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今求められる「ハムレットマシーン」
今、ハイナー・ミュラー代表作の「ハムレットマシーン」の機運が高まりつつある。演劇史上最も上演困難な作品の一つと言われた本作は当時の演劇界に多大な影響を与えたが、それはどのようなものであったのか?そして、閉塞を続ける現在の演劇界において「ハムレットマシーン」は改めてどのような意味を持つのか?「ハムレットマシーン」研究者・批評家・翻訳家を含め4名の方に語って頂いた。


ハイナー・ミュラーと演劇の革命
西堂行人 演劇評論家 明治学院大学文学部教授

演劇評論家。2017年4月から明治学院大学文学部芸術学科演劇身体表現コース教授。 著書に『ハイナー・ミュラーと世界演劇』(論創社、1999年)。近著に『[証言]日本のアングラ』『蜷川幸雄×松本雄吉―二人の演出家の死と現代演劇』(作品社)。編著『唐十郎特別講義』(国書刊行会)がある。

1、危機の時代とミュラー

  危機の時代にハイナー・ミュラーが呼び出される。

 わたしはこれまで幾度となく、この相関関係を確認してきた。わたしたちが東京で「世界演劇講座」を通じてミュラーを取り上げてきたのは、1994年が最初だった。時代は、まもなく大きな断絶期を迎えようとしていた。1995年には阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件が起こった。天災、人災を問わず、日本国内に何か大きな亀裂と深淵がある。ミュラーはそうした「穴」の所在を探り当てる指針になるのではないか、とわたしは直観した。

 21世紀が始まり、2002年に金沢、03年に東京で、「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド」(HM/W)のフェスティバルを開催した。その前年、すなわち2001年に米国同時多発テロがニューヨークで起こった。歴史的な大きな危機の前後にも、ミュラーは登場する。「ザ・ワールド」としたのは、1995年前後の国内事情とは違って、2001年は世界中を巻き込むグローバル化の中での事件だったからだ。しかしわたしにとっては、両者は地続きに感じられた。日本の危機は帝国化した先進諸国のそれとほぼ相似形で訪れる。しかもその予兆は、実は世界のいたるところで顕在化し噴出していたのである。

 2003年を境に、ミュラーに関するプロジェクトは跡絶えている。その理由はいくつかあるが、この年をピークに、それ以後、日本国内の演劇が急速に保守化していったことも、ミュラーの存在を見えなくさせている理由の一つだろう。言い換えれば、2003年までは、日本国内で、演劇革命の状況は決して“悪く”はなかったということになる。

 それから14年経って、ミュラーを再起動させ、時間の停止に楔を打ち込もうとする者たちが出てきた。小さな萌芽かもしれないが、決して小さくはないムーブメントだとわたしは考える。また、そう念じたい。

 もっともわたしは、ここ10年近く足を止めていたわけではない。大阪を中心に「世界演劇講座」を継続し(2006年~)、そこから生まれたプロジェクトとして、太田省吾に絞った企画に関わってきた。太田のエッセイ集のタイトル「なにもかもなくしてみる」という言葉に触発されて、幾人か劇作家が短編戯曲を書き、リーディングを試みた。

 そしてリーディング後にディスカッションが行なわれた。さらに2002年にHM/Wを開催した金沢で、太田省吾のミニフェスが2013年と15年に開催されている。

 こうした企ては、2011年3・11以後の「なにもかもなくしてしまった」日本人の状況に対応している。太田の言葉は、沈黙にいたる言葉の喪失を描いたものであり、それは生活や共同体の歴史を失っていく東北の状況と不可分だった。危機の時代に太田省吾もまた「呼び出されていた」のである。

 ここ20年余りの日本および世界に襲来した3つの危機、それに対抗する芸術の抵抗。それに倣えば、わたしたちは2017/18年に4つ目の危機に遭遇していると言わざるを得ない。言うまでもなく、日本の戦後史上、最悪の事態が今まさに進行しているからである。安倍晋三政権のかつてない暴政と次々と塗り替えられていく民主主義。戦後平和の象徴だった「憲法9条」までもが平然と踏みにじられていく。いわば戦後思想の死、日本の文化の壊滅である。

 ハイナー・ミュラーが召喚されているのは、そうした時代である。ミュラーはかつて「国家度が高まるとシェイクスピアが流行する」と言った。国家と国家が衝突し、世界の危機が招来される。シェイクスピア劇にはすでにそれが書かれていたのである。

 ハイナー・ミュラーが登場する舞台が、図らずも準備された。2018年春。わたしたちは、そこで何が可能なのか。時代はその行く末を問おうとしている。




2、『ハムレットマシーン』は21世紀の何を映すのか

 一九七九年、フランスの演出家ジャン・ジュルドゥイユによって初演されたハイナー・ミュラー作『ハムレットマシーン』は、その後、世界中の様々な劇場に出没し、文字通り世界中を駆け巡った。

 一九七七年、西ドイツの演劇雑誌「テアーター・ホイテ」に発表されたわずか三頁足らずの小テクストは、まずケルンの劇団に饗応された。が、この極上の素材を彼らはうまく調理できず、上演は半ばにして頓挫した。“何故自分たちは上演できなかったのか”が一冊にまとまるほど、前代未聞の厄介な代物が世に誕生してしまったのだ。上演は難しいが、どこか強烈に惹かれるところがあって挑戦してみたくなる。この清濁あわせもったファルマコンは、旧東ベルリン在住の皮肉屋の手を離れて、野心的な演出家が腕前を競いたくなる絶好のテクストとして、世界に向けて発信された。

 『ハムレットマシーン』は、ドイツ(ただし東独=DDRでは長らく上演禁止だった。)はもとより、フランス、ベルギー、スペイン、イタリア、オーストリア、アメリカ、カナダ、南米と飛び回り、アジアにも持ちこまれた。なかでも、ニューヨーク大学の学生を使って上演されたロバート・ウィルソンの『ハムレットマシーン』(86年)は、ミュラー自身が唯一賞賛する上演であり、難解で上演が不可能とされるテクストを見事に可視化したものとして声望を獲得している。ウィルソンは2017年になって、イタリア・フィレンツェで同作を新作上演している。わたしは未見だが、いずれヨーロッパのどこかで観る機会を得るだろう。この作品は、2017年のヨーロッパ演劇賞に輝いた。

 ところでウィルソンは、1986年の初演にあたって、従来あるようなテクストの演出を試みなかった。すなわちテクストから意味を読みとり、解釈を施して、俳優の演技によって世界を構築=再現するという方法をとらなかったのである。その代わりに、鉱物的な塊として結晶されたミュラーの言語を解凍し、ウィルソン自身が造形したインスタレーションの空間に人物を散りばめ、あたかも空間に詩を書くように絵柄を配置していったのだった。

 舞台には、一台のテーブルと三脚の椅子、そして一本の木が配されている。三人の女優が椅子に腰かけ、その前に老女が座り、その間を縫うようにして、オフィーリア、ハムレット、ガートルード、クローディアス(とおぼしき人物)らが泳ぐように運動する。それと対称的に、他の俳優はオブジェの如くに林立する。

 一つの場面が終わると、この構図はそっくりそのまま九〇度回転し、次の景へと引き継がれる。そして登場人物たちのしぐさまでもが、ほぼそっくり反復されるのである。こうして五つの景と導入部を含めて六つの場面が、下手の壁を最初の背景(ホリゾント)として始まり、次々と移動して『ハムレットマシーン』の言葉が複数の俳優たちによって<朗読>されていくのである。ただし四番目のシーン「スケルツォ」(実際のテクストでは第三景)では、ホリゾント幕が舞台と客席を遮るように降ろされる。それをスクリーンとして、テクストの言葉のテロップとともに映像が流されるのである。

 ウィルソンはミュラーのテクストを自分の造形した空間に引きこみ、言葉を環境化していった。演出家が劇作家のテクストに引っ張られず、ウィルソン自身の劇世界へ言葉を見事にたぐり寄せ使いこなした格好の例が、この舞台なのである。

 『ハムレットマシーン』は、シェイクスピアの『ハムレット』を出発点としているが、決してその要約や換骨奪胎に留まらない、不思議な構成体を持っている。いわゆる古典作品の「現代化」とまったく異なる手つきで『ハムレット』劇が調理されているのだ。

 たとえば、ミュラーはシェイクスピアの造形したハムレットやオフィーリアを彼の劇作品にも登場させているが、必ずしも原作と同一のキャラクターではない。原テクストから読みこんだ<ハムレット像>をできる限り拡大、敷衍し、いわば男性原理の容器として、<ハムレット>を彫琢する。それは、作者のミュラー自身をも包括しうるほど巨大な容量を持ち、同時代の民衆までもそこに集約してしまうのである。ミュラーの<ハムレット>は近代的なキャラクター(個性)をはるかに超え、それ自身が一種の機械(マシーン)と化してしまったと言っていい。

 オフィーリアもまた女性原理を包括するマシーンであり、時には歴史や時間という概念まで、そこに収容しうるのだ。

 とすれば、ハムレットとオフィーリアという<マシーン>を二つの核とするこの作品は、人間存在のありかたと、氷河時代から近未来の時間まで射程に収める歴史性とが交錯する人類全体のメタファーと考えられないだろうか。多くの演出家が、このテクストに魅力を感じたのも、このテクストにスケールの大きさと、誰もが参入可能な「開かれたもの」を嗅ぎとり、自分の考えているモチーフを投げこみ、活用できる自由さを感じとったからに他なるまい。だが、この自由さは、同時に厄介な実現不可能性をも抱えこんでいることを忘れてはならない。ことに、近代的な戯曲の再現的演出では、どうにも太刀打ちできないのである。

 一九九〇年三月、旧東ベルリン、ドイツ座において初めてミュラー自身によって演出された『ハムレット/マシーン』は、シェイクスピアの『ハムレット』と融合させた七時間半もの超大作だった。そこでミュラーは、『ハムレット』という彫刻作品と、そのデッサンたる『ハムレットマシーン』を巧みに化合し、まるで演劇のもつ巨大な宇宙がまるごとぶちまけられたかのような野心作に仕上げた。演劇の歴史のもつ豊かさと厚み、それを一瞬断ち切って佇立する時間。そこでは二〇世紀演劇のアヴァンギャルドたち--ブレヒト、アルトー、ベケット--の偉大な功績が逐一畳みこまれ、同時にそのいずれもが宙吊りにされ、破砕し尽くされてしまう不屈不撓の批評精神、演劇の清濁あわせ呑むファルマコンが、この作品で確実に息づいていたのである。

 『ハムレットマシーン』は、二〇世紀最後の、そして最大の実験だったといっても過言ではない。21世紀を迎えた現在、戦争と革命を包括したかつての『ハムレットマシーン』はどのような主題を招き寄せるのか。新たな戦争到来の危機? 革命不在の見通しのきかない絶望? それとも資源の枯渇と文明の破綻だろうか。冷戦終結後の新たなパワーポリティクスが顕在化する中、『ハムレットマシーン』はどんな時代の相を浮かび上がらせるのだろう。それを実践を通じて解き明かそうとすることこそが、今回のフェスティバルで意義であろう。

註;2は1991年に執筆した「さまざまなハムレットマシーン」に補筆したものである。