横浜駅から各駅停車相鉄線に乗り換え、15分上星川で下車。駅から北側の山の斜面に住宅が建ち並んでいる中腹を目指し、稽古場に向かう。道のりには自然が所々に残り、町の人々が端正に生活している様子が随所に窺われる。10メートルある長い高架線をくぐると、大野一雄が毎年クリスマスにサンタクロースに扮して訪れた幼稚園と小さな教会がある。その曲がりくねった道を道なりに進み、最初の階段を107段上がる。初めて訪れる者は必ず迷い、海外から訪れる者からは「巡礼の道」と称されている。
稽古場に入ると既に稽古が始められ、研究生が手に小さなティッシュの花を持ち静かに立たずんでいる。音楽が終わると、大野慶人は稽古の言葉を生徒に届ける。それは、大野慶人が普段大切にしている思いであり、大切な人から伝授された言葉であり、形である。
「アフガニスタンでもシリアでも、今一番不幸な目にあっているのが子供たちで、そういう不幸な人達のことを祈り、こうして(身振りをしながら)、こうしてですよ。優しさが届くように小さく、優しい、ふわっとした踊りをやってみましょう。」
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大野慶人自身、ティッシュの花を持ち、丁寧に手本を観せながら形も的確に伝えられていく。黒人によって歌われている賛美歌『きよしこの夜』が、ピアニシモで流される。研究生は大野慶人の手本をデッサンし、優しく床を踏み始める。先ほどティッシュを持って立っていただけの研究生に柔和さが加わり、空間が非日常感に包まれる。
「土方巽さんは「私は私の中に出ていくんだ」と言ったことがあって、こうやって(身振りをしながら)、足を上げて、自分の中に上げていくんです。それとは逆に、澁澤龍彦さんは「人間は一個の個体である」と言っていた。怖ろしいけれど、これも真実です。個体と思ったから、ナチスの大量虐殺は起こったわけだし、戦争が起こる。だから、こうやって、個体として上からも下からも無数の目で見られて体を造っていく。そうしていると、三島由紀夫が言ったように「一輪の薔薇」に観えてくるかもしれない。」
再び、音楽がかけられ、研究生は各々の体を使って、薔薇の花を造り動き出す。
「次は、変わるものと変わらないものの稽古で、竹を持って人生の祝福と受難を体験してみましょう。こうやって、身体ごと下の方は強く根をはっていく。上の方は天にどこまでも伸びていく。時には場所を変え移動していくけど、また、別な場所で根をはっていく。人生そのものを竹に込めて。」
ドイツの作曲家カールシュワイツの『時の風』が流れる。最初のうち、竹と研究生では研究生の方が存在が強く、竹はただの棒でしかない。研究生が身を屈め必死に根をはった後は、竹は自然の中に生き生きと根をはった竹林そのものになり、疲れきった人間の存在は影のようにひっそりと消える。人間と竹棒との逆転の中で、人間は自然の一部であることを目の当たりにし、「舞踏は、肉体のシュールレアリズム」と澁澤龍彦が言った意味を充分に感じとることが出来た。
舞踏とは、身体の様相や質感を絶えず変貌させていく日本発祥の芸術であり、土方巽、大野一雄が創始者といわれている。大野慶人は及川廣信より西洋のダンスメソッド・バレエ・パントマイムを学び、土方巽の演出作品にいくつか出演し、家に帰ると、父大野一雄と生活するという極めて特殊な環境の中で芸術を養っていった。その生活の中で技を磨き、社会や時代の動きと日常の所作を丁寧に組み合わせ、心とともに伝えていく。そんな稽古であった。稽古終了後に、大野慶人に「福島の震災以後、表現や創作活動に変化があったか」という質問を聞いてみた。
「子供の時から、関東大震災のことは母から聞いていました。それがずっと心の中にあり、どうやって失意の底から立ち直ったか不思議に思っておりました。2011年の福島の東日本大震災場合は、つい最近の出来事で今まさに立ち直りを目撃している状態です。また、その前に2001年の9月11日にNYのワールドトレードセンターが崩壊したことも、とても大きな出来事でした。ある意味で自分ではどうしようも出来ない脅威を感じて、祈るしかないと思いました。そして、今でも私のテーマは祈りであって、深く繊細に表現につなげていき、それをお客さんが観にくる。そんな、舞台を創りたいと思っております。」
今後の活動予定は?
「今後の活動については、父大野一雄が10年ベッドに臥せっていたもので、その間は海外では踊っていたのですが、日本では空白が出来てしまった。大野一雄が亡くなって3年が経ち、この辺で自分らしいものを創っていきたいと思っております。私は、大野一雄、土方巽、及川廣信という強烈な人に出会ってしまった。今、新ためて自分とは何かを見つめなおし、立て直して、新しい出発をしたいと思っているところです。そうすることで、空白の時が、ただの犠牲ではなく糧としての時となると思っております。」
今後の大野慶人の活動予定としては、今年で10年目を迎える「大野一雄フェスティバル(2013年秋)」終了後すぐにヨーロッパへ発ち、ミュンヘン(META-Theatre)、スペイン(Mercat劇場)、イタリア(ボローニャ大学)と3か国で公演とワークショップを行う予定だ。計28日間の長旅となるが、今までの空白を取り返し、大野慶人の新しい舞踏史が始まろうとしている。
朝は暴風雨で、行く時にはどんよりしていた雲も去り、台風も勢力を弱めたようだ。新しい時代を予感しながら106段をかけ降りて若手舞踏家の公演のヘルプに、次の劇場へと足を運んでいた。
大野慶人 Yoshito Ohno
59年土方巽の『禁色』で少年役を演ずる。以後、アルトー館、暗黒舞踏派公演に参画。69年初リサイタルのあと舞台活動を中断。85年『死海』の大野一雄との共演でカムバックした。86年以降、大野一雄の全作品を演出。98年郡司正勝氏の遺稿を基に自身のソロ作品『ドリアン・グレイの最後の肖像』を上演。
聞き手:相良ゆみ
幼少よりバレエを習う。「Eiko&Koma」との出会いから「大野一雄研究所」に通う。現在、及川廣信に師事。また、JTAN(Japan Theater Arts Network)に在籍。
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特別企画1:対談 Performer×Performaer
OM-2・佐々木敦 × 林慶一 |
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