俳優たちは自立的にプログラムをつくっていく。柴はそれを見ている。(筆者撮影)
前衛とは何か?
前衛とは何か?という問いは今さらすぎて、あなた方にとってはもはや退屈でしかないだろう。「難解なもの」「尖ったもの」「奇をてらったもの」といったありふれたイメージで前衛芸術を把握できる牧歌的な時代は、とうの昔に過ぎ去って久しいのだから。前衛とは、旧態依然たる制度や様式を打破していく「時代の先駆け」であるという本来の意味に立ち返るならば、いかにもそれっぽい見た目に騙されてはいけない。ゆるキャラ的な可愛いぬいぐるみの下にだって、前衛の悪魔が潜んでいる……という可能性を、注意深く見つめていく必要がある。
柴幸男が総合演出した「シアターゾウノハナ」は、まさにその意味で現代の前衛そのものであった。3年間にわたって横浜・象の鼻テラスを舞台に断続的に開催されたこの実験的プロジェクトは、批評家の多くからはほぼ無視される結果に終わってしまったが、逆に言えば、その見た目のゆるさゆえに、批評家の目から姿をくらますことに成功したとも言える。負け惜しみを代弁しているわけではない。批評の言説があまり生まれなかったことは日本の(演劇批評の)行く末を考えるとかなり残念だが、とはいえこの3年間、柴幸男とその仲間たちが頓珍漢な言説に煩わされることなく、のびのびした環境で好きなだけ実験をやり尽くせたという事実は、日本の演劇の未来を考えれば大きな実りであった。
批評家だけを責めるわけにもいかない。例えば3年間の「シアターゾウノハナ」が終わった後、2016年3月に開催された振り返りイベントでは、トークゲストである演出家の中野成樹も「柴くん、何ぬるいことやってんだ……おもねってんじゃねーよ」と最初は苛立ったと話していた。象の鼻パーク一帯を「演劇的公園空間」と称し、たまたまその周辺を通りすがった人たちが「演劇とすれ違う」チャンスを創出しようとした「シアターゾウノハナ」は、様々なプログラムをゲリラ的に散りばめていったわけだが、その試みは一見すると、芸術的なクオリティを蔑ろにしてでも人々に媚びる行為に見えかねない。劇場の外での実験的な試行錯誤を続けてきた中野成樹でさえ、そのように感じたというのである。
しかも実際、そうした側面もなきにしもあらずだから事は複雑である。今や各アートフェスティバルに引っ張りだことなったスイッチ総研の「スイッチ」は、主にこの「シアターゾウノハナ」において研究を重ねられたものだが、「世界で一番、簡単な演劇」(柴幸男談)として、スイッチを押すとインスタントに小芝居が始まるこのプログラムは、確かにその簡単さによって多くの人々にリーチできるとはいえ、やはり小芝居は小芝居、劇場の暗闇の中で起こるあの奇跡のような演劇と比べれば見劣りするのではないか、という批判は当然ありうるだろう。そこまでしてお客をゲットしたいとしたら、歌舞伎町の客引きと何が違うのか?「シアターゾウノハナ」の他のプログラムも概ねスイッチと同じ路線であり、みんなで体操をしたり、歌ったり、ラジオで喋ったり……「こんなのは演劇じゃない!」とあなた方が怒り出したとしても、なんら不思議はない。
OSを変えた「シアターゾウノハナ」
けれどもわたしは今日、あなた方に告白しなければならない。楽しかったんだ。そう、この「シアターゾウノハナ」を目撃・観察し続けることが。1年目のワーク・イン・プログレスから足繁く通い、2年目はあろうことかメンバーとして名を連ねることになり、ミイラ取りがミイラになってしまった。そして別の企画のために参加が困難だった3年目も、やはり隙を見つけては現場に足を運んだものである。いったい何がわたしをこの場所に駆り立てたのだろうか。この「シアターゾウノハナ」が、演劇初心者へのほどよい窓口になっていたからだろうか?
否。おそらくそうではない。事実3年間で何万人もの人々が「演劇とすれ違う」ことになったとはいえ、その人々が演劇に深い興味を持つに至るまでには、まだまだ多くのステップが必要だろう。そして特に「シアターゾウノハナ」の面々が、そうした人々を演劇の深みに誘導しようとしたのかというと、そうではない。例えば本公演のチラシを配るとかいう積極的な宣伝行為は一切為されなかったのである。彼らはただひたすら、あの「演劇的公園空間」を、通りすがりの人々と共有することに賭けていたのだ。
おそらくそこに、ヒントがある。もしも彼らが、劇場内での作品のほうこそが重要で価値があると考えていたら、「シアターゾウノハナ」はけっして成功しなかったに違いない。もちろん柴幸男や俳優たちにとって、完成度や美学的強度を求められる劇場内での演劇は、今なお大事なものではあるだろう。わたしの中にもそこへの憧憬はゼロではない。しかし彼らは(別物と割り切ってはいたとしても)そこに優劣はつけていなかったと思う。「ブラックボックスこそが我らのフィールドである」という、多くの演劇人の無意識に潜んでいる価値意識に、彼らは楔を打ち込んだのである。
わたしにはそれが、演劇の拠って立つ基盤(OS)を革命的に変えようとしたと見える。これまでの演劇が、「やあやあ我こそは……!」と名乗りを上げる武士の一騎打ちだったとすると、「シアターゾウノハナ」はそのロマンチシズムをふっ飛ばし、鉄砲伝来どころか、惑星一個をまるまる破壊するあの秘密兵器デス・スターを発明してしまったかのようだ。……こんな比喩はむしろ混乱を招くだけかもしれない。とにかく彼らは、演劇のシステムを大きく変えたのである。では、何を変えたのか?
老若男女が入ってしまう「海の見えるKOTATSU」。(筆者撮影)
ノンヒエラルキーな創作スタイル
何を具体的に変えたのか。ここでは「1.ノンヒエラルキーな創作スタイル」、「2.いつでも退出できる参加」、「3.集中を欠いたゆるい時間」について考えてみたいのだが、まずはその前提となる空間的条件を押さえておきたい。「シアターゾウノハナ」は象の鼻テラスの建物とその周辺の広場を舞台としており、いわゆる劇場の壁は存在しない。もちろんサイトスペシフィックな野外劇それ自体はもはや珍しいものではないが、この場合、屋内も使用しながら(象の鼻テラスがガラス張りであるがゆえに)極めて透明性が高いということに加え、このエリアが横浜港に面している、すなわち開港以来およそ150年にわたって様々な人や船が行き交ってきた歴史的な場所である、という条件も重なって、実に風通しの良い空間になっていた。
この風通しの良さがなければ、彼らの特殊な集団形態とその創作スタイルは生まれなかっただろう。柴幸男がいちおう「総合演出」であるものの、彼のメインの仕事は「メンバーが発案して実践することを面白がる」ことであり、アドバイスはするものの、基本的にはただ面白がり、彼自身も踊ったり楽器を演奏したりして楽しんでいるのである。柴幸男といえば『わが星』を嚆矢として様々な話題作を世に送り出してきた劇作家・演出家であり、その気になれば細部までつくりこんでいくのはお手のもののはずだが、こと「シアターゾウノハナ」においては彼のそうしたコントロール能力は封印され、それ以上に、風通しの良い状態(場の特性)を活かすことに関心が向けられていた。
もちろん柴は演出家としてはかなり厳しい顔を持っているはずだが、この現場にかぎって言えば、彼が怒っている姿を3年間で一度も見たことがない。むしろ遊び心をもってこの場を楽しもうというモチベーションが先行しているように見えた。とはいえ柴もその他のメンバーも創作にかんしてはとても真剣であり、その都度、話し合いをし、その合議によって、いかにしてこの空間とコンセプトを溶け合わせるかに心を傾けていたのである。
その結果、ひとりのカリスマ演出家とそれに従う俳優、という演劇集団にありがちなヒエラルキーは解体されることになった。メンバーには小劇場屈指の俳優たちが揃っていたが、彼らはここではせりふや役などの「与えられたもの」から解放され、それぞれに自立した1人のアーティストとして、個々の作品づくりに励んだのである。
例えば、イヤホンを付けた参加者を録音した声によって誘導する「聴くだけ!3分旅行」や、複数人を連れて歩く「ちょっとそこまで象の鼻ツアー」は、俳優たちがみずからツアーパフォーマンスを創作したその顕著な例である。こうした俳優の自立性は、体操や歌やラジオにまで浸透しており、柴幸男というひとりのカリスマを経由することなく、チームや個人によってどんどん創作されていった。
ちなみに「シアターゾウノハナ」のメンバーは俳優だけでなく、音楽家、インテリアデザイナー、ファッションデザイナーなど、様々な技能を持った人物が集っていた。いわゆる「コラボレーション」というと、演劇と他ジャンルのあいだのせめぎ合いこそが醍醐味になるわけだが、この「シアターゾウノハナ」の場合はそれとは異なり、言うなれば「この宇宙にはいろんな芸術や技術や哲学があり、演劇もその一部だよね」というふうに捉えられていたようにわたしには思える。結果的にこのジャンルの壁が溶融したような感覚は、演劇の発想だけに縛られない、かなり自由な創作環境を生み出すことになった。不定期で開催された夜のスナックにおいて、お客が、ふだんは着ないような服を着て過ごす、といった試みはそのひとつの例である。
いつでも退出できる参加
続いて大きな要素として挙げられるのが「2.いつでも退出できる参加」である。わたしはあの現場に何度も通ったが、常に目を凝らしてパフォーマンスに集中していたわけではない。持ち込んだPCで仕事したりしながら、たまに発生するパフォーマンスをぼんやり眺めたり、時には一緒に踊ったりもした。つまり「シアターゾウノハナ」の観客は常に集中しなくてもよかった。気の向くままに、無視→観覧→参加……の度合いを選べるのである。
前述の中野成樹によれば、「シアターゾウノハナ」に対する彼の認識が変わったのは、「海の見えるKOTATSU」に入った時だという。2年目に発明されたこの企画は、「コタツの儀」と称して俳優たちが仰々しく何台かのコタツを外に運び出し、それをドッキングさせて長いコタツをつくり、通りすがりの人たちが自由に利用できるようにしていた。中野はここに入って他の人たちと一緒に海を眺めた時に、自分がまんまと「参加者」にさせられてしまったことを痛感したという。それまでは外から「柴くん何ぬるいことやってんだ」と思って傍観していた彼が、参加する側に回った瞬間であった。
多くの参加型演劇においては、参加の度合いを選ぶのは難しい。いったん参加したら最後、そこから抜け出るのは至難の業である。しかしコタツに入った彼は、それによって新たな視点を得た(コタツに実は灯が入ってないこと、他のコタツメイトとの距離が縮まること、海の見え方がかなり変わることetc.)ものの、何らかのパフォーマンスを強要されるということはない。いつでも自分の意志ひとつで離脱できるという、退出の自由はキープされている。この退出の自由は、物理的にやむをえないごく一部の例外(船をチャーターした船上演劇など)を除いて、「シアターゾウノハナ」のほとんどあらゆるプログラムにおいて保障されていた。
舞台となった象の鼻パーク一帯。ここで時折パフォーマンスが発生する。コタツ周辺にやや人が集まりやすくなっている。(筆者撮影)
集中を欠いたゆるい時間
もうひとつ指摘したいのは「3.集中を欠いたゆるい時間」である。「演劇とすれ違う」をコンセプトにしていたとはいえ、柴たちが目論んでいたのは必ずしも刹那的なすれ違いだけではなかった。あの場所に流れ続けていたゆるい時間に惹かれ、思わず長時間滞在してしまった人も少なくなかったはずだ。
この魅力的な「ゆるさ」の正体は何なのだろうか? 中野の「柴くん、何ゆるいことやってんだ」という言葉がフラッシュバックするが、通常、「ゆるさ」というのはこのように否定的な意味でとられやすいものだし、イメージ的には前衛の対極にあるようにも思えるかもしれない。実際、完成度の高いもの、強度のあるもの、集中力を喚起するもののほうを認めやすい日本の演劇批評においては、「ゆるさ」はほとんど唾棄すべき敵ということにもなりかねない。
しかしわたしが思い返すのは、ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』において指摘していた「気散じ」という概念である。ベンヤミンがこの「気散じ」という言葉を使った真意を推し量ることは難しいのだが、わたしの解釈では、「一点に集中して没入して観るのではなく、一歩引いてその全体を体感するような状態」として興味深く捉えている。ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』を映画鑑賞(この論文が発表された1936年当時はもちろん映画館でのそれ)を意識して書いたと思われるが、それは映画というものが手元のリモコンで巻き戻しできず、そこに映るいろんなものを見逃してしまうような時代の話であった。そういう意味では「気散じ」は、見逃すことをいたしかたないと受け入れていく態度とセットであり、現代においては演劇とかなり相性がいいのではないかとわたしは思っている。
完成度の高いパフォーマンスを観客が集中して観る、という「見る─見られる」の関係は、劇場の中のほうが明らかにつくりやすい。そのため、ともすれば野外での上演は、いかにして観客の集中力を担保するか、という方向に行きがちである。しかし「シアターゾウノハナ」はそうではなかった。そもそも集中して観るという環境を、彼らは潔く捨ててしまったのだった。
前述したように、パフォーマーたちは、ヒエラルキーから解き放たれている。そしてオーディエンスは、いつでも退出できるという自由を保障されている。そうして互いに自由度を持ったパフォーマーとオーディエンスは、集中力によって結び付けられるのではなく、ゆるい気散じの状態によって、その関係を探っていく。わたしはここに、パフォーマー(俳優)とオーディエンス(観客)の、前衛的な関係があるように感じるのである。
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……依頼の文字数を大幅に超えて書きすぎたようだ。わたしは今、雨季に突入しようとしているフィリピンの首都マニラにいてこの原稿を書いているのだが、あなた方の存在をとても、とても、遠いものに感じる。親密さを感じてないわけではないのだが、けれどもやっぱり、日本の演劇批評の言説空間は遠いものだと今は思わざるをえない。わたしはそれが、もっと海を越えていったほうがいいだろうと感じている。しかし現状では、ヨーロッパや東南アジアはおろか、東アジアの隣国にさえも届いていない。あなた方はこの事実を、どのように受け止めているのだろうか? 日本に固有の歴史的文脈を学びながらも、それを相対化して突き放すような視点と態度が、これからの批評家には求められるのではないか。もっとそのことについて話すような場が必要なのかもしれないと思っている。
2016年、世界が大きく動いていることを感じない人はいないだろう。わたしは、「シアターゾウノハナ」は世界標準だと考えている。日本の演劇の風習に囚われない彼らの勇気ある試みは、称賛に値するものだし、日本からこのような演劇が生まれてきたことを歓迎し、祝福したい。だからわたしはあなた方に言いたかった。これこそが前衛だということを。
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