・音楽批評)
私が意識的にダンス公演を観るようになったのはここ10年ばかりのことで、ごくごく近々の出来事に属します。音楽批評はしてきたものの、ダンス批評についてはなにをどうすることなのかについて見当もつかず、ダンスの書籍や記事を読みあさる一方、ステージが腑に落ちるようになるまで現場をできるだけ多く観てまわるという作業をはじめました。最初の数年間は、ライヴハウスや画廊でおこなわれている演奏家とダンサーの即興セッションが中心でした。ダンス誌の記事にも舞踊評論にもけっして登場することのない日常生活とシアターアーツの中間に茫漠と広がるダンスの領域。ダンスを観はじめた当初から、コンテンポラリーダンスはとうに最盛期を過ぎ、いまや衰退しているという話をよく耳にしましたが、新参者の私には、こんなにたくさんのダンスが日々踊られているのに、関係者はいったいどこをどうとらえて衰退というのだろうと不思議でなりませんでした。コンテンポラリーダンスをその誕生期に同時代体験していないせいか、過去の文献をいくら読んでも「衰退」の意味がわからず、トヨタやキリンビールのような企業がスポンサーを降りたり、助成金が取りにくくなったことなどからくる危機感の発露ではないかと思ったりしました。生活の苦しさがダンス活動の足腰を弱くするということは事実としてあるでしょうが。 続きを読む
インタビュー:bug-depayse 宗方勝 / 野澤健
◎どういった経緯で、演劇をやることになったのですか?
宗方:もともと画家を志していました。その活動の中で様々な表現方法を模索し始め、写真、映像、詩作...などを行って きました。やがて周りに仲間が集まりまして、そのうち自分たちでイベントや発表の場を創り始めた矢先に、30 歳頃でしょうか、総合芸術としての舞台創作が面白いのではないかと思い、銀座の路上にて大がかりな演劇作品をゲリラで上演したのが始まりです。2001 年から細々と年 1 回ペースで作品を発表しています。
野澤:2003 年に埼玉県の国立身体障害者リハビリテーションセンターで宗方との出会いからでした。その後 2006 年の bug-depayse 作品「Mixture」に宗方から出演のオファーをもらったのですが、「ど素人なのにいいのかなって」期待と不安と...。それから舞台活動を続けています。 続きを読む
「ダンスがみたい!」から見えてくるダンスの20年
坂口勝彦(ダンス批評家)
もちろんいつかは終わるのかもしれないとは思ったこともあったけれど、田端、麻布、神楽坂、日暮里と続いてきた die pratze あるいは d-倉庫は、ずっとダンスを支えてくれ続けると安心していた。幾度危機に直面しても、しぶとく存続してきたのだから、そう簡単にはなくならないだろうと思っていた。突然の終了の知らせに愕然とし、途方にくれ、日本のダンスはどうなるのかと心配になる。とりわけコンテンポラリーダンスと呼ばれるダンスは、まだまだ基盤があやふやで、d-倉庫のような機動性の良い劇場や企画がダンスの創造性を支えていた面が大きいのだから。とりわけ、夏の「ダンスがみたい!」と冬の「ダンスがみたい! 新人シリーズ」は、振付家やダンサーやパフォーマーが自由に集まれる貴重な機会であり、ダンスの方向性を共に考える重要な場だった。
何かが終わることは、残されたものの記憶の襞が閉じられることでもあるとしたら、そう簡単に閉じさせないためにも、今、思いだしておきたい、何が行われていたのか、そして何が失われようとしているのかを忘れないために。 続きを読む
d-倉庫の2つの自主企画について 藤原央登(劇評家)
d-倉庫は、観劇するには非常に居心地の良い空間だった。天井が高いため、前に座った観客の頭が邪魔にならない。しかし高低差が出せる分、床に近い前列が冷えるということで、冬場はブランケットの貸し出しが行われていた(私は気温差を感じたことはなかったが)。舞台空間にも十分な奥行きがあり、上部に設けられた回廊が特徴であった。少人数によるダンス作品を上演するカンパニーやダンサー等が、作品にアクセントをつけるべくたびたび利用していたことが印象に残っている。
そんなd-倉庫には、柱となる自主企画が2本ある。2004年から続く「ダンスがみたい!新人シリーズ」と「現代劇作家シリーズ」である。前者は新人のダンスカンパニーやダンサーのコンペティション。川村美紀子、柴田恵美、幅田彩加、茎、黒須育海、水中めがね∞といった歴代受賞者を見れば、すでに歴史ある若手ダンサーの登竜門となっている。 続きを読む
「私とdie pratze、d-倉庫」
志賀信夫(批評家)
【ダンスがみたい!】 日暮里d-倉庫が閉館する。つきあいは、神楽坂die pratzeのころからで、それ以前の田端時代は知らない。そして、筆者が舞踊を中心に批評を書いていることから、主に関わったのは「ダンスがみたい!」というフェスティバルである。その立ち上げには2020年に亡くなった舞踏家、鶴山欣也も関わったようで、初期は舞踏家の出演が多かった。筆者も、上杉満代、和栗由紀夫、福士正一、森繁哉、阿部利勝といった舞踏家などの出演を推薦したこともある。 そして、現在は一般的になったコンテンポラリーダンス。活躍する数多くのダンサー、振付家がこのフェスと、兄弟企画「新人シリーズ」で世に出たといえるかもしれない。公共団体や業界団体が関わらない在野・私立のダンスフェスティバルで、コンテンポラリーダンスの隆盛にこれほど影響を与えたものは、ほとんどないのではないか。 続きを読む
|
|
柴田恵美〜集中する身体を操る〜 |
|
|
|
「夢うつつ」の世界と対峙するために――2023年演劇回顧
藤原央登(劇評家)
- - -
新型コロナウイルスが日本に流入してから4年目となった。2023年の5月には感染症法上の分類が季節性インフルエンザと同じ5類へと移行し、法律上は行政が各種の措置を講じて関与する必要がなくなった。新型コロナの正体が未知で、緊急事態宣言が発出されるほど感染者数が日々増加していた頃は、クラスター(集団) の発生を防ぐべく、3密(密閉・密集・密接)を避けることが全国的に求められた。
▶
続きを読む
退廃的な秘儀から溌剌としたバトルへの転換―『再生』が孕む演劇的な意義を改めて考える―
ハイバイ『再生』
藤原央登(劇評家)
- - -
多田淳之介が主宰する東京デスロックが、2006年に初演した『再生』。これを原案にして、ハイバイを主宰する岩井秀人と快快 -FAIFAI-バージョンの『再生』が、2015年に上演された。2015年版のリクリエーションである今回の上演では、若い俳優やダンサーたちがキャスティングされているため、快快との共作ではない。
▶
続きを読む
マインドコントロール下にある組織の偏在性を抉る
オフィスコットーネプロデュース 綿貫凜 追悼公演『磁界』
藤原央登(劇評家)
- - -
あらゆる組織は漫然と存在することで、いつしかその維持が目的となってゆく。組織の存続のために欠かせなくなるのが、そこでしか通じない内側の論理を確立させることである。それは外部からの指摘や介入から組織を守ったり、内部に取り込むための唯一で強力な武器となる。そのような、内部にばかり意識が向かって無駄に肥大化した組織は、社会全体に偏在している。
▶
続きを読む
歌舞伎の陰画を支える趣向
木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』
藤原央登(劇評家)
- - -
脚本と演出に初めて岡田利規を迎えた木ノ下歌舞伎の新作は、4世鶴屋南北『桜姫東文章』(1817年)。父と弟を殺害されると共に、家宝「都鳥の一巻」も奪われた吉田家の息女・桜姫(石橋静河)は、悲嘆の末に出家の道を選ぶ。そんな桜姫の前に2人の男が現れる。心中相手・白菊丸の生まれ変わりを桜姫に見出す高僧の清玄と、彼女をかつて強姦した悪党・釣鐘権助(成河による二役)である。
▶
続きを読む
人間の内的時間を視覚化する劇中劇の巧みさ
劇団俳優座『猫、獅子になる』
藤原央登(劇評家)
- - -
人と人が心を通じ合わせることの難しさと、その乗り越えを描いた作品だ。2階の自室で引きこもる娘の美夜子(清水直子)の面倒を、老親の蒲田妙子(岩崎加根子)が担うという、8050問題が題材である。そこに、結婚して実家を離れた、次女の岬野朝美(安藤みどり)との三角関係が絡む。
▶
続きを読む
令和の都市劇
いいへんじ『器』/『薬をもらいにいく薬』
藤原央登(劇評家)
- - -
いいへんじは2016年に結成された、早稲田大学演劇倶楽部出身の演劇団体である。2本立て公演を通して「令和の都市劇」を強く抱かせられた。新型コロナ禍による過度な感染の忌避は、人々を生活圏内への自粛に追いやり、社会経済活動の縮小を余儀なくさせた。
▶
続きを読む
他者の言葉や想いを「誤配」されることの意味について
劇団あはひ『流れる』『光環(コロナ)』
藤原央登(劇評家)
- - -
2018年に早稲田大学の在校生たちが旗揚げした劇団あはひ。劇団HPによると、プロデュース集団として活動した翌年の2019年に、「CoRich舞台芸術まつり!」グランプリ受賞。2020年には最年少で下北沢 本多劇場進出と、早くも注目され続けてきたという。
▶
続きを読む
諷誦、砂、黒板―戦争と原爆の「実感」を得るために
烏丸ストロークロック×五色劇場『新平和』
藤原央登(劇評家)
- - -
2016年に結成された広島の五色劇場が、京都の劇団・烏丸ストロークロックの柳沼昭徳を迎えて行ったプロジェクト「原爆を今、演劇にする」から生まれた作品。俳優たちが3年間に渡って資料を渉猟し、被爆体験者や戦争体験者たちへのヒアリングを基に2019年に広島と福岡で上演した。この度、京都・東京・宮崎の三大都市ツアーで再演した。
▶
続きを読む
コロナ禍を批評する演劇的想像力
城山羊の会『ワクチンの夜』
藤原央登(劇評家)
- - -
新型コロナウイルスのワクチンの有効性や、死亡事例との因果関係はあるのか。専門家も断定できないまま、大事なことが進行している。そのような状況を投影した喜劇だ。ワクチンの効果を「嘘」に、副反応を「性欲」に置き換えて、性を原動力にしたすれ違いと暴力が展開される。
▶
続きを読む
突きつけられる、2018年~2021年の社会変容
水中めがね∞『有効射程距離圏外・Ⅲ』
藤原央登(劇評家)
- - -
中川綾音が率いる水中めがね∞の作品からは、社会で生きることの鬱屈感や抵抗の意志を感じさせられる。時に暴力性を伴うことで、観る者にひりついた感覚を与える。一方でストリート系のカッコ良さやテキトーさもあるため、フッと肩の力が楽になる瞬間もある。攻撃的でストイックな中に、スマートさと脱力性が顔を覗くのである。
▶
続きを読む
新型コロナウイルス感染症対策を生の舞台に取り込み、見事に対応した貴重な作品
FUKAIPRODUCE羽衣『おねしょのように』
藤原央登(劇評家)
- - -
何組もの男女のペアが、作・演出の糸井幸之介によるオリジナル楽曲に乗せて、様々な愛の形を歌い語る。FUKAIPRODUCE羽衣は、そんな「妙―ジカル」の作風で知られる。類型化されたキャラクターが登場するため、観る者はそれぞれに、特定の人物が語るエピソードに心を寄せることができる。そして誰もが経験したであろう「あの時」の心情が、うまくくすぐられる。さらに糸井の楽曲が、掘り起こされた切ない感情を増幅させるのである。
▶
続きを読む
「心の革命」を起こして戦後史を受け止める
TRASHMASTERS vol.33『堕ち潮』
藤原央登(劇評家)
- - -
久しぶりにTRASHMASTERSの作品を観た。上演時間3時間越えと変わらず長大で且つ、多彩な問題が取り上げられるので重厚である。しかしながら作品の幹がしっかりとしており、核が捉えやすい劇構造である。充実した観劇体験であった。
▶
続きを読む
我々は人を死なせる恐れなしにはこの世で身振りひとつもなし得ない
俳優・演出家・仙台シアターラボ代表 野々下孝
- - -
我々は仙台を拠点に2010年から演劇活動を行なっているが、一貫して古典作品を原作にした現代劇を上演し続けている。我々にとって古典作品を上演するということは、古典を現代に甦らせることとは似て非なるものだ。古典は、形だけを残して体温も匂いも失ってしまった化石に例えられる。学者の仕事が化石の発掘作業だとしたら、演劇人の仕事は一体何なのか?
▶
続きを読む
人間には理性(言葉)と肉体(無意識の苦悩と歓び)がある、
立本夏山「人間劇場」旗揚げ公演『行人日記』
原田広美(心理相談&夢実現「まどか研究所」主宰、『漱石の〈夢とトラウマ〉』著者)
- - -
立本夏山を舞台で最初に見たのは、2019年2月のヴィクトル・ニジェリスコイとの共同演出・出演の『ふたり、崖の上で』(原作:『白痴』ドストエフスキー、於space EDGE,渋谷)だった。この時には、ロシア人の男性ピアニストの即興演奏も、大いに舞台を盛り上げた。そこに即興の要素が入っていたのは、偶然ではなかったかもしれない。
▶
続きを読む
水場を巡る生者の生態から、死者の葬列への見事な転換
堀企画『水の駅』
藤原央登(劇評家)
- - -
平田オリザ『東京ノート』(1994年)に続く堀企画の2作目は、現代演劇史における古典のひとつ、故・太田省吾が率いた転形劇場の代表作『水の駅』(1981年初演)。『トウキョウノート』(2019年12月、アトリエ春風舎)ではシーンをバラバラにしたテキストレジーよりも、美術館のロビーから闇の広がる無機質な空間演出が印象的だった。そこに登場する人物たちは、暗闇の墓地に浮かぶ人玉のように実体が不透明に感じられた。そこでフェルメールの絵や家族の話といった、生活感のある市井の人々の会話が交わされる。
▶
続きを読む
二人芝居に改変して明瞭になった、社会の中における男の在り様
オフィコットーネトライアル公演『ブカブカジョーシブカジョーシ』
藤原央登(劇評家)
- - -
オフィスコットーネは長年、犬の事ム所を経てくじら企画を率いていた、大阪の劇作家・故大竹野正典作品の上演に取り組んでいる。今回は新たに、くじら企画で1992年に上演された『ブカブカジョーシブカジョーシ』を取り上げた。サラリーマンのアイデンティティクライシスと男のメランコリックな哀愁を描く本作は、大竹野作品の骨格と世界感を示す成果を挙げた。
▶
続きを読む
芝居を観る愉悦を与えたProject Nyxの代表作
Project Nyx『新雪之丞変化』
藤原央登(劇評家)
- - -
Project Nyxが女歌舞伎として上演した本作は、これまでになく俳優の演技で魅せるしっかりとした「芝居」に仕上がっていた。密輸の一大組織を作り、幕府とは距離を置いて独自の利権を確立した和蘭屋清左衛門。奉行役人である土部三斎(小谷佳加)はその利権に預かった挙句、清左衛門を罠に嵌めて死に追いやり、彼の妻を寝取った。
▶
続きを読む
過激思想に通じる、日本人の潜在意識に巣くう差別意識
流山児★事務所『コタン虐殺』
藤原央登(劇評家)
- - -
倭人(日本人)に搾取され続けた末、1669年のシャクシャインの戦いで蜂起するも敗北するアイヌの歴史。そして1974年に起きた、アイヌの独立を訴えて町長を襲撃した北海道白老町長襲撃事件。2つの時空間を往還することで浮かび上がるのはもちろん、日本人によるアイヌ民族への根深い差別である。だが本作は、過去の歴史的な差別を追うだけで終止しない。現在に至るまで差別が残っており、時にそれが過激思想へと高進すること。
▶
続きを読む
「個の核」から溢れ出る生のエネルギー~カフカとゲシュタルト療法の視点から
OM-2(演出:真壁茂夫)×柴田恵美(振付・共同演出)『傾斜 -Heaven & Hell-』
原田広美(「まどか研究所」所長・心理療法家・舞踊評論家)
- - -
OM-2の作品は、1998年初演の『K氏の痙攣』から見た。だが初演ではなく、横浜の大きな会場で見たシカゴの俳優達とのコラボレーションの再演を見た。物語やあらすじはなく、実験的な身体劇だった。それは、今も変わっていない。横浜で見た『K氏の痙攣』では、最後に大きなスクリーン一杯に、何十という心理療法の名称がテロップで写し出された。
▶
続きを読む
より良い世界を創る一員となるよう観客を鼓舞
世田谷パブリックシアター+エッチビイ『終わりのない』
藤原央登(劇評家)
- - -
地球温暖化や紛争、他国を無視した大国の自国第一主義と独善主義によって、世界は混沌としている。この情勢が高進した先に待っているのは、地球の崩壊。現在とは、未来に地球が消滅するか否かの転換点である。このような現状認識の下、散見される懸念を解消して地球の未来を救うべく、一人ひとりがより良く生きよ。そう直截にエールを送る作品であった。
▶
続きを読む
二項対立と両義性の狭間で耐えるということ
DULL-COLORED POP『福島三部作』
藤原央登(劇評家)
- - -
DULL-COLORED POPが渾身の連作を2019年の夏に放った。福島県双葉町を舞台に、福島第一原子力発電所の誘致から東日本大震災における原発事故までを描く、長大な年代記「福島三部作」である。昨年上演された第一部と、新作の第二部と第三部を合わせて一挙に上演した。私は一日に3作をまとめて観た。そのことによって原発政策を巡る戦後史の流れと、原発の是非を巡って揺れ動き、ときに分断される人々の複雑な心情が良く伝わってきた。
▶
続きを読む
韓国社会の「いま」を伝えるパフォーマンスと構成力
劇団新世界『狂人日記』
藤原央登(劇評家)
- - -
ストアハウスカンパニーが運営する上野ストアハウスでは、主催事業として「ストアハウスコレクション」(2013年~)を年に数回開催している。日本とアジアの集団が、時にテーマを共有しながら競演する催しで、2019年7月時点で15回を数えている。中でも「日韓演劇週間」と題された日韓の企画が最も多い。7回目となった「日韓演劇週間」では、日本のDangerous Boxと韓国の劇団新世界が公演した。
▶
続きを読む
ダンスの戦争責任
~1940年 戦時下の舞踊家たち~
坂口勝彦(ダンス批評・思想史)
- - -
「政治と舞台」というテーマを与えられて数ヶ月。幾度か構想を練り直してようやくここに至った。日本の戦時下でのダンス。そして、舞踊家たちの戦争責任の問題。どちらもいまだにはっきりと語られていない。語られないまま戦後が始まり、今に至っている。それを語り得る舞踊家もほとんどいなくなってしまった今、それを問わなければ、昭和、平成、そして令和という天皇に由来する年号の背後に隠れて戦争責任がどんどん遠くかすれてしまうだろう。〔……〕
▶ 続きを読む
大竹野正典への実像を体現させた関係者たちの愛
オフィスコットーネプロデュース 大竹野正典没後10年記念公演 第3弾 改訂版『埒もなく汚れなく』&『山の声-ある登山者の追想-』
藤原央登(劇評家)
- - -
大阪で活動した劇作家・演出家の大竹野正典(1960~2009年)。彼の死後、その作品に魅せられたのが、オフィスコットーネのプロデューサー・綿貫凛である。2012年12月に、大竹野作品に魅了されるきっかけとなった遺作『山の声-ある登山者の追想-』(2009年、OMS戯曲賞大賞受賞)を上演。それから足掛け7年、オフィスコットーネは再演を含めて様々な大竹野作品を上演してきた。
▶
続きを読む
イ・ジョンイン インタビュー
サムルノリ「三道農楽カラク」上演に向けて
▶ 続きを読む
梁鐘譽インタビュー
サムルノリ「三道農楽カラク」上演に向けて
▶ 続きを読む
d-倉庫、日本国憲法の上演について
die pratze 現代劇作家シリーズ9「日本国憲法」を上演する
長堀博士(楽園王主宰、劇作家、演出家)
- - -
毎年春に開催されるフェス、日暮里d―倉庫における「現代劇作家シリーズ」が今年も開催された。同フェスは毎年一人の近代から現在に至る劇作家の「一つの戯曲だけ」を取り上げ、多くのカンパニーが上演するという斬新なフェスであるが、今年はその斬新さも増して、その戯曲として選ばれたのは「日本国憲法」であった。「日本国憲法」は果たして戯曲であるのか、と問われる人も多いかも知れないが、まずその問いは間違えている、と解釈して話を続けたい。つまりこの「現代劇作家シリーズ」で取り上げることで、これ以降「日本国憲法」は戯曲に成ったのだ、と受け止めれば良いに過ぎないと考えられるからだ。
▶
続きを読む
破局の後の壊れた日常
OM-2『Opus No.10』
新野守広(立教大学教授 ドイツ演劇研究者)
- - -
OM-2の最新作『OPUS(作品)No.10-アノ時のこと、そしてソノ後のこと…-』を見た(2019年2月23日、ザ・スズナリ)。入場すると、まず目に飛び込んだのは、舞台を床から天井まで覆うほど積み上がった段ボール箱の壁である。開演後しばらく経つと、この壁は大きな音とともに崩れ落ちた。破局であろうか。壁が崩れた後には、事務所のセットが見える。事務机やロッカーが置かれ、「アベ政治を許さない」のビラが貼ってあった。こうした日常的なセットが組まれることは、OM-2の公演では珍しい。〔……〕
▶
続きを読む
SNS社会へ出立する卒業生への贈り物
座・高円寺 劇場創造アカデミー 9期生修了公演『犬と少女』
藤原央登(劇評家)
- - -
なんとなくつながる社会。それが21世紀の我々が生きる社会である。TwitterやFacebookといったネットメディアを通して、その感を強く抱かされる。そこは誰が何を考え何をしているのかが、日々報告される空間だ。フォロー数や友達が増えると、こちらがフォローしてもいない第三者の動向までもが「お知らせ」されてくる。そういった一切が煩わしくなると、膨大なツイートや書き込みが暴力的に感じるようになる。〔……〕
▶ 続きを読む
“政治的でない人はいない”と“表現をしない人はいない”は、同一線上にある“意識”であり“生活”そのものではないのか?
牛川紀政(音響家)
- - -
〔……〕それは、2015年11月に入って、両国で大橋可也&ダンサーズの公演と、浅草で岩淵多喜子振付のインテグレイテッドダンスカンパニー響の公演をやった直後に、チェルフィッチュ帯同メンバーより単身1日遅れでツアーに合流するため、ヘルシンキの空港到着後直ぐに劇場に向かって、仕込みをしたのが幕開けのツアーだった。〔……〕
▶ 続きを読む
|
|
[artissue FREEPAPER]
artissue No.013
Published:2019/08
2019年8月発行 第13号
|
|
|
舞台人と生活 |
|
|
|
|
公演までの稽古場の風景 |
|
|
|
|
テント芝居・野外劇の現在形 |
|
|
|
|
今求められる「ハムレットマシーン」 |
|
|
|
|
実験的・先進的舞台芸術の現代的役割 |
|
|
|
|
|
|
特集・東京以外の劇団からの
[発信] |
|
|
|
|
特集・ダンス!
|
|
|
|
|
特集・ダンス!
|
|
|
|
|
演出家インタビュー
|
|
|
|
|
前衛芸術ってオモシロイよっ!!
|
|
|
|
|
演出家インタビュー
|
|
|
|
バックナンバー・過去の記事
|