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芦沢みどり
戯曲翻訳家   
別役実『正午の伝説』フェスティバル評

die pratze 現代劇作家シリーズ7 別役実「正午の伝説」フェスティバル
2017年4月25日(火)~5月9日(火)@d-倉庫


  かつて別役作品の舞台を観ていて笑いが止まらなくなった経験がある。いわゆる笑壺に入るという状態になり、周囲が笑っていないのに一人だけ笑いが止まらなくて困惑した。あれは劇の中に常識とのズレを発見しておかしくなり、そのズレを生きている登場人物に妙に説得力があるので笑い、笑っている自分がおかしくてまた笑うという、笑いの連鎖に陥ってしまったのだと思う。
  笑いには虚を突かれて思わず笑うというのもある。ほとんど生理的な反応だが、「しおめも」のダンスパフォーマンスがまさにそれで、のっけからあの<伝説>のTV長寿番組「笑っていいとも」の音楽が流れたので、こっちの<正午>?と思わず笑ってしまった。このまま別役作品を笑いのめし続けるのかと期待していたら、あとは戯曲と無縁な印象のダンスが続いた。最後にパフォーマーが「一生懸命」に肌色の風船のようなものをパンパンに膨らませ、その物体が巨大な胃袋のように見え、飽食の時代に生きることの表象か、あるいは戯曲に戻って排便を我慢している腸だったのか、ともかくそこには一抹の虚しさが漂っていた。
  『正午の伝説』が書かれたのは1973年で、初演は1975年。つまり敗戦30年目の節目の年である。男と女、傷病兵1と2の四人の登場人物による三場構成の作品で、<正午>とは1945年8月15日の正午以外には考えられないのだが、戯曲にその指定があるわけではない。他の別役作品同様、時と場所は戯曲に書かれていない。それにd-倉庫の「現代劇作家シリーズ」は演劇に限らずあらゆる舞台表現に開かれたフェスティバルで、戯曲をどう「料理するか」は参加団体に委ねられている。この自由さに惹かれて、私ほぼ毎回、ほぼ全団体の作品を見続けて来た。今回取り上げられた別役作品は、触れれば切れる鋭利な刃物のような政治性を内包した戯曲で、初演からさらに40年以上経った今、各団体がこの政治性をどう表現するかが見どころであり、そこに各団体の苦心が見られた。

劇団じゅんこちゃん©船橋貞信


  「P-Farm」はあえて戯曲に手を加えず、端正な演出と演技で作品の魅力を伝えた。一場では他人の気持ちを忖度するばかりで何も決断しないくせにカネには敏感な男が滑稽だったし、二場の傷病兵二人は俳優が巧みで、とぼけた対話に危うく笑壺に入りそうになった。作品が政治的かどうかは観客に委ねるというスタンスで、おそらく作者も同じ考えでこの戯曲を書いたのだと思う。
  その対極は「楽園王」で、ウンコは単なる排泄物ではなくその人自身であるという珍説を冒頭に置き、傷病兵二人をセーラー服の女子高生に置き換えた。排便を我慢しながら、あの日以来許され続けなければならないと繰り返し訴える傷病兵2とはいったい誰なのか?仮にこれを象徴天皇という、身体がありながら無いことにされている不在の存在の戯画1と捉えるなら、女子高生は曖昧な体制を生きて来た日本人の戯画とも考えられる。
  独特の身体表現が魅力の「IDIOT SAVANT」は、戯曲のセリフはほぼそのままながら一場では忖度が自己主張に反転している開き直りの男を出したあと、二場は映像で見せて、この作品の持つ時間軸の奇妙なねじれを視覚化して見せた。ここで言う時間軸のねじれとは、一場の男女はいかにも70年代ふうなのに、二場に出て来る傷病兵は70年代にはもう街なかにはいなかった。にもかかわらず男女と傷病兵は三場で遭遇する。どう考えても同じ時間に生きていたはずはないのに。
  「劇団じゅんこちゃん」は男女の役を入れ替え、なおかつ傷病兵二人に大正琴の代わりに立派な管楽器を持たせて、一場から三場までの時間を力技で今に引き寄せようとして、それなりに成功していたと思う。やはり今が問題なのだから。   ここでは参加団体の半分にしか触れることはできなかったが、他の団体ももちろん、それぞれが別役作品と格闘した跡が見えたことは言うまでもない。ただ「総理のご意向」が忖度される危うい行政がまかり通っている今、『正午の伝説』の政治性を強く引き出した作品に共感を覚えたことは確かだ。もう笑っている場合ではないのかもしれないから。


[artissue FREEPAPER]

artissue No.009
Published:2017/07
2017年7月発行 第9号
実験的・先進的舞台芸術の現代的役割

      舞台芸術/先進的役割について   小池博史
      アクチュアルで根源的な課題 interview with 岡本章   岡本章


  論考
      コンプレックスの力 ~佐々木敦と川村美紀子という”異端”   志賀信夫



 

 別役実『正午の伝説』フェスティバル評 芦沢みどり
 「文体」を描くこと、形象を描くこと ~サファリ・P『悪童日記』 柴田隆子
 劇画的世界に対峙する演劇 丸田真悟


 
"私"を再確認、選択するために 三浦雨林 / 隣屋
世の中のものごとをなるべく真ん中によせていくこと  大塚郁実