あと「8日」で本番という今日です。だのにまだそもそも脚本が「2分の1」しか書けていない。稽古はここまですでに「4週間」あったのに何をしていたのでしょうか私は。初めまして、松森モヘーです。いつからこんなに遅筆になってしまったのか。朝も夜も暗い気持ちで一杯で、寝てしまうのも、起きてしまうのも怖い。それはもはや「死」をイメージする領域なのですが、しぬ勇気なんてないですから余計に「超」始末が悪い。ネガティブ空気しか排出できない状態です。だけどだけども、この「始末の悪さ」しか見せるものがない。そんな悲しい生き物です。命をかけて、その誇張に呆れ、恥じて、落ち込んで、見失って、大切な事が何かわからなくなって、それでも本番に向かい、混沌の中で混乱し、さらに明後日の方向へと迷走する。そうして煮詰めに煮詰めて抽出した90分、それが「中野坂上デーモンズ」だといつも終わって気付く。誰の為にもならない「圧倒的な無駄」。そこから生まれた「至極の無駄」。本番へ向かう期間が前者で、本番が後者。もちろん小劇場演劇全体の話ではなく「デーモンズ」限定の話なんですけど、1本の舞台を作るために約3ヶ月近い時間を使うなかで、実際その舞台の為に必要だった時間は多分「2週間」。それ以外の「2ヶ月と2週間」は悲しいくらい「無駄」な時間。でもその「2週間」を手に入れるために「圧倒的な無駄」がどうしても必要みたいなんです。オナニーしてた時間とか、ゴロゴロしてた時間、海外ドラマ見てた時間の方が確実に多いはずで、集中して舞台のこと考えた時間などほぼ皆無です。だけどです。だけどだけどもです。その一瞬の集中力を手にいれる為に「圧倒的な無駄」が必要になってくる。で、そこで生まれた、ち さいアイデアをさらにもう「消えたくなるほど無駄な時間」をかけてグチャグチャに変貌させていく。そうして本番当日、やっと自分が作ってしまったものを目の当たりにしてゾッとする。それが私の作る舞台「中野坂上デーモンズ」なんです。もちろん脚本家・演出家としてプロにはなれません。こんなやりかた通用しないし。でもいいんですもう。お金にならないことに嘆き、意地になり、善意で集ってくれた仲間を犠牲にして1本の舞台を作るのです。続くはずがありません。毎回ぎりぎりです。ぎりぎりアウトです。嘘、見栄はりました。20〜30万単位で借金です。だってそこに本来発生する膨大な時間と生活費たるや。20人近い大人たちがおよそ社会的感覚からは程遠い低賃金の中で生活を投げ打って1本の舞台に時間を割いてくださるのです。役者もスタッフも、本気になって。行き着く場所は「究極の無駄の向こう側」です。革命的な無駄です。しかも上演期間はたった「5日間・7ステージ」って何の為に何やってるんだおい。大人をなめるんじゃないよ。頭おかしいんじゃないのか。狂ってる。いっつもそう思ってます。でもそれでもやるんだから。でもそれでもやらせてもらうんだから。だから命をかけるフリぐらいしないと、自律神経の1本や2本捧げないと。すべての仲間とすべてのお客様に申し訳が立たんです。それくらいやらないと何か観せるものが作れない。それくらいやっても何か観せるものが作れないときだってあるんですから。やってやってヤリまくって抽出した「結晶」を作る。その「圧倒的な無駄」から抽出された「至極の無駄」、その「結晶」。そんな尊いものがこの世に存在するのでしょうか。だから、だからこそ、「小劇場演劇」とは「必ず」存在する価値を持つ表現なのだと信じています。面白くないという事が許されない表現。失敗は許されない表現なんです。でも何度も失敗しましたけど。それでもそこにすがりつくしかないのです。必死でくらいつくしかないのです。じゃないと過ごしてきた時間が、いままでやってきたことが、それが全て「無駄」になってしまうのです。無駄の多い文章で失礼しました。
松森モヘー
1988年大阪に生まれる。高校最後の文化祭で国民的アニメ『ド○えもん』を上演し初めて演劇に触れる。大学進学と共に沖縄に渡りレゲエに染まる。2011年上京後、ENBUゼミナールノゾエ征爾クラス入学。2012年、卒業後から『劇団はえぎわ』に演出助手として参加。同時に自身のユニット『中野坂上デーモンズの憂鬱』を旗揚げする。以降、作・演出・役者として多くの作品をハイペースで手掛けている。 団体HP
次回公演
中野坂上デーモンズの憂鬱『消える。(仮)』
2018年11月14日(水)~18日(日)@下北沢OFF・OFFシアター
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