日常生活の主要な連絡方法がメールからLINEに代わったのは、私が高校生の頃だった。携帯はスマートフォンに代わり、どこでもなんでも検索できるようになったし、私も含めて友達はほとんどTwitterをしていた。瞬く間に私の"暇な時間"は死んでいった。
"暇な時間"は昨日の苛立ちを思い出させ、明日の夕食のことを考えさせる。自分は何が好きか、何が嫌いだったか、何をしたいか、何をしてきたか、どうでもいいような些細な"私"のことを思い返していた時間は、いつも"暇な時間"だったはずだ。加えて、季節の匂いや色に気がつかなくなり、思い出は写真の中にしか存在しなくなった。"暇な時間"は次々に死んでいった。私と同じように死なせてしまった人はたくさんいると思う。
大学入学を機に、生まれ育った北海道から上京した。モニターの中に加えて現実世界でも膨大な量の情報と他人が、避けようもなく流れ込んでくる。"暇な時間"は死んでしまって、自分の影も輪郭も見失いそうになった時、"私"を思い出させてくれたのは演劇と美術だった。
美術館や上演される演劇は、私に受け取ることを強要しない。静かにゆっくりと流れる時間の中でとくとくと溢れ出る情報は、私に選択をさせてくれる。時に柔らかく、時に鋭く、言葉や身体が、色や光が、私の心の奥深くに触れて消えていく。忘れていた記憶や感触を思い出させてくれる。この体験は、今では貴重になってしまった"独りきりになれる時間"であり、"私"を思い出させてくれていた"暇な時間"と呼ばれていたあの緩やかな流れと何が違うだろう。
今でも他人の目が異常に気になるし、なんでもない私の日常を常に誰かに評価されているような気がしている。私の後ろに、中に、得体の知れない生き物が眼光を光らせている、そんな焦りと不安感は、今もある。それでも現在の生活に順応して生活していかなければならない。昔には戻れない。
私がどういう人間だったか、自分の嫌いな部分、後悔、罪悪感も含めて、"私"を再確認する作業が、自分の輪郭を保つために必要だ。私は、私や誰かが死なせてしまった"暇な時間"に代わるもののために創作している。
三浦雨林
94年、北海道生まれ。自身が主宰する「隣屋」では、劇作・演出を担当。「青年団」演出部所属。生活の中から飛躍をしない言葉と感情の再現を創作の指針としている。自身の作品を知らない場所に寄り添って創作、そして様々な土地や風土を利用した上演の場へ進出させることを目指し、活動中。「利賀演劇人コンクール2016」三浦雨林『ハムレット』観客賞受賞など。 劇団HP
次回公演
未定
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