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舞台人と生活
舞台を創作していく中で生活、引いては、金銭的事情は避けて通れない問題かと思います。しかしながら舞台上ではあまり見えてこないこの問題を敢えて取り上げることで個々人が抱えている問題点をより可視化していくきっかけにしていければと思います。そこで、実際に現役で活動されている4名の方にご自身の活動を踏まえて生活事情について執筆して頂きました。

コーヒー・メジャー・スプーン 花菖蒲あるいは小雨とカーディガン
Ammo 南慎介

劇作家、演出家。Ammo代表。日本劇作家協会員。
2003年、有限会社オフィスグローブ(のちに株式会社に商号変更)を設立。退社後、2011年-2012年演劇支援機構青山小劇場プロデューサー。2014年、演劇プロデュースユニットAmmoを立ち上げ、脚本・演出を担当。

  【こういう人間です。演劇をしています】
  はじめまして。劇作家・演出家の南慎介と申します。普段はAmmoという自らが主宰する団体の脚本・演出をしています。まずはこの文章を書いている私は何者か、というお話を少しだけさせてください。
  私たちAmmoは「とおくでいきるあなたは そこでうまれたわたし」をコンセプトに、史実や実話を下敷きにしつつ、“もしかしたらありえたかもしれないドラマ”を描く作品を上演しています。必然、作品世界は海外の日本人にとって身近でない場所が多いです。旧ユーゴのサッカー選手とサポーター、突然イスラム原理主義者になった若者とその家族、フランス留学中のポル・ポト派といった具合です。
  私自身はあまり好きな言葉ではないのですが、「社会派」というカテゴラリーに入れられることが多いタイプの劇作家だと思います。私立の高校を卒業し、付属の大学に進学しました。大学では社会学を専攻して在学中に友人と起業しています。その後専門性の高い仕事の見習いをしていて、20代中盤になって一般企業に就職しました。以降、一貫して「兼業演劇家」として生きています。そんな38歳です。

【いまの演劇やその他のお仕事について】
  ここ4、5年は外部の演劇団体のお仕事をお引き受けすることも多くなりました。その場合は、大体が「脚本」「脚本・演出」「演出」「ドラマターグ」のいずれかになります。ありがたいことに、最近では年3本程度の外部活動をさせてもらっています。演劇祭、企画公演や招待公演・コンペティションなどと通常の公演を合わせて年2-3本くらい自劇団の公演があるので、年平均4-6本の作品を創作しています。
  また、それ以外にもかつてはテレビやラジオの構成や脚本、ゲームのシナリオの執筆などをしていました。また、前職からのお付き合いでライティングの仕事も頂いています。現状ではそれらの演劇、またはライティングの仕事に加えて実家の家業の手伝いと学校で非常勤講師として働いています。これが「兼業演劇家」と先ほど書いた理由です。


vol.6『カーテンを閉じたまま』@シアター風姿花伝 ⒸC’s Naoki
【割合と、年収について】
  編集者の方から特に具体的な収支のことを、と念を押されましたので蛇足ながら書いて行きます。率直に言います。30代の平均年収(平成29年度総務省発表)は432万円だそうですが、大体私の収入もそれくらいです。そのうち、大体2-3割が演劇による収入です。もちろん、年によって大きく変わります。

【我々が生活という荒野の中で目指すもの】
  この記事の趣旨からして、おそらくリアルな舞台人としての金銭感覚/それから導き出される生活というものをあぶり出していくのが筋、なのだと思うのですが兼業演劇人としては思うところがあるので少し書いて行きます。

・お金というものは単位でしかない
・それはコントロールできるもの/しなくてはいけないもの
・「演劇だけで食べていく」ことにあまり価値を置いてない

  この3つに尽きます。今嘘をつきました。3つ目に関しては、少し憧れがあります。毎日自分の好きな作品だけを創って行きていく、苦労など必要経費さ、職業作家を選んだからには「演劇だけで食べていく」ことを当然目標にするべきだ、できない人間は作家・演出家・俳優などど名乗ってはいけない……その種のアジテーションにも一種の説得力はあると思います。
  しかし私の場合、「演劇だけで行きていく」と決めた時期の生活はボロボロでした。当然演劇だけで食べていけるはずもなく、テレビドラマやラジオドラマの企画・構成をしながらなんとか生きている状態でした。(演劇ではない!)
  その頃の生活というのはなかなかに酷かったのを覚えています。毎週A4用紙で30枚以上の企画書を書いていました。最初のうち制作会社からもらえていた資料はいつしか本屋で自分で領収証を切って購入するようになり、有名な作家の新刊が出ると「南さん、来週までに○○さんの新刊を買って読んで企画書送ってくれる?大体30枚-40枚くらい」という電話がかかってきます。当然そんなスケジュールでは本を楽しみながら読み、読者の目線に立ってもっと面白い発掘をしていく、などという手順を踏んでいては間に合いません。左手に3本の蛍光ペンを挟み、赤は企画書に転載できる文章、緑はキャラクターの名前、黄色はストーリーの転換点とメモしながらなんとか読み、血反吐を吐くように毎週企画書を書いていました。
  そんな企画書も、通り自分が脚本をかければそれなりの収入が頂けます。20代の私であったら、年間3本企画書が通り、脚本が書ければ最低限の暮らしがしていけたと思います。でも、そのために年間30本以上のプロットを捨てているのです。最初は「必要経費」と思いながら落ちた企画書は捨てることにしていました。そのうち、捨てる企画書から文字がこぼれ落ちるように見えてきました。もう少しすると、それは自分そのものがこぼれ落ちるように思えました。そもそもテレビの仕事がやりたいわけじゃなかった。いつしか創作活動そのものが苦痛になっていました。しばらくして一切の仕事を辞退しました。
  これは、作家だからできたことで、演劇以外にも作家はアウトソーシングしやすい職業だし、そもそも仕事というのはそういう風に当然苦労すべきものだ、という意見もわかります。わかるのですが、いわゆる「ワークライフバランス」のようなものを考えても良いのではないかな、と思っています。
  例えば、会社員の方であったとします。お子さんができたらそれまでしていた仕事を少し早く切り上げるでしょうし、営業の方が取引先と少しでも懇意になれるようにとしていた週末の飲み会を減らすこともあるでしょう。そのように、僕らも考えていいのではないかと今は、思っています。
  必要なものがこれくらい(の金額)であるなら、それは何を使って稼いでもいい。それよりも大事なのは自分が最もクリエイティブな状態でいられることなのではないでしょうか。最良のものを創造しているという実感、事実。それこそが芸術家にとって最も大切なものだと思います。
  「生活はすべて芸術のみでできている」それはとても素晴らしいことですけれど、あくまで状態であって達成目標ではない。ごく稀に「生活の全ても本業(演劇)で賄えないのに名乗るな」という意見を目にするたびに、「レオナルド・ダ・ヴィンチだって、絵だけでやっていけない時期は給水機や航海の道具を貴族に売ってたよ」と思ったり、します。


vol.5『ノスタルギヤ』@d-倉庫 ⒸC’s Naoki
【創作によって燃やし尽くすことと、生きること】
  とある演劇関係者の方が「どんどん公演をやって、どんどんダメなやつは芝居をやめていけばいい。それが自然の淘汰となって舞台芸術はもっといいものばかりが残るから」という趣旨のことを話していらっしゃいました。
それも一面の真実であると思います。私もこの歳になったので、若い俳優がなんの技術もなく舞台に上がり喝采を浴びるのを観るたびに、「これで本当にいいのだろうか」と思うことが増えてきました。
  しかし、創作によって心や自分自身、果ては自らの周りまでも燃やし尽くして成功者と敗者に真っ二つに切り分ける。それ以外にも演劇を生業とする道はあるような気がしています。少なくとも、私は一本の作品に時間をかけて取材をして、俳優とシェアし、意見交換の時間をふんだんに持って座組一体となっての作品創りを愛しています。それは資本主義的な、合理的なことからはかけ離れていて、おそらく現代性みたいなものから遠い位置にあるんだろうな、と思います。でも、演劇は生活そのものなので。続けていけない生活は生活ではないし、自分の生活は誰か他の人間が口を出していいものではないのだ、とここだけは断定しておきたいです。
  でも、私は今の仕事に満足しています。満足しているし、足りないと思っているし、ということはつまりとても幸せです。おかげさまで誠実でとても良い仕事のお話をいただくことも増えてきました。毎日のコーヒーをメジャーで測るように、丁寧に演劇と向き合って生きていきたいと思います。


次回公演
Ammo vol.7『調和と服毒』
2019年10月17日(木)〜22日(火)@上野ストアハウス