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山田零 錦鯉タッタ  
「自らのカラダを糞喰らえというアタマこそ」

©高倉コロ



   私にとって演劇とは、世界を見る窓=回路。個人ブログのタイトルも「錦鯉R=YAMADAREIが演劇から考える」、ずっとこの構えです。大きな影響を受けたのは2つの劇団。劇団どくんご、叛通信。前者は大学の演劇研究会が自立する時期に参加、しばらく在籍。どくんごは現在も九州を拠点として、全国をテントで回る旅劇団として活躍中。後者は演出家2人と役者1人という変則型でスタート、演出家が交互に演出を担当、ちいさなスペースを主たる現場とする劇団。前者で私は演劇活動をスタート、退団後に後者に関わり、その後、自らの劇団を立ち上げる。ま、いろいろありますが、これが略歴。
 私にとって演劇は、学びの場であり、世界との関わりのトバ口。若いころは「演劇が世界を変える」(ことができるのか)という問題の立て方で活動し、失意の連続とともに、しかし多くのものを獲得。演劇で食べていくという考えはそもそもなく、演劇界の一員という意識もなく。この判断がどうだったのか、なかなか興味深いところ。
 関わった最初の公演で上演作品を提案し、投票で敗れ、端役で出演、スタッフ作業を学習。ちいさな劇団のよいところは役者・スタッフをすべて劇団員で担うこと。些細な具体的作業のなかにこそ、学ぶべきことは詰まっている。加えて、ちいさな集団でも、すぐによからぬ権力関係が構築される、連合赤軍のように。特に女性差別がらみは演劇の内部で横行していた時代。戯曲レベルでもそう。言葉だけでなく、無意識的に機能/支配されている身体からこそ、なんとかして解放を。そんな問題措定が傍流であっても、当時の演劇/哲学シーンには存在。
 早くから劇作志望の私は何本か使われない台本を書いたあと「首都圏連続街頭劇」という名の一連の野外劇の1本で初めて劇作を担当、そして天幕と建築パイプを借りた初めてのテントでテント設営と劇作を担当。知識も力量もないなかで、書いた台本を無茶無茶に貶され、書き直し/させられ、そして慣れないテント設営作業に苦闘。単純なことですが、やってみないとわからないことは多々。ただ、たくさんのことを実際に体験することはできなくとも、演劇は「嘘=仮構」として体験できる装置でもある。そんな嘘/徒労ともいえる経験を経て、全国をテントで旅する計画を作成、1988年春3つのグループに分かれ、北海道・沖縄を含む全国を、野外劇・投げ銭スタイルで公演。同秋、テントでの旅公演を初敢行。

  役者が命、これが我々の共通理解。劇作担当の私や演出も含め、徹底的に突き詰めようとした。そのころ影響を受けたのがテント劇団・風の旅団。自主稽古という名の「役者が自らナニカやってみせろ=ナニもやれないところを見せてみろ」というもの、これを我流にパクらせていただき、導入。たが、作家がよいことなどナニも書けないように、演出家が独りよがりの設定しかツクレヌように、役者が自らの興味関心でやることも言う間でもなくタカが知れている。ナケナシのものだけが表現されるに値します。初めてのテント旅公演を終えたあと、このジレンマというか、どのようにすれば「役者が命」を実現できるのかという問題にとりつかれるなか、分派ではないけれど1989年、劇団どくんごメンバーが個別に3つ、いや4つの上演に参加。そのうちの1つが1989年秋の叛通信・第3回公演で、どくんごの役者が2人出演。その衝撃たるや。
 まさに前衛的。叛通信の上演は、圧倒的に強権に見える演出と、それを凌駕/駆逐/協同しようとする役者。スタイルの原型としては早稲田小劇場が近かったのかも、大幅に違っていましたが。それを見たせいか、役者が命を再確認するためか、それ以外のナニカがあったのか、私は2回目のテントツアー準備中で、役者兼作家の立場でありながら、稽古途中で劇団を離脱。以後、劇作をしばらく断念し、役者として叛通信の門を叩きます。
 その後、ちいさなプロジェクトを敢行し続け、2004年に錦鯉タッタを数名と立ち上げ、多くの役者とともに、かなり複雑な上演をやり始めることになるのですが、その話の前で、この稿は終了。最後に前衛について少し。カントールの『死の教室』に集約されている気がしますが、言葉や身ぶりを奪われた「最悪な」ところでなされるものこそ。表現として見るならば、決して楽しくも愉快でもないけれど、そこにはドコカ希望と笑いがアル/シカナイものこそ。それを私は前衛的と考えていて、いまも錦鯉タッタで追求しています。





山田零
劇団「錦鯉タッタ」所属。アトリエ「新小岩ZAZA」運営委員。「TAGTAS」会員。ひたすら「石を積む/料理する」上演など敢行。元本として、べケット・ミュラー・オースター・ジュネ・ブレヒト・プイグ・島尾・満州・三島・東アジア反日武装戦線、など。上演は元本から、かなり遠い。>
次回公演
錦鯉タッタ『日本国憲法』
現代劇作家シリーズ10 今こそ「日本国憲法」を上演する 参加
2020年5月上演予定@d-倉庫