まずは、2012年7月の「夕顔のはなしろきゆふぐれ」という維新派の作品について、教えてください。
「野外劇と室内劇の中間ぐらいの作品を創ろうという意識で、大きな美術作品の様なものが入る場所を探して、その場所でしか出来ないような舞台を創ってやるという事が始まりでしてね。いわゆる遠近法というのは二次元の話なのだけど、遠近法を立体表現したような大きな箱を作って、その箱の中に俳優がいて演技するという、そういう装置の有効性というか、その装置ならではの可能性とか、そういったものが発揮出来るような装置を置いてやってみたいなという事が始まりでした。
夕顔のはなしろきゆふぐれ(2012)©井上嘉和
特殊な舞台の論理下で身体が論理に従って演技する、動き回るというのが一つの即物的なテーマなんですが、もう一方では以前からやっていた大阪という街の都市論ですね。長い間、犬島や琵琶湖とかどっちかというと都市から離れた自然環境や水といったテーマでやっていたので、しばらく都市論からご無沙汰しとったなぁというところで(笑)。以前は色んな場面で都市論が語られている事が多かったんですけども、最近意外と都市論ってあまり聞かないなというのがありましてね。僕らも都市に住んでいるわけだし、都市の中で表現をしているのに演劇の分野であまり都市論というのは聞かないよねというのがあって。それでも都市論っていろんな時代で有効だと思いますのでね。ひとつ僕らのテーマとしてやってるとするなら続けていかなあかん、という気持ちはあったんです。だからそういった特殊な箱の中で都市論を今回やってみようと、そういう作品でした。」
犬島や琵琶湖の公演では、役者を水の流れの中に立たせたり、自然との共有が見受けられますが、野外に対するこだわりなど教えてください。
「共有とかっていう意識はないんですけども、野外でやる事の一番の楽しみというのは劇場の中ではない出来事ですごい発見があるんですよね。例えば夕焼けを背景にしたら人間のシルエットになって風景にとけ込むとか、水の上に立つというのも理屈的に言うとね、人間と水の親水性といったものが強調されるだろうなとか、そういった事があるんですけども、そういった目論見以前に現場でやるという事の言葉には出来ない面白さ、発見があるのでね、そっちの発見の方を楽しみにしてやっているというのが結構大きいですね。」
私は1991年の「少年街」を観た際に衝撃を受けたのですが、長い間公演をされてきて、印象深い出来事はありますか。
「そうですね、『少年街』はやはり今の東京ではあれだけの広い場所って都心にないんじゃないかと思うんですよね。やたら広いですしね。貿易センタービルが見えて、東京タワーが見えて、あの辺の新橋のビル郡が見えて、朝日新聞社のビルが真横にあったりとか。何かね、その当時で言ったら僕らは都市の廃墟性というものをテーマにしていたと思うんですよ。それは多分に映画の『ブレードランナー』とか『AKIRA』とかそういった世界に影響されたとこがあると思うんですけど、都市が何らかの理由で廃墟化するみたいなのがテーマでね、舞台を実際そこで作って、見渡せば廃墟以前の厳然としたThis is Tokyoという感じがあって、何かそれと僕らの舞台っていうのが対照的に、事前事後じゃないですけど、あるっていうのが現実の中に野外の一過性の劇場を造るっていう意味がくっきりと見えた舞台じゃないかなと思って、それはすごく面白かったですね。」
1970年に「維新派」を立ち上げてから42年、転機になった事はありますか?
「いろんな意味で転機になったっていうのかわからないけれども仕事が増えたっていうか(笑)。ものすごく、ああいう場所でやるっていうのは色んな闘いがありましてね。行政的にはなかなか許可が下りなかったりとか、申請を山ほど出したりだとか。言ってみればそういう演劇みたいな無駄な事っていうか(笑)、無駄なものをまるで現実の風景の中にぽんとこう存在させてしまうというようないろんな軋轢を感じましたし、そういうのが逆に面白く感じたという一面もありましたね。都市の中にひとつ異物を持ち込むというかね。芝居の中身を観なくても、風景として、そういった異形の劇場が日常空間の中に突然現れるという事の面白さみたいなものもあるんだなぁという事は思いました。
そうですね、転機というと、何かなぁ…。一緒にスタッフ作業の中で頑張ってくれたのが舞台美術の人ではなくて、映画美術の人が多かったんで、やはり映画人との付き合いが色々と刺激になりましたかね。今でもそうでしょうけど、明らかに演劇よりも映画の方がメジャーですしね。映画人から見た演劇の卑小さというか、古臭さというか、しんどさというかそんなものを嫌というほど聞かされましたし、認識できて、結構映画人の意見なんかがそれ以降の舞台に生かされるようにはなりましたかね。」
演劇より映画の方が、広い世界のように思われたという事ですか?
「いや、それは色んな映画、色んな意見があるからね、僕がつき合ってたのは、そこそこ物わかりがいい映画人というかフラットな人達で、やはりこう独りよがりは駄目だとかね。演劇の狭い世界にいるとすごく独りよがり的な、観客数が少なくてもその場だけで成立する論理みたいなもの、惰性でやっちゃうような所がありますけどね。そういった方向とはまた違った一つのイメージを出していったら、共通言語的な誰でも共有できるようなイメージを出すとか、記号がしっかり記号性を持つとかそういった事が映画人と喋るとすごく参考になって。
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現在のようなスタイルになるまでは、どのような作品創りをされていたのでしょうか?
「どうかな…いや、いろんな時期がありましたからね。僕は美術の方からきてるんで、初期の頃はどちらかといえばパフォーマンスや演劇という以前の、身体を使って表現行為をするっていう、それ以外の何ものでもなく。台本とか台詞とか演出家とかスタッフとかっていうものも全くなしで、とにかく自分たちの身体を使って、梅田の歩道橋をみんなでずっと葬式のような格好をして歩くとか、山の中で一日ずっと遊び呆けるとか、24時間ずーっと山道を歩くとか。観客とか意識せずにどっちかといえば自分のためにやっていたんですよね。そういった時期がある程度ありましたね。だから色々変遷しているのでね(笑)。なかなか言いにくいんですけども。」
最近はオーディションで参加する若い出演者が増えてきたようですが、彼らに伝えていきたい事はなんですか。
「いろんな技術とか考えとかイメージとか訓練すればかなりできるんですけども、やっぱり稽古場でも舞台でも発見するっていうか、生きてる視力は養って欲しいな。AをAと見るっていう事も、Aを見てBを探すっていうこともあると思うしね。
僕らの稽古場でとにかくいろんな事をやってみて、その中から自分の思惑通りの事を探すってのは一本あるんですけども、思惑外の事っていうか言葉以外の部分っていったらいいのかな、それを探す。結構視力がいるんですよ。例えばみんなの前で何かおかしな事をやって、みんなから笑いを取ったから終わりじゃなくて、笑いとまた別の裏っ側に何かあるんじゃないかとか。泣く笑う怒るという感情とはまた違った部分の人間の感性って、いっぱいあるじゃないですか。その辺の感性をその現場で発揮してそれを捉えるという視力が、特に僕らは稽古場で求められているというのが現実なんですよ。恐らく舞台の上でも観客席から観る目線っていうか、そういうものを持っている、持っていないと色々あると思うんですけども、ほんとに視力だと思いますね。」
2013年は寺山作品の演出もされるそうですが、今後の活動についてお聞かせ下さい。
「10月に維新派の野外公演をやります。犬島はもう4回目なんですけども“瀬戸内国際芸術祭”の括りの中で、演劇作品参加ってことでやります。
テーマをはっきりとは決めてないんですけど、琵琶湖や犬島の自然との付き合いをある程度ずっとやってきて去年なんかは都市部でやって、一方では都市論をやろうとして一方で自然論やってるっていうわけではないですが、明らかに場所が違うところでやってますよね。その辺のある種いい意味での整合性を持つ公演にしたいなと思ってるんですよね。
風景画-岡山・犬島(2011)©井上嘉和
例えば都会にいても人間の身体っていうのは古代からそんな変わってないと思うんですよね。尾てい骨にしっぽの名残があったりとか、いまだにご飯食べたら排泄はするわけだし、足の裏の感覚って大事だと思うし、ある種の第六感みたいなものも大事だと思う。そういった昔から培った人間の感性とか人類の記憶性っていうものが身体の中にありながら都会生活を行っているという事で考えると、都市論を語るにしても身体という一つの人類史、その中の人類の記憶を持って都市を見つめているという部分もあると思うんですよね。それが人間が在ることの根拠だとしたら、逆に田舎に行ったら都会の目線で田舎を見るとか、あるいは外国行ったらすごく日本の事を考えるとか。そういった移動する人間ってのが今は当たり前に生活してるじゃないですか。その中において世界を見る目っていうのはどこかに根拠を持とうとすると思うんですよね。人間という根拠。人間っていう根拠はどこにあるのか。そういった移動することの中で根拠が生まれるのかなっていう風に最近思うんですけどね。だから都市部でやって地方の街群の中でやって、両方でやるから人間としての根拠がひょっとしたら生まれるのかな。」
お互いを見合った上でお互いの位置を確認するという事ですか?
「特に都会にいたらそういう感覚って無くなってくるんだよね。逆に地方で特に滞在型の演劇、野外公演をやることによって多少そういう感性が復活する可能性もあると思うし、テーマに上ってくることもあると思うみたいな。そんな感じの事を意識して、犬島の公演も都市部でやる公演も考えていこうかなと思っています。」
【聞き手/秋津ねを】
ねをぱぁく主宰。プロデュース、役者、制作、公演のケータリングなど。東京での活動を経て現在は大阪在住。
【次回公演情報】
■ 維新派 新作野外公演
10月/犬島(岡山) 瀬戸内国際芸術祭2013参加
※エキストラキャストも募集しています
http://www.ishinha.com
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