PHOTO©宮内勝
市谷佐内坂の急勾配を登り切ると,劇団解体社が昨年開設したスタジオに辿り着く。小さいステンドグラスが目印の民家の一階スペースは,湯島のビルの地階にあったFreeSpaceカンバスに比べてかなり手狭だが,むき出しの煉瓦の壁とこの空間の狭さが「INFANT2」にはよく合っていた。というのは作品が死刑制度をめぐるものだったからだ。
公演案内のタイトルの下に「死に絶えるんだ・ボクタチ醜国人のコトバなど・腐りきってー」という過激で挑発的な言葉が小さく印刷されていた。わたしはいつも,こうした刺激的な言葉に引き寄せられるようにして解体社の公演を観続けて来た気がする。会場入り口で渡された公演パンフの冒頭に,ベンヤミンの『暴力批判論』からの引用があった。法治国家における死刑制度の暴力性を批判した論考だが,引用されているのは死刑が法そのものを強化するゆえに,そこには「法における何か腐ったものが感じとられる」という箇所である。公演案内の「醜国人」とか「腐りきって」という文言は,おそらく,ベンヤミンのこの言葉と呼応するものだろう。6つのシーンで構成された今回のパフォーマンスは,これまで観て来た解体社の作品に比べて,パフォーマーによって発語されるテキストの分量がかなり多かった。それは何を意味していただろうか。
PHOTO©宮内勝
舞台奥の煉瓦の壁の少し手前に,ガラス戸のような間仕切りが壁と平行に設置され,演技空間は二つに区切られている。奥は横に細長い狭い閉鎖的な空間であり,手前は言わば広場的な空間だ。始めに女性のパフォーマーが手前の空間に出て来て踏み台に上り,天井裏から白い,ホルマリン漬けの脳のような形状のものを取り出してボリボリ音をさせながら食べ始める(あれはたぶんナマのカリフラワーだろう)。そこへ分厚い本が仕切りの向こうから投げ込まれ,彼女はそれを手に取って読み始める。深沢七郎の『風流夢譚』のあの有名な一節だ。やがて仕切りの向こうにうずくまっていた蓬髪の囚人風の男が,大江健三郎の『セブンティーン第二部政治少年死す』からの引用を発語しながらうごめき回る。このあと女性のパフォーマーが前方で動いている間,奥の閉鎖空間では男のパフォーマーが死刑囚の供述調書を引用する。死刑制度を逆手に取って大量無差別殺人を犯し宅間守の供述書だ。わたしが観た夜のその次のシーンは,解体社でソロ・パフォーマンスをしたこともあるジェイムズ・タイソンのやや牧歌的な散文詩を,アメリカのパフォーマーが暗唱した。解体社に特有の,極限まで緊張した身体表現をするパフォーマーたちの中に入ると,大柄なアメリカ人の身体は自由でのびやかな世界を体現しているように見えた。
解体社の身体表現の特徴は,その直接性にある。ゆっくりした動き,痙攣する身体,己の身体へ加える暴力的な打擲。裸身に近いコスチュームのパフォーマーたちを見ていると,客席で安穏としていられない気持ちにさせられる。舞台で生起することが観る者の想像力を侵犯するという意味において,政治性を帯びた直接的表現だと言えるだろう。
今回使用されたテキストは上述したもののほかに,やはり無差別殺人で死刑が執行された金川真大の供述調書や,連続企業爆破事件の死刑囚・大道寺将司の句集,デリダやフロイトのテキストなどであった。ひとくくりにできないテキストの多様さは,逆説的だが身体表現の直接性をかえって際立たせる効果があったように思う。耳に届くテキストがパフォーマーの身体表現を強化するという点で,これまでになく分かりやすい舞台だった。けなしているわけではない。
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