演劇と生活、雑感
楽園王 長堀博士
「楽園王」主宰、劇作家、演出家、舞台監督、ワークショップデザイナー青学第18期、利賀演出家コンクール優秀演出家賞受賞、利賀演劇人コンクール奨励賞受賞 |
これを書いている現在、今現在進行形で読んでいる方には大きなニュースとして耳にしているとは思うが、劇団キャラメルボックスの制作会社が倒産したという、そういう時期に執筆依頼があった。それは、演劇の世界でも特に成功していたと思われていた劇団が、もう続けては行かれない時代である、ということの象徴的な出来事であり、これを一劇団の問題とすることは乱暴な考え方だと思う。もちろん、今この時代にこそ成功(経済的な意味での安定)をしているカンパニーはあるが、総じて、予算規模を小さくする工夫を行っているカンパニーか、公的資金を得ているカンパニー、もしくは公的資金ではないが、それに類する何かしらの助成を受けているカンパニーだと言えると思う。ある時代における成功はもうないと、これまでも薄々とは感じていたことではあったが、私達は今はもう事実として知ってしまった。その事は大きい。筆者も影響を受けて書かざるを得ない。またその事に関連して、音楽のコンサートの世界でやっていた物販ということを小劇場演劇が普通にやり始めた時代であることも最初に記しておく。これは、極端な言い方をすれば、観客の動員を増やすことを諦めて、観客一人一人から引き出す金額をつり上げる効果を期待していることの象徴だと言える。また、ダブルキャストやバージョン違いを一つの公演で行うのも、観客人口が打ち止めであると判断して、やはり観客一人から得られる収入を増やす作戦に他ならないと見える。そんな時代に、演劇と生活について書いてみる。
でもまず、古い話から始めるが、岡本綺堂の戯曲に『俳諧師』という短編がある。俳諧(俳句)の道に進んだ主人公の男がそれが故に極貧の生活を強いられ、寒い雪の中の冬、一人娘だけでも生きていかれるようにと自殺を考える場面から始まる物語だが、それで分かるのは、古くから芸能芸術の道に進んだ者の末路としては、生活はして行かれない、がデフォルトなのかも知れない、ということ。岡本綺堂の作品には、広義の芸術家を描いた作品が多い。代表作の『修禅寺物語』もそうであるし、人形浄瑠璃の世界の末期を描いた『近松半二の死』や、短歌をたしなむ人々の異常を描いた『能因法師』など、それらすべてが一般的な価値観からは変と言える彼ら彼女らの考え方や行動を、時に面白可笑しく、時にある種の迫力を持って描いている。『俳諧師』も、一般の価値観では測れない二人の俳諧師の言い争いが楽しいが、実に話の中心は、それを続けながらどう生きて行くか、死なないで済むか、である。(作中、一応の解決策を示されて終わる。)
さて、現実世界、あらためて見回してみるに、『俳諧師』の世界と然程変わらない、と書けば言い過ぎだろうか。ここから話を演劇に絞るが、演劇をやりながら生活を営むのは、それが芸術である場合には大変に困難であるように見える。これは、今のこの国の社会がどうであるか、とは別の次元の話で、ベースとしてそうであるように思える。演劇は商売に向かない。演劇で生計を立てるのは確率的には宝くじレベルで、確率で計れることは確率によって支配されるので、計算していくときっとゼロに限りなく近い、とも受け止められるのではないか。もちろん、アウトリーチとしての講師やワークショップのファシリテーターなどに進む者の中には成功している幾人かがいるし、映像の世界に活路を見出だす者も少なくない。でも、長く安定して継続的に、と見ていくと、やはり稀だろうと思える。正直に思う、演劇は、それを行う者の多くを経済的には貧しくする。心の豊かさや芸術全般への貢献に目を向ければ、決して無駄ではないと考えるが、また、社会には必要とも思うのだが、経済的にはそれを行う個人を豊かにする可能性が大変に低い。実は、この原稿依頼を受けた時に、頭にすぐ思い浮かんだエピソードがある。僕個人は、自らのカンパニーを主宰し活動を続けながら、舞台監督や照明、音響など舞台に係わる様々で仕事をして来ているのだが、ある日のこと、ある終わった仕事に関して、その仕事の主催さんから電話をいただいたことがあった。公演が終わってから半年ほど経っていた。その内容は、舞台監督経費の支払いが遅れてしまっていることに対する誠意のこもったお詫びと、現在の自分の生活について。「60を越え定年の年齢になり学校での安定した講師の収入がなくなり、家賃も払えず電気やガスも止められ、今は暗い部屋で寒くて毛布にくるまって生活していて」と。有名な方である。ずっと評価される仕事をたくさんこなしてきて、実力を損なわない素晴らしい俳優であり、尊敬する人も多い、そんな方。だが、演劇に人生のほとんどを費やした晩年には、こんな風になってしまうなんて。それは一つの衝撃であった。それは、自分や自分の回りにいる同世代や若い世代の未来の一つの形なのだと思えた。ベテランの、力のある有名な俳優さんでこうなのである。思わず唸ってしまった出来事。そしてそれは『俳諧師』と重なる。さて普通なら、このような文章の場合には、ここまで書いてきたのは譲歩で、この辺りから「でも実は」と逆の話、希望のある話が出てくるべきなのだが、すみません、そうはなりません。僕は、経済的な豊かさを求めるなら、演劇はそれを叶えてくれないと思う。他の仕事を探したほうが良い。もしも演劇を続けたいなら、他の収入源を持つべきだ。それが、短期ではなく、長く就労出来るものであるのが望ましいけど、幸いにして、と言うべきか、今の日本は少子高齢の労働者の足りない社会で、まあ都市部に住む限りは年齢に係わらずバイトには困らない。アルバイトで生きては行かれる。選ばなければ仕事はある社会だ。だが、正直に見て、演劇のみで生きて行く道はない、あるいは、大変に見つけ難い、というのが僕の見立てだ。
利賀演劇人コンクール
しかし、だからと言って、演劇の芸術的な価値とは無縁の話だとは強く書いておく。経済に換算出来るものだけが価値がある訳ではない。また、豊かさとはお金の有る無しだけを指して使われる言葉ではない。演劇の世界が経済的には何ももたらさなくっても、何ら自らの芸術的な衝動を恥じることはないし、その創作意欲や表現には誇りを感じて欲しいと思う。だが、議題が経済なので、この話はもう書かない。
紙面がなくなってきてので、短く、自分の話をして話を終わりにする。僕は、演劇以外の仕事の力で、生活には大きくは困っていない。演劇にお金が掛かるので、時には借金になる場合もあるし、厳しい部分もあるが、仕事を持っているお陰で、例えば自宅を買うくらいのお金を銀行は貸してくれる。演劇だけをやっていたのでは、そうはならなかったろう。演劇が、特に自分のカンパニーの公演が経済的に何かをもたらすことはほとんどない。だが、直接は助成金を得たことがないが、間接的に、大きなフェスから100万以上の製作費をもらって公演をした経験があるが、その元手は助成金だろうと思われる。その経験から、本当なら、何か基金などに積極的に申請し、助成金を得て公演ができるよう動くべきだと思うのだが、現時点では、それを行う手が足りなくて行ってはいない。上記してきた話、演劇以外の安定した仕事を持つべきだ、ということを、僕は自分の経験の上でも主張できる立場に今いる。心の半分は、自分が専業演劇人になった方が、演劇への貢献としては良いと自負できるが、衝動的にそれに走れてはいない。生きて行くために。また、自分のカンパニーを継続するためにも。
自然界での強さを、弱肉強食って言葉で語るのは間違いだという話がある。本当の意味で強いのは、環境適応、って言葉に尽きる。環境が変わる時に、それに合わせて自らも変わる(変える)ことを進化と呼ぶように、環境に合わせて生き残ることこそが生物学的な最強である。常に自らを滅ぼしに来る敵とは、環境、社会、世界なのだ。周囲を見回す。環境適応。演劇の世界の話をしている。
次回公演
楽園王『夏の階段、一足飛び』
2019年8月23日(金)&24日(土)@サブテレニアン
|